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フジテレビの凋落

フジテレビの凋落
序論
フジテレビは一時期、視聴率三冠王を達成するなど、日本のテレビ業界の頂点に君臨していました。しかし、その輝かしい時代から現在に至るまで、フジテレビは視聴率の低迷や影響力の減少という問題に直面しています。この凋落の背景には、日枝久氏の長期にわたるリーダーシップとその統治体制が大きな影響を及ぼしていると考えられます。本論では、フジテレビの成功から凋落に至る経緯を振り返り、その要因を分析します。
フジテレビの黄金時代とその成功要因
1980年代から1990年代にかけて、フジテレビは「楽しくなければテレビじゃない」をスローガンに掲げ、斬新な企画やタレント重視の番組制作で大衆の支持を集めました。特に、バラエティ番組やドラマでのヒット作は数え切れません。
この時代の成功要因には、以下の点が挙げられます:

  • 革新的な番組企画とプロデューサーの自由な裁量

  • 若手タレントやスタッフの積極的な登用

  • 広告主や視聴者ニーズを的確に捉えた編成戦略

日枝久によるグループ支配の強化
フジテレビの凋落を語る上で欠かせないのが、日枝久氏の存在です。日枝氏はフジサンケイグループの中で権力を掌握し、長期にわたる支配体制を築きました。
クーデターによる実権掌握
中川一徳の『メディアの支配者』によれば、日枝氏は鹿内宏明氏を追放する形でグループの実権を掌握しました。このクーデターは、日枝氏が他の役員と手を組み、多数派を形成することで実現しました。宏明氏が進めていた持株会社設立計画に反発したことが、追放の直接的な理由とされています。
支配体制の問題点
日枝氏は権力掌握後、周囲に「イエスマン」を配置し、異論を排除する体制を構築しました。この体制は短期的には安定をもたらしたものの、長期的には組織の硬直化を招きました。特に以下の点が問題視されています:

  • 多様な意見や新しい発想の排除

  • 人材育成の停滞

  • 視聴者ニーズへの対応力の低下

フジテレビの凋落の要因
フジテレビが凋落した要因として、以下の点が挙げられます。
編成戦略の失敗
2000年代以降、フジテレビはかつてのような斬新な番組企画を生み出す力を失い、視聴率が低迷しました。視聴者の嗜好が多様化する中で、既存のフォーマットに固執した結果、競合他社に遅れを取ることになりました。
人材流出と内部競争の衰退
長期的なトップダウンの経営体制は、優秀な人材の流出を招きました。また、内部競争が活発でなくなり、クリエイティビティが低下しました。
デジタル化への対応の遅れ
インターネットや動画配信サービスの台頭により、テレビ業界全体が転換期を迎える中、フジテレビはデジタル化への対応が遅れました。他社が動画配信プラットフォームを強化する中、フジテレビは後手に回りました。
日枝体制の終焉と今後の課題
日枝氏は89歳までグループ内で「天皇」と呼ばれるほどの権力を維持しました。しかし、長期的な支配体制がもたらした弊害は大きく、フジテレビの凋落を食い止めることはできませんでした。
フジテレビが再び復活するためには、以下の課題に取り組む必要があります:

  • 若手人材の育成と登用

  • 視聴者ニーズに応える柔軟な番組編成

  • デジタル化や新技術への積極的な投資

結論
フジテレビの凋落は、日枝久氏による長期支配体制がもたらした組織の硬直化と、変化するメディア環境への対応の遅れが主な要因です。フジテレビがかつての栄光を取り戻すためには、内部改革とともに、新しい時代に適応する戦略を模索する必要があります。

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