感情
先に言っとくけど今日は自分語りの日。
改めて皆さんワンマンお疲れ様でした。この二日間は一生忘れられない日やと思います。俺みたいなツラがこの気持ちを口で言うのは恥ずかしいんで、今丁度暇やしこっちに書き留めておきます。
思えばSAMさんを初めて知ったのは2019年の秋頃のことでございます。
当時リア友にゴリ押しされて聴いたMAKAさんの音源にくらって、MAKAさんを起点にディグった中で「TECHNICS」でSAMさんを知りました。最初は「声いいな」って感じでとりあえずTwitterをフォローしました。ここがガチの原点になるとはこの時は全く考えてませんでした。
そこから少し時が経った2019年12月25日。いわばクリスマスですよね。もちろんモテない自分は自称進学校の冬期講習を受けて、当時の行きつけのラーメン屋で胃袋を満たして帰るという情けない1日を過ごしてました。体調悪くなって地下鉄で嘔吐しちゃったりしてて。
ほんとにクソみたいなクリスマスになることを確信していた時に、たまたまTwitterでSAMさんの音源リリースを知りました。「ROUGH」でございます。
最初は「そういやMAKAさんと曲やってた人だ」程度の認識でした。ほいでMVを見た時、自分はなんとも言えない気持ちになったんです。顔もカッコイイし声もカッコイイし、MVの雰囲気も自分が好きな雰囲気のMV。ただそれ以上に言語化できない良さを感じたんです。そこからと言うもの、今だから懺悔しますけどギガ無制限じゃなかったから家で画録して画録したものを鬼リピする生活が始まりました。ホンマにすいません。
思えば人生最高のクリスマスプレゼントという形でSAMさんにのめり込むことになったわけです。
SAMさんにのめり込んで間もなくコロナが大流行して、そのタイミングで受験と初めてのアトピー大爆発が起こって、ほんとにクソみたいな時期でした。そんな時に寄り添ってくれたのは親でも学校の先生でもなくSAMさんの音源だったんです。
現実と向き合うのが辛くて逃げようかと思った時、現実とぶつかってつまづいた時、SAMさんの声を有線越しに聴いて「まだ頑張ろう」と思えたんです。
そういう曲じゃないのは重々わかってるけど、特に「SLOW」には数え切れないほど救われました。
別に思いっきり背中を押してくれるような曲ではないけど、当時の自分では言語化できなかった感情を見事に表現してくれて
の締めくくりで、いくらしんどくても少しだけ前を向かせてくれた気がしたんです。
当時受験生をやってた中で、頭が悪いのは自覚してたのに周りから求められるレベルは高くて、同級生がいいとこに受かる中で自分は系列校の内部推薦すら落ちて、ほんとに全てがどうでもいいと思ってました。家に帰れば姉貴と比較されて、家にいても居場所なんてないしいっそのこと死のうかなと思ってました。
じゃあなんで死ねなかったかといえばもちろん怖さがあったのもそうだけど、SAMさんを生で見るまでは頑張りたいと思えたからなんです。
そんなこんなで大学進学は果たし、でもコロナの兼ね合いで学校もあまり行くことなく、持ち前のコミュ障も相まって友達もできずに孤独でいた時、やっぱりSAMさんの声に救われてきました。一回もあったことも喋ったこともないのに、「SAMさんはこんな俺の味方でいてくれている」と勝手に解釈することで何とかしてきました。本人からしたらたまったもんじゃねぇだろうけど。バイト始める時も10回以上は面接に落ちて、結局採用されるまでに半年かかりました。そんな時も自分に対する情けなさから消えてしまいたいと思ってました。じゃあなんで消えてないのかといえば、やっぱりSAMさんの姿を生で見たいという気持ちの一点張りでした。
自分は基本的に何もできない情けない人間で、そりゃ消えたいと思った事なんていくらでもあります。そんな時にメンタルが何とか地獄の底に落ちきらずに済んだのはSAMさんがいたからでした。
ズルいかもしれないけど、こちとらSAMさんが思ってくれてる以上にSAMさんに救われてきてて、これはもうどうしようもないんです。どんな言葉を用いようが、どんだけ時間をかけて話そうが、この想いの1割も伝えられないんです。しんどい時期にこんな俺を唯一支えてくれたのがSAMさんの音源だったんです。だってそうなんですもん。しょうがないじゃないですか。
SAMさんのLIVEに行くようになってから色んなことが起こりました。栃木を始め新潟や茨城など行ったことのない土地に沢山行き、年齢も出身地も何もかも違う友達と出会って、一緒にどんちゃん騒ぎしたりして。まさかこんな人生を歩めることになるなんて高校を卒業した頃は微塵も思ってませんでした。全て全てSAMさんがきっかけなんです。
初めて枚方にLIVEを見に行った時、20歳を越えてたのに宿泊が許されなくて終電の時間で途中退室したときに俺はもう無理だと正直思ってました。親の勝手な都合でSAMさんという俺にとっての生命線まで断ち切られるのかと恨みました。
数ヵ月後に初めて行ったカポで初めてプライベートのSAMさんにお会いした時、枚方のことも覚えてくれてた上に初対面の大学生の拙い熱弁を笑顔で聞いてくれて、どれだけ懐深いんだよと思ったものです。酒飲んで顔を真っ赤にした自分がtruthをずっと間違えている発音で言ってたのも何回もスルーしてもらって、人間としても一気に惚れてしまったんです。
同性の人間性で惚れてしまったのはSAMさんが最初なんです。いつも優しいじゃないですか。こんな俺に対してでも。ズルいってのはこっちのセリフなんですよ。どれだけ伝えても感謝の気持ちは伝えきれなくてもどかしいくらいですよ。
ワンマンライブが始まりセットリストが進んでいく中で、自ずとその曲を聴いてた時に起きた出来事が走馬灯のように蘇ってきたんです。色んな失敗をしてメンタルが落ち切りそうになった時に結局SAMさんの声に救われてきたんだと思ってたら、そら涙も出ますわね。
なんてSAMさんはよく言うけど、正直感情が高ぶってるのに涙が出なくて、自分で勝手に「薄情」とレッテルを貼って首を絞めてたことがココ最近何度もあったんです。今回もワンマンもあくびの副産物レベルの涙が最初ちょくちょく出てた程度で、今思えばずっと強がってました。
でも、第二部でlapis lazuliがかかった瞬間に、今まで強がってた涙腺がやっと感情に正直になってくれました。ほとんどステージを見れないくらい涙が溢れました。中々感情に素直になることが難しいと悩んでた中で、やっぱり今まで俺を支えてくれたSAMさんの肉声を聴き続けたらスイッチが入っちゃいました。嗚咽するくらい泣くなんていつ以来かもわかんなくて、みんなに見られてなくて良かったななんて今になって思うわけで。
ずっと支えてきてくれたSAMさんの節目の大舞台を生で見れたことが自分の誇りなのです。おちょけの側面もシリアスな側面も全てSAMさんの現時点での集大成を目に焼き付けさせていただいたわけで、SAMさんと出会えてほんとに良かったと心の底から思いました。
SAMさんは曲でも物販でも「いつもありがとう」と言ってくれるけど、やっぱりそれはSAMさんが思ってくれてる以上に自分は感じてて。こんなに楽しい時間がいっぱいできるなんて少し前じゃ夢物語でしかなかったんですよ。どれもこれも全てSAMさんのおかげなんです。
いくら口にしても文字に起こしてもこの気持ちは伝え切れる日はこないです。今の自分がいるのはSAMさんがラップし続けてくれたからです。SAMさんと出会えたことで自分の世界に色が足されたんです。愛をこめて、本当にいつもありがとうございます。絶対これがSAMさんの目に留まることは無いんだろうけど。
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