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すべての人は自分の視野の限界を世界の果てと勘違いする(ショーペンハウアー)
すべての人は自分の視野の限界を世界の果てと勘違いする(ショーペンハウアー)
アルトゥール・ショーペンハウアー(独: Arthur Schopenhauer,1788年2月22日 - 1860年9月21日)は、ドイツの哲学者。主著は『意志と表象としての世界』(Die Welt als Wille und Vorstellung 1819年)。舞台発音ではショーペンハウエル、ショウペンハウエルとも。
エピソード①
高校二年の4月のこと。室長や副室長を決める選挙の時のことでした。悪友たちが私の知らないところで私を陥れる話をしていたようなんです。勝手に私を室長に推薦して、示し合わせて投票してしまい私が室長に決まってしまった。
私は勉強時間が削られる室長なんて役割はまっぴらごめんだったので、苦し紛れに挙手をして
「ボクは赤面症なので、人前に立って話をする室長なんてムリです!」
と言ってみました。
そのとき、隣の席に座っていたOくんが突然
「本人が嫌がっているからやめさせてやれば?」
と発言したのです。このOくんは校内で有名な学年トップの逸材で、さすがの悪友どもも彼の言葉は無視できませんでした。おかげで、私は室長にならずにすんだのです。
エピソード➁
大学入試の5日前のこと。二階で勉強していたら身体が突然痙攣しだしてそのまま近所の病院に入院させられました。2日後には入試の本番が迫っていました。お医者様の診断は
「これはノイローゼです。受験は止めた方がいいです。試験の途中で倒れますよ」
というものでした。
しかし、諦めきれるわけがないじゃないですか。私はドクターストップを無視して受験会場に向かいました。合格した理由は、今も分かりません。ただ、自分をノイローゼに追い込んだ日本の受験制度を呪いました。
そんな私が「教育学部」を選んだのは、合格しやすい学部だったからです。教師なんて赤面症で受験指導という言葉に生理的嫌悪感を持つ私には無理なのにね。
ところが、大学に入学して(貧乏学生だった私が)できる一番お金になるバイトは「家庭教師」だった。教育学部卒で家庭教師の経験がある私は、失業した時に塾講師しかできる仕事がありませんでした。
英語は英検1級に合格していたのですが、生徒たちは数学の解けない問題を教えてくれと言いました。そこで、文系なのに高校の「数学Ⅰ、数学Ⅱ、数学Ⅲ」の学び直しをするハメになってしまった。
最初に本屋に行って「オリジナル」を手にとった時は、ノイローゼで倒れた苦い思いが蘇りました。しかし、その時には私は結婚して娘が三人いて養育費や学費を稼がなくてはならず引き下がるという選択肢はありませんでした。
「また、ノイローゼか?」
と自嘲しつつ問題を一問一問解くしかありませんでした。
結局、自信を持って数学の受験指導ができるまでに10年近くかかりました。「オリジナル」「一対一」「チェック&リピート」「赤本」という問題集をそれぞれ2回ずつ。京大模試を10回。センター試験を10回。京大二次試験を7回受けました。
高校生の頃は、数学が苦手で文系に進んだ私でした。しかし、40代で必要に駆られて数学を学びなおしたら予想外に楽しいものだった。もう生徒の前に立っても赤面症の症状はでません。ノイローゼで倒れることもありません。
若い頃に自分を決めつけないで、年齢に関係なくチャレンジを続けることをお勧めします。
すべての人は自分の視野の限界を世界の果てと勘違いする(ショーペンハウアー)