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課題解決と消費社会・市場経済との関係について

最近忙しくて記事が滞っていました。新聞も週末もまとめ読み状態。。我が家はテレビもないので1週間、情報から遮断される感覚があります。年齢とともにニュースを見ると溜息しか出なくなるというか、自分の仕事で出会う子どもたちや、その周りで苦労している親や、教員や、NPOスタッフや、経済的に決してゆとりがあるわけではないのに少しでもよくなったらと寄付してくれる寄付者のみなさんの顔が浮かぶ中で、裏金の話やら、不正の話やらを見ると、塵積精神で頑張っている私たちの努力を踏みにじるなー!バカにするなー!という気持ちがわいてきてしまいます。。なので、1週間情報から遮断されると、精神衛生的にはちょっと楽になるこのころでした。苦笑

話しがそれました。笑 今回は子どもの話からはそれるのですが、深いところではつながっていると思い、こちらの記事。SDGsという言葉がかなり浸透してきた中で、世界中で再生可能エネルギーに代替していこうという動きがあるのはみなさんもよくご存じだと思います。

再生エネルギーを再資源化するのにどれくらいの廃棄物やエネルギーが必要なのか?

それが、10年後から耐用年数が来て、大量に破棄処分されるというニュース。インターネットで調べると太陽光パネルの耐用年数は20-30年ほどということです。

少し前に話題になった、斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』でも詳しく書いてありますが、再生エネルギーは一見環境やSDGsによいかのように見えて、再生可能エネルギー設備を作ったり設置する際に、大量の希少金属や化学燃料、CO2排出があるということは見過ごされていることを指摘していました。そして今回のニュースになった、今度は破棄と利活用のために、どれくらいのエネルギーが必要となるのか、という点も視点として加えなければなりません。

著者は再生エネルギーに移行すること自体に問題意識を持っているわけではなく、結局成長を加速させながら課題をきれいに解決してくれる方法はなくて、成長自体を緩めることや、自分自身の生活や価値観を見直していくこと抜きには本質的な改善にはならないといった話でした。(私の解釈です)それは個人レベルよりも、企業や国レベル、世界レベルで意識を変えていかなければ追い付かないということで、「再生エネルギーとかエコバックで解決した気になるなよ」ということを、数字をもって批判しているような内容でした。

SDGsは全く解決していないのに、解決した気にだけさせる「現代のアヘン」とまで揶揄しているのが印象的で、正直子ども支援、とりわけ貧困などで生活苦の家庭と子どもたちを見ていると、この表現はあながち間違ってないと感じます。PRとかに惑わされず、私たちがちゃんと向き合わなければいけない事実がそこにあるのでは?と思うものでした。

保育園、幼稚園無償化は貧困解決につながるのか?

子どもの支援にどうつながるの?という感じですが、SDGsの中には貧困解消や、すべての人に健康と福祉を、質の高い教育をみんなに等というものもあります。子ども支援や貧困等においても、その問題がみんなに知られれば知られるほど、問題が深くなればなるほど、課題解決の本質よりも、目くらましのような政策、みんなにとって耳障りのいい政策が増えていく印象があります。

例えば、旧安倍政権下で3歳児以降の保育園・幼稚園料が無償化されましたが、こちら一見貧困解消につながりそうですが、もともと保育園料は所得に応じて支払金額が決まるので、低所得の方は今までも安く利用できていました。

なので、どちらかというと今までお金を払っていた中所得者層以上のための政策で、ざっくりいうと所得が多ければ多いほど、これまでとの差額が大きくなる政策なのです。この政策後、私の通っている保育園や友人等でなにが起きたかというと、浮いた数万の保育園代を習い事に充てたことで習い事にいく子がいっきに増えました。また、キャンプや旅行(1回数万円・・)に充てる等が見受けられました。しかし、これまで保育園料を払っていなかった層にとっては何も変わっていなく、低所得なのでこれまで通り食事や生活費でお金がなくなり、習い事等に使うお金は余っていません。結果、幼児期のあらゆる格差は広がるという政策になったのです。教育格差は幼児期の習い事や、体験活動などの時間で最も広がるということが研究でも見えてきましたので、教育格差拡大に絶大な影響を及ぼす政策と言えるかもしれません。

さらに、少子化や共働き世帯の増加等で経営難が問題視されていた幼稚園が、この政策によってお金がかからないなら仕事辞めて幼稚園に入れようという動きにもつながったのではと思います。私の周りにも、女性ばかりですが、仕事をやめて幼稚園に入れるケースは見受けられました。それは個々人を責める話ではなく、当然の流れだと思います。森友学園のこともありますが、安倍さんは幼稚園の経営にはずいぶん熱い思いがあるのかな?という感想を持ちました。

耳障りのよい政策は課題解決につながってない?

これは目くらまし政策の一つの例ですが、もっとわかりやすく課題解決しているつもりの政策が、前回の記事で触れた、以下のものではないでしょうか。

トー横問題を早く解決したい、子どもたちがトー横にたまっているのを見るのがつらい。そんな思いをかなえてくれるにはピッタリのように見えます。しかしそんな簡単な解決はなく、かえって課題解決の本質から遠ざけてしまうということは往々にしておきます。

本質的にはじゃあ、どうすればいいのか?はとても難しいものですが、格差解消の究極は、お金で買えるものを減らすことだと思っています。つまりは、パブリックリソース、パブリックスペースを増やしていくこと。パブリックなものの最たるものは、図書館や公園です。

子ども時代に利用できるもの、サービスに有料のものが多ければ多いほど、当然ながら利用できる人と利用できない人には、経済的なゆとりによって格差が生まれます。子どもの権利を等しくするためには、究極は子どもが利用できるあらゆるサービスを無償化していくしかありません。保育園や幼稚園だけ無償にしても、結局他のものが市場化されていれば、格差は広がります。

2月にフィンランドに視察に行ってきましたが、子どもが利用できるものは教育、福祉、文化サービスすべて基本無償でした。日本には子どもの教育や、子連れレジャーは大きな市場になっているので、これを変えるのは経済界から大きな反発がありえます。ここまで市場経済に依存している国になってしまうと、なかなか本質的な改善は難しいと感じます。

斉藤幸平さんの著書の結論と同じで、結局は経済成長を緩めるということが本質的な課題解決になるのだと思うのですが、斉藤幸平さんの著書が「資本論」と入っているように、これは後年のマルクス主義を継承した考え方で、資本主義大国の日本で受け入れられる話ではなかなかありません。

ましてや小泉政権以降は、小さい政府をめざし、パブリックなものは最小化し、市場経済の活性化に国も全力を注ぐという新自由主義的な流れが加速している中では、公共財を増やすというのは、なかなか真逆の発想だろうと思います。

1回数千円の工作イベント、出口にある物販コーナーに抗う日々

じゃああなたはどうしてるのよ、と聞かれれば、
我が家も年長の子どもがいて、土日に習い事や旅行に行く家庭が増えて、土日に遊べる友達が減っていき、親も土日フルでは遊べないので、土日に遊びのような習い事を入れました。

そうすると、周りは「あそこも習い事入れてるのか」となり、焦ってまた習い事の連鎖が起きます。

公園(遊具が少なく4歳以降行きたがらない・・天気が悪いといけない・・)や子育て広場(2-3歳までのおもちゃが多い・・)も毎週同じところに行っても子どもが飽きてぐずってしまうので、結局お金のかかるイベントや場所(工作するのに数千円かかる・・・水族館も数千円かかる・・)にいくしか選択肢がありません。そしてそういったイベントや場所に行くとだいたい出口や最後には、物販販売があります。なんなら物販を購入すると、さらに得られる特別な景品があったりします。わが子も、まんまとそれに目を輝かせ、子どもの気をそらして出口をササッと出たり、「なんでうちはダメなのー!」と泣き叫ぶ子どもに「うちはうち、よそはよそ!」と、毎回伝えながら消費しきって、時々根負けして買ってしまう、というのが我が家の現実です。

それでも、自分にできることで抗いたいというプライドはあるので、月に2回家の近くで開催されるごみ拾いボランティアに子どもと行ったり、子育て広場や図書館で無料で開催されるイベント(だいたいは平日の16時くらいに終わる。。涙)を目ざとく見つけては参加させたりして、商業的なものではないものの割合を増やそうと頑張っています。

なんで私ばっかりゴミ拾いしなきゃいけないの!

ゴミ拾いをしはじめた時は「なんで他の人は拾わないし、保育園で他の子はやらないのに、私だけ拾わなきゃいけないの」とか、「仕事で拾う人いないの」等と発言していて、これだけ商業的な遊びやイベントに慣れるとこの年でもう損得勘定で考えるようになるのか。。と驚きましたが、それでは母親の仕事なんて一生理解できないだろうと思い通い、ゴミ拾いに通い続けています。今では、保育園の子も何人か一緒に参加するようになったり、近所の商店街の人が、ごみ拾いをしてる子どもたちに、食べ物や飲み物をおすそわけしたり、地域の顔見知りが増えて、行くのを楽しみにするようになりました。お金では買えない何かを前よりも感じているのではないか。と、半分自己満足ですが、感じています。

うまくまとまっていないですが、共産主義になろうとかそういう話ではなく、簡単に解決できそうなものが本当に解決につながるのか、もっと私たちの足元から変えていかなければいけないのではないか、そして個人以上に企業や社会全体が変わらなければいけないのではないか、今の社会は過去の反省や課題を活かしてるようでかなり偏ったところまで来てしまっていないか、そのあたりを考える一つのきっかけになれば嬉しいです。






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