ナミのこと①

2018年11月18日、死んだ猫を荼毘に付した。命尽きる瞬間に看取ることはできなかったが、最後まで優秀な猫だったと思う。何とか言葉にしてこの猫が生きたことをつなぎ止めたいと思う反面、そうしてしまえば字面通りにしか理解されない存在になってしまうようで、初めてこのようなことを書くことに重荷を感じているが、あの、どうしようもなくかわいい猫のことを誰かに知ってもらいという気持ちで書いてみることにする。

サビ猫のナミは、1年ほど前に腎臓を患って動けなくなり、誰もが死ぬと思ったのに、皮下輸液という点滴を続けることで復活し、日常を取り戻した。しなやかに動く長い尻尾をもった孤高の猫といえば大げさだけれども、このナミは、どこの馬の骨とも知れない猫ながら、どこか高邁な精神を持っていたように思う。小松菜を好んで食むという変わった習癖もあった。

晩年は2週に一度動物病院に通院することで健常を保ち、不自由なく生活した。通院を始める前は、同じ敷地に住みながら1週間も顔を合わせない時もあったから、去年そのまま死なれていたら、もっとかかわってやればよかったとずいぶん後悔したと思う。最後の1年は、夜遅く帰ると、迷惑そうな顔をされても「ただいま」と声をかけてべたべた触ったし、夏にはずいぶんブラシもかけてやった。

ナミは、17年前、生後間もなく電信柱とコの字に曲がった壁の間に落ち込み、出られなくなってにゃあにゃあ鳴いているところに、たまたま通りかかった父に助け上げられた。鳴き声を聞いて集まっていた人たちから拍手が起こって、当然世話してあげるのよねという空気が流れたので、その場で放つこともできず、家族にも無断で連れ帰った。こんな由来でうちに来た猫である。その時すでにモモという4年前に死んだ猫がおり、お互い老境に差し掛かるまであまり相性はよくなかったようであるが、そのまま一緒に生活するようになった。人間の食べ物を瞬時に持ち去る俊敏さから、ワンピースの登場人物にあやかってナミと呼ばれるようになった。その後、数年おきに2匹の猫が加わり、4匹という大所帯になった。ナミとは人生の半分を共にしているのだから、考えてみれば思い出す過去のどの節目節目にもナミはいたのだった。

ナミは、11月になると少しずつ食べなくなり、1日1日、できることが少なくなっていった。血液検査では、獣医から生きているのが不思議といわれるような数値を示し、余命を尋ねると、このまま何もしなければ1週間、皮下輸液を続ければ1か月頑張る子もいる、ということだった。病院に来るのもストレスだろうということで、獣医師から皮下輸液のやり方を教えてもらい、今後は家で行うこととなったが、獣医師の前で直接助言を受けながら行っても、どういうわけか薄い皮膚を針が貫通し、液漏れをしてしまう。ナミは、私の粗末な手技で何度液漏れを起こしても文句も言わず輸液を受け入れた。

食べないので体重も減少する一方だったが、父はナミがやっとのことでトイレに出した小粒の糞の1つにも写真を撮ってメールをよこした。翌日にはトイレに立つのも難しくなったり、階段から落ちたりするようになった。寝床にはペット用の給水シートを引いてやり、用はそこで済ませるようになった。

ある夜帰宅すると、口の中に大きな白いものができ、それが口内組織が腫れていたのか、歯垢がたまっているのか判別がつないようになっており、ひどいにおいを発していたのに気づいた。よく見ると歯垢のようなので、ナミには抵抗されたが、引っ張ると赤く血の滲んだ歯茎が露出した。全部ははがれず、それが口の外にはみ出してしまうような状態になった。悪いことをしたと思ったが、そのまま切り取るとことがいいのか分からず、獣医に見せることにした。けれども動物病院は定休日で、そこが近所にできる前に世話になっていた獣医師に、長いこと不義理であったが連れていくことにした。

予想に反して獣医師は、ナミが耳ダニに苦しんだことなどを覚えてくれていた。血液検査の結果を見せると、いわく、もう腎臓の耐用年数はとうに過ぎている、車で言えば50万キロを走った。生きているのが奇跡だと。それでもこの子は意思が強いね、目つきもはっきりしている。なかなかこんな子に触れる機会はなかなかないよ、と言い、明日主治医にみせるようにと応急処置をしてくれた。腎不全に伴う口内炎で、組織が一部壊死して癒着しているということだった。獣医師の経験則でしかないという皮下輸液の頻度や量についてセカンドオピニオンをもらい、辞去した。もう皮下輸液で様子を見ながら見守ってやる以外できることはないよ、と教えてくれた。覚悟していたことを再確認でき、かえって安心した。帰りがけ、ナミにずいぶん褒められたねと話しかけ、わが猫ながらベテラン獣医師の言葉を反芻し、ずいぶん誇らしく感じてこそばゆくなった。顔つきがはっきりしきていることはこの数日で感じていたことなので、それを肯定してもらいとてもうれしかった。ナミはまだ生きると思った。水曜日のことだった。

木曜日、点滴が切れたのでナミは父と動物病院に行き、口の中の処置を受けて自宅用の点滴一式を出してもらった。私は午前中仕事を休むことにして、帰ってきたナミをもう自力では登れなくなった出窓におき、一緒に日の光を浴びた。雲一つない鮮やかな青空から真っ白な陽光が注ぐ様子を私は忘れないと思う。ナミにはもうゴロゴロと喉を鳴らす力もないのかと思っていたが、体に耳を押し当てるとかすかに音がしていた。ナミはあと何度こうして日の光を浴びれるのかなと考えた。隣地のビルに日が隠れる前に、ナミの写真を何枚か撮った。ほかの2匹も一緒に収めたりしたが、ナミの顔を接写した1枚が忘れがたいものとなった。毛並みも悪く、かつての面影は後退し、目を閉じうなだれている様子からは、命が尽きようとしていることが瞭然なのだが、青空を背景に光の筋が差しているその顔は、どこか神々しく見えた。「辛い?」と聞くと無反応だったが、「辛かったらもう頑張らなくてもいいんだよ」と続けた。できる限り永らえてほしいし、下手な皮下輸液を我慢して頑張ってくれているのにそんな言い草もないが、いつまでもこちらの感情でナミを縛り付けることがいいこととも思えなかった。二人だけの時間を過ごし、午後から仕事に出て、この日は家に帰ることができなかった。(続)

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