学歴コンプのおたけび
学歴コンプのおたけび
学歴の始まりはいつなんやろ?いつから就職する時に「学歴欄」ができたんやろう?まぁ、そんな詮索は学者に任せて今の日本では学歴が高いほどいろいろ特典が多いわけやさかい頑張るしかあれへん。
現役の高校生の頃は
「学校の英語のせんせは、どんな問題が出ても100点をとれる」
やら
「参考書どおりの英作文を書いたら、100点をとれる」
と、無邪気に信じとった。
せやけど、その考えが間違いであると気づいたのは名古屋大学教育学部を卒業して塾講師を始めたときのこっちゃ。その塾におった講師の方たちは、生徒の質問に答えることにしばしば窮して大学を卒業したばっかりのうちに助け舟を求めてきた。
そんなうちも名古屋大学卒で、京大受験生の指導を担当させてもうたときは
「自分で指導できるんやろうか?」
と、確信を持たれへんかった。だって、京大に合格したわけやなかったさかいね。
それで、なんしか「海外生活」「英検1級」を目標にした。お金があれへんさかい正規の留学やら考えられへんかったけど、幸いある「交換教師プログラム」の試験に合格してアメリカのユタ州ローガンの中学教師をするチャンスに恵まれた。
ほんで、帰国後に猛勉強して「英検1級」「通訳ガイドの国家試験」「観光英検1級」「国連英検A級」「ビジネス英検A級」やらに合格した。
「これで、京大受験生を指導できる」
と、自信を持ったもんや。
ところが、生徒の保護者から
「英検1級と京大二次試験で8わりかしるのと、どちらがややこしいのやろう?」
と、不信感とも言える質問をもろてもうた。ほんで、50代の頃に京大を受けて8割超をとること実証させられるハメに陥った。
成績開示をして、保護者の方からは信用されるようになったものの 「英語ができること」って何なのか疑問を持ってもうた。今はコンピューターが驚異の進化を遂げて、和訳も英作も瞬間的に行ってくれる。
苦労をして外国語を身に着ける必要はあるんやろうか?
英語を勉強してきて良かった思たのは、以下の3点
1,英語圏に友達ができた
対面で、翻訳機を介せへんで話せると友人ができやすい
2,日本語の特徴を再認識できた
女語、男語、老人語、若者語やら日本語の複雑さが分かった
3,脳の健康にええ。ボケ防止
脳の健康維持には、パズルを解くより語学学習の方がええ
大学入試の長文問題は、医療・情報・哲学・科学やら内容が多岐にわたる。そやさかい、おもろうて最新の話題に置いてきぼりをくえへんくなる。好奇心を持ち続けられる。人々から信頼も得やすなるし、収入も確保できる。ええことづくまんかい。
うちは周囲のようさんの塾がつぶれていくのを見ながらわしは生き残ってきた。そら、うちは「けったいな人」やったさかいや思てる。酒もタバコもギャンブルもゴルフも、中年男性がやりそうなことは一切やれへん。
近所づきあいも悪い思う。クリスチャンやさかい、お祭りやらの神事も仏式の葬式も出席せえへん。これじゃ、蛇蝎の如く嫌われて当然やろうな。
そこで生まれた時間とエネルギーを英語の勉強や微分・積分の問題練習にあててきた。別に悲壮な決意ちゃうくて、楽しいさかいそうしてきた。
ある生徒は
「オレを分からしてみぃ」
言い、ある保護者は
「1万円支払うたら1万円分の成績を上げるのが当たり前」
言うた。
うちは、塾を始める時にこのような生徒や保護者を想定してへんかった。本気で
「塾をやめよかな」
思た。そんな生徒に英検1級の英語力も、京大二次の数学7割の数学力もまったく必要あれへんのやさかいアホらしなったんや。
それで「警告3回」制度を作って、素行が極端に悪い生徒を塾から追い出すことにした。賢い生徒から
「あの子ぉたちを止めさせへんなら、うちらが塾をやめる」
言われたことも、うちの背中を押した。
結局、地元中学の上位1割、地元県立トップ校の生徒、中高6年制の特待生レベルの子ぉばっかりが集まる塾になった。