命日に母が来た
亡くなった母が命日に、家へ来た。
本来であれば、近くの連休を利用して実家へ行くなどして、命日の墓参りをしていた。
毎年そうしていた。
だが今年は、夫の仕事の忙しさに気を取られてその日が命日だという事をすっかり失念していた。
その日の昼頃、実家からの墓参りの報告でやっと思い出したのだった。
父達は、こちらが忙しいことを察して、予定などもわざと聞かないでくれていた。
午前中、私はその日が命日だということを忘れて(ひどい娘である)、台所の掃除をしていた。
食器棚を整理しながら、一段一段全ての物を取り出し、賞味期限切れのものを捨てたり、早く食べなくてはいけないものを先に出したりしていた。
その中に、随分と前に買った賞味期限切れの「ずいき」という、
芋のつるを干したものが出てきたので、
何年かぶりにそれを食べようと思って、水で戻す作業などをしていた。
これは私が、無意識でただ何となくそうしただけだと思っていた。
ところが、今日が命日だと昼頃に気がついて、「ハッ」とした。
「お母さんだ!!」と思った。
「ずいき」という食材は一般的には知られていないと思う。
私も生きてきて何度かした食べたことがないが、
その何回かというのは母が昔、味噌汁に入れて作ってくれたものだった。
それは母にとって、「懐かしい味」らしかった。
ずいきを買ったのは、たまたま道の駅かどこかで売ってるのを見かけて母を思い出したので買った物だったが、
水で戻す作業などがおっくうで、ずっと食器棚で眠っていた物をその日なぜか
気が向いたので出したのだった。
それだけでは終わらなかった。
子供が夕方ごろ、急に銀河鉄道の話を熱心に話し出した。
ジョバンニとカムパネルラの考察つきで、
「この状況は三途の川を表しているんじゃないか」とか、
「その時間はきっと寿命を表していたにちがいない」とか、
「ジョバンニを助けようとしたカムパネルラが死んでしまった」事などをとても熱心に話していた。
その本はもう3年くらい前に学校の図書館で借りた本で、
何で今、急に思い出したようにその話をするのか聞いたら、
「来年の読書感想文はこれにする。」という事らしかった。
「銀河鉄道の夜ならどれだけでも感想文を書けるなあ」と言っていた。
「1年も先の事をなぜ今?」と同時に、
「3年前に読んだ本の感想をなんで今日言うのか」と思った。
私の母は信じられない量の本をコンスタントに読み続けられる人で、
図書館に毎週のようにに10冊位借りてきては、それにふせんを貼るなどしてちゃんと読んでいるような人だった。
私が知っている中で誰よりも読書家だった。
後から考えたら、もしかしたら母が来て子供と話をしていたのかもしれないと思った(子供にその自覚は無いにしても)。
だから、それが母だと気が付いてもらう為にわざわざ「三途の川」や、
「寿命」の話などをさせたのかもしれない。と思った。
それと、子供の読書感想文の直しも母はしてくれた事があったから、
「銀河鉄道の夜の感想文を書きなさい」と言いに来たのかもしれない、とも思った。
母は生きてる時もだいぶ変わった人だったけど、亡くなってからもこういう事をするので、面白い。
(母が亡くなった翌日、夫に挨拶に来た話。→過去記事)
もう一つ、私が母だと信じているものがある。
母が亡くなってから毎年、母の誕生日にはなぜか蚊とんぼが現れるのだが、
それも私は母だと思っている。
母が亡くなって最初に迎えた母の誕生日の朝、リビングの雨戸を開けた少しの隙にスッと入ってきて、
ずっと天井をフワフワと飛んだりとまったりしていた。
その時の写真
↓
家の中に蚊とんぼが入ってくるなんて初めてだった。
蚊は小さいからよく入ってしまう事はあっても、
初めの年に入ってきた蚊とんぼは、体長7〜8センチ位の大きな蚊とんぼで、
普通ならそんな大きな虫が入ってくる事は無いのに、
一瞬の隙をついて入ってきて、捕まらないよう、
すぐにに天井へ行ってしまった。
実は「蚊とんぼ」は、父が母に付けたあだ名のようなものでもあった。
父はいつも常に母に家に居て欲しい人だったから、母が出かける時は毎回、
「お母さんは蚊とんぼみたくすぐにフラフラと出かけてしまうからなあ」
と、小言を言っていた。
母は小言を言われる事が分かっているから、
出かける日はいつもより余計に早起きして家事を全て終わらせ、
なるべく何も言われないようにして出かけて行った。
そもそも母はそれほど外出が多いタイプでは無かったのだけど、
父の焼きもちからついたあだ名のようなものだった。
母がわざわざその蚊とんぼになってうちへ来ていたのだとしたら、凄く面白い。
何で、寄りによって蚊とんぼ?と思っていたが、それ以外に母が来た、
と分かるようなものが無いから、
亡くなった今となっては母にしてみれば、
分かってもらえるために丁度いい、くらいに思って蚊とんぼを選んだのかもしれない。
不思議な事に、蚊とんぼは母の誕生日に必ず現れ、
リビングに入ってきたのは最初の年だけだったけれど、
去年は子供が登校する時間に、玄関の前でずっと飛んでいたりと、
何かと毎年現れるのである。
しかも母の誕生日はまだ寒い日も多く、
蚊とんぼは普通は見かけない時期なのに、
毎年やってくるのだから、私はもう母だと思ってしまっている。
私は見えない世界のものが全く見えないけど、それを母は知ってるから、
ちゃんと色んな形でいることを教えてくれるのだと、勝手に思っている。
ちょうどこの前の配信で、腸のパーマについてこんな話が出ていた。
コアちゃんが緊張をしなくなったという話の中で、
パーマがコアちゃんに緊張をしない感覚、というのを教えた方法を話していた。
パーマはその人に乗り移って、緊張をしない感覚を教えてあげるのだそうだ。
それをされた講演会から、コアちゃんは緊張しない感覚が分かって、
大勢の前で話していても緊張しなくなったそうだ。
また、今パーマは秋田のとあるホテルで働いていて、
掃除をしたり、ご飯を出したりしているそうだが、
トイレ掃除の仕方を従業員に教える時に、
「トイレの掃除は、こういう風に真面目にするんだぞ」と、従業員に乗り移ってその感覚を覚えてもらうのだそうだ。
やっぱり、乗り移る、ってあるんだな。と思った。
私の体に母が乗り移って、ずいきを出していたのだとしたら、ほんと、面白い。
なので、お母さんも食べたいだろうと思って、
その日の夕飯でずいきを食べる時に、
「お母さん、ずいき食べるよ。乗り移って」と言って、
一緒に食べた。美味しかった。
きっと、「味付けがうまくなった」と言ってくれてたと思う。
お墓参りには、後日行きました。
とってもスッキリしました。
のどに刺さっていた魚の小骨がやっと取れたようでした。