ナミのこと②
翌金曜日の午後に父から電話があり、ナミの呼吸が弱くなり、体温も低くなっているようだと言った。電話に出る際に嫌な予感がしたものの、あの顔つきならナミはあと何日か生きると思った。少なくとも今日帰れば週末は付きっきりでいられる。父には夜10時には帰ると伝えた。午後6時を過ぎ、再び電話が鳴った。出る前にナミは死んだのだと理解した。電話口からは、「モモが迎えに来たよ」と聞こえた。(モモはナミより先に来た先住猫)
この日、帰りは遅くなるが、昼間にいったん家に帰ることもできた。死に目に会えなかったということを悔やんだ。それでも、お別れは昨日の濃密な時間でしたはずだと自分を納得させた。家に帰るとナミが寝床の段ボールに寝かされ、仏壇から拝借した線香の類などが置かれ、出来合いの祭壇となっていた。父は本当に寝ているようで、いまにも動き出しそうだと言ったが、実際そのように思われる姿で、耳が動いたり、呼吸をしたように錯覚した。父が帰宅すると、ナミは、ほとんど動かなかったので抱き上げると表情もなく、そのまま排尿して、低い声でにゃあと鳴いて逝ったそうである。
猫用に買ってあったシラスの残りに鰹節をまぜ、枕に備え、これを残った2匹のタロウとハナコと私とで一緒に食べることで供養とした。シラスはナミが最後に食べた固形物だった。好きだった小松菜の葉を1枚ちぎってナミの口元にもっていくと、一口かじったような感触があったので、残りは私がむしゃむしゃと食べた。ナミは、私の白いフリースの中に潜り込むのが決まって好きだったので、それを着て祭壇の前に座ると、お腹にナミが入ってくるような感覚がして、まだ近くにいるのだと思った。
翌日、ペット霊園に電話をいれ、日曜の午前に火葬することが決まった。一体ずつ火葬するとなると料金も高くなるのだが、歴代の猫たちと同じにしてやりたいと思った。棺というには簡素な段ボールにバスタオルを敷いてナミを横たえ、花やキャットフードなどを入れ、ナミを運んだ。受付を済ませると、僧侶が簡単に読経をしてくれた。
お寺と併設されている霊園では、有志の方が猫の世話をしているようで、何匹か猫が住み着いている。焼き場の近くには、ここの主であろうと一目でわかるような大きなトラ猫が寝ていた。白く濁った眼はうつろで、きっとこの猫は死んだ猫たちを冥界に送っているのだなどと子どもじみた妄想をした。
骨が焼きあがるまで父と近くの店に葛餅を食べに行き、一丁前に人間と同じような収骨をした。焼きあがった骨の一部は、白くきれいな舞茸のひとかけらようで、グロテスクなことだけれども、誰も見ていなかったらつまんで食べてしまいたいという衝動に駆られた。世界にも日本にも、供養として死者の肉体を取り入れるという文化があるようだが、それは死者への思慕や愛情からであると、自然に理解した。ナミの骨壺は、先代のモモの骨壺とともに並べて自宅に保管している。本当は自然に返すのがいいであろうが、残っている2匹が死んだらそうしようかと思っている。
最初にナミが優秀だと言ったのは、私の覚悟が決まるのを待ち、私に見せないように逝ったこと、それが週末の休みに葬儀ができるようなタイミングであったこと。これらもさることながら、命のことや人生のこと、忙しい日常で蓋をしてしまっているようなこといついて、私に立ち止まって考えさせる時間をくれ、最後には納得してさよならできたことによる。今でも思い出すと泣いてしまいそうになるが、それはめそめそとしたものではなく、この猫に対する感謝の気持ちからくるものだ。ナミの魂というものがあるならば、もうそれを現世に引っ張るようなことはないし、どうか安心して旅立ってくれればいいと思う。ナミ、うちに来てくれて、ありがとうね。
終わり
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