先日、近隣の町で開催されていた障害者も障害がない人も関係なく参加できるスポーツ大会を娘と見学してきた。大会は障害者にも配慮されているし、かと言ってすごい気を遣っているという感じではなくて、みんなが和気あいあいと参加できる感じですごくいいな、と思った。 応援席でリレーを見ていたら、娘の隣に高齢のご婦人が座った。私の母と同じ年らしいが、まだ運転もしているし、こういった地域の行事には必ず足を運び外出しているらしく、それが若さを保つ秘訣なんだなと感じた。 すると、ご婦人が大会に
よく知的障害を発達障害と括られることがあって、確かに知的障害を持つ人は発達障害も持ち合わせてる人が多いんだけど、中には発達障害でも知的障害がない人もいるんだよなー。とモヤモヤした頭の整理をするためにこちらを購入。この本には知的障害と発達障害の関連が図になっていて、とてもわかりやすかった。 何でも医学的には発達障害と知的障害は同じグループとして見なされているのに、法制度では発達障害と知的障害は別々のものとされている。それ故に取得できる手帳も違えば、利用できる支援もそれによる。
梅宮アンナさんが乳がんに罹患したということで、ご本人がメデイアに出演されていた。 そこで、病気になってかけて欲しくない言葉について話されていたんだけど 「頑張って」という言葉が辛いと言われていた。 これはガンに限らず、鬱の方にも使ってはいけないと言われる言葉なんだけど・・・ 闘病を3回した私の感想(!?)としては、「頑張ってね」と言われてちっとも嫌な気持ちにはならなかったし、むしろ嬉しかった記憶がある。なので、もしあのTVを見て、私に頑張って、と言ったことを少しでも後悔
コロナに感染してしまった。幸い症状は軽い。 本当は娘たちを夏祭りに連れて行く予定だったけど、もちろんキャンセル。とても楽しみにしていたから、がっかりしていたけど「いいよ」と言ってくれた。 「本当にごめんね」と右子に伝えると 「ごめんねってもう言わないでいいよ」と言った。 そんなこと言われると、ぎゅっと抱きしめたいけどコロナだからぐっと我慢。 「ごめんね」私の母がいつも言う言葉だ。足腰が弱いから買い物に連れて行ってあげると 「ごめんね」 何かやってあげる度にそう
日本では最高齢の女性監督でもある山田火砂子監督。 ご自身にも障害を持つお嬢様がいらっしゃるそうで、これまでに数々の福祉に関する映画を作られている。(なんと監督になったのは70歳過ぎてから!) 山田監督の映画を観るのは今回が初めて。土砂降りの雨の日だったけど観れてよかった。 まず、キャストが素晴らしかった。あと、本当に障害のある方を配役していたのもよかっった。流石に主人公の知的障害のあるお母さん役は寺島しのぶだったけど、エキストラには大勢の障害がある方が活躍していた。
昨年からナミアゲハの育成にいそしんでおります。 ナミアゲハは柑橘系の葉っぱに卵を産むので、その為にレモンやライムの苗を購入。 果実を育てたいのか、蝶のエサを育てたいのか分からない始末(笑) 今年も春になるとナミアゲハの卵がたくさん葉っぱについていた。そのうち5つを採取して育てることに。 4月末に採取した卵は約1か月後に次から次へと美しい蝶に変身。 その変身の過程は本当に驚くことばかりで、あんなにギザギザしてた幼虫が いつのまにかツルんとした青虫になり、そしてバルタ
そういえば双子の娘たちを紹介するにあたりnote内で名前を付けていなかったので、今日は名前をお伝えしたいな、と思います。 一卵性双生児の姉は「左子」。妹は「右子」です。お腹の中に居たときのポジションから命名。 さて、GWは娘たちがグループホームから帰宅して賑やかな日々をすごした。久しぶりに遊園地にも行ってみた。左子は乗り物大好き。右子は怖がり。ちなみに旦那も怖がりということで、私が左子といくつか乗り物に乗ったけど、その中でも空中ブランコは最高に気持ちよかったな~! 一卵
大学3年生の春が始まった。未だに何を目指しているのか分からないけど、障害児・者に関して少なからずも何か役に立てることをしたいと思っている。とにかく、50歳を過ぎて学ぶがあることはとても楽しい。 今学期は児童と家庭福祉を履修している。その中で「障害児を持つ親の障害需要の過程」ということを学んだ。 学んだ、というか「ああ、そうだったよな・・・」と自分に重ねてしまう内容でちょっとセンチメンタルになってしまった。 障害受容の過程については、いくつかの説があり ・Drotorの
障害児・者を抱える人の為の「親なきあと」のことを考える勉強会に参加してきた。お金のことや、成年後見人の制度のことなどシリーズ化して継続的に学べる場で「え!そんな制度があったのかい!?」なんてこともあって参考になる。とかく、役所は申請制度なので知らないともらえない助成金とか(でも止めるときは間髪入れずに止められる)が結構あるので、親同士の情報交換もできて、この勉強会はとても貴重な時間。 障害のある子の親なき後は、その時になってみないと分からない。財産の状況だって、もしかしたら
映画「うさぎのおやこ」を観てきた。 これから観に行く人もいるかもしれないので、ネタバレにならないくらいにしときます。 内容は軽度知的障害のある娘(22才)が主人公。パチンコばかりしてほぼネグレクトの母、そして精神科医が織りなすストーリー。 主人公の女の子にも、そして母親にも自分の気持ちを重ねて何度か泣いた。 知的障害のある女の子が風俗に足を踏み入れるという話は、映画ではフィクションであっても実際によく耳にする現実の話でもある。 背景には契約時に意味がわからずサインを
今日は母の誕生日。 毎朝、生存確認の為に7:42(なぜかこの時間)にかかってくるライン通話。 いつもだいたい、 母「今日も変わったことないからね」 私「は~い」 と最短12秒で終わる会話。 でも今日は 「お誕生日おめでとう。83歳だよね。」 「82だよ。」 「あ、ごめん。」 といつもよりちょっと長めの会話。 そして母が「なんだか長生きしちゃってねえ・・・」とスマナソウ~に言いだし、思わず 「長生きしてえらいヨ!」と上から目線の言葉を投げかけてしまった。
知的障害や福祉関係の調べものが多いせいか、ネットニュースとかSNSではそういった関連の記事がよくあがってくる。 今日は不妊治療の末にやっと授かった子に障害があったという記事で、出産してからの葛藤やこれまで育ててきた中での様々な思いや気づきなど、自分の思いと重なる部分が多くて読み入った。 決して感動ポルノのお話ではなく、障害児を育てる親なら、もしかしたら一度は思ったことがあるかもしれない「ある気持ち」などを正直に綴ってある記事だった。 少し前には障がい者のグループホームを建
何かを始めたいな、って思う時って 今まで楽しかったこと、辛かったこと、乗り越えてきたことなどの経験や 子供が知的障害があるから故の体験や知識 病気をしてからこそ見えてきたもの そんなものの中から 「自分にはこれができそう」 て感じで選びがちだった。 もちろん、それらがあってこその今の自分だし それを否定している訳じゃない でも一旦、そんな経験や体験は横に置いといて それらがなくても好きなものや、やりたいことってなんだろうか いわゆる魂が求めている
怒涛の数ヶ月がやっと過ぎた気がする今日このごろ。 何が忙しかったって、娘たちが成人式を迎えるにあたりバタバタバタバタ、気持ちもソワソワソワ。 市の成人式典には周りの障害があるお友達はみんな出席しないと言うし、娘たちも行かないだろうな、とたかを括っていたら 「保育園のお友達に会いたいから行く」 と言い出した。保育園時代の友達って、卒園して以来、学校も別々だったから誰にも会ってないんだけど・・・でも保育園の頃の何かが心に残っているのなら、その気持ちを尊重しよう。 嗚呼
実は(って誰にも聞かれてないけど)数ヶ月前から知的障害者のガイドヘルパー(移動支援員)を始めました。 今年、行動援護とガイドヘルパーの講習を受講したんです。 きっかけは、今、運営をしている知的障害者の余暇活動サークルに役に立てば・・・という、かる〜い気持ちで。あとは娘たちを育てる参考になればという思いもあり。 講習会参加者は現役ヘルパーさんが多く、事業所から勧められて参加してる方ばかり。知的障害者の親は私とあと1人くらいだったかなあ。 とにかく、この講習はこれまで20
これまで3度の乳がんに罹り4年前には両胸を切除。両胸を失ってからは大好きな温泉に1人で行くことを躊躇していたけど、突然どーしても温泉に入りたくなりこの際1人でチャレンジしてみることにした。 これまで友達とは何度か温泉に行ってみたけど、そこで学んだのは 人はそれほどジロジロみてない そう、気にしているのは自分なのだ。 わかっちゃいるけど、でも、でも〜という押し問答で4年間過ごしてきた(笑) その「でも」の中の一つが 「子供が見たらどう思うのか」 だった。大人なら