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流産という思い出⑥(24)

こんにちは!
和らぎと美と健やかさをお届けする華道家。
『ずっと健康に、もっと美しく』の伴走者 髙坂夏子です(*^^)v

いよいよ? 今回で昨年末に経験した流産の思い出について
最終回です。

前回は、流産の診断を受けて間もなく、
センターピースを受講して、心の平穏を取り戻したところまで書きました。

その後のわたしです。
実家(母親)に電話で報告しました。
母親の第一声
「あっけなかったね」。
こう来るとは思わなかったけれど、
確かにあっけなかったです。
妊娠検査薬の反応を確認して数日で出血が始まったのですから。

後から分かったことですが(2回目の婦人科受診で説明された)、
血液検査のホルモン数値から判断するに
一時は着床したかもしれないけれど、すぐに流れていたようだと。
ホルモンの値が全然高くなかったそうです。
(妊娠すると桁違いに上昇する検査項目とのこと)

話は母とのやり取りに戻ります。
以前から、母が流産の経験があることは聞いていました。
わたしと姉を産む前(なので、第一子)のことだったとか。
そのことは聞いていましたが、
今回のわたしの報告から、
「出血かなり多いでしょ?大丈夫?お腹も凄く痛いんじゃない?」と
わたしへの労いの後
「お母さんも流産した時にさ・・・」と、
その時の母の思い出が色々と語られました。
母の経験については詳細は避けますが、
妊娠週数がわたしよりも遥かに長く経ってからだったとのことで
そうなると、
出血もお腹(子宮)の痛みも、
そして、心の痛みも相当なものだったろうと思います。
※人と比べるものではありませんが。
まして、
1人目での経験となると、2人目、3人目と次の妊娠出産でも常に不安と恐怖とが付きまとっていただろうと思います。
(妊婦さんは誰しも抱える不安ですが、経験していると尚のこと)

わたしを特別に労ったり、心配したりしてくれた訳ではないけれど
(上記の通りの言葉をくれたし、とっても心配もしてくれたと思います)
でも、何故だか、
本当に不思議なんですが、
心が更に穏やかになって、
それだけじゃなく、それ以来、母との関係が良好になったんです!!
今までは未熟も未熟なわたしだったので
母に会うと(一緒にいると)、何だかんだとイラッとしたり
母の発する言葉にザワついたり、常に臨戦態勢という状態でした。
「こう言われたら(言って来たら)、こう言い返してやろう!」
って常に頭で準備している感じ。
仲が悪い訳ではないんですけど、
むしろ、
仲良くしたいのに上手く関われないみたいな。
※傍目には、仲の良い家族と見えていると思います。
何かささくれ立つわたしの胸の内がありました。
反抗期を引きずっているのか?
そういったものが、その電話以来、なくなったんです。
年末に帰省し、最初の頃は
あれ、前と同じようなことを言われたりされたりしているはずなのに、
腹が立たない・・・?!と思い
いやでも、数日一緒にいる内にいつものように腹が立つに決まってる!
と妙な確信?を持っていたのですが
腹が立たないどころか、
感謝の気持ちが湧いたり、楽しく会話が続いていたり。
そのまま年末年始を終えて、自宅へ帰宅。
更に、また後日、実家に行くことも数回ありましたが、同じ状態。
あれ、わたし、どうしちゃったの?!?!
でも、まだ信じられない。
また次に行った時には、やっぱりイラッとするかも。
今はそんな気持ちです( *´艸`)
今回来てくれた魂ちゃんが何かを解きほぐしてくれたように思います。
その「何か」をまだ言語化できずにいますが、
いつか、これを言葉にできる日が来るようにも思っています。

そして、
そういった気持ちの変化があった中での、母へのメイクでした。

今回の流産で
わたしが思っていたよりも、知人友人でも多くの女性が流産を経験していると知り
わたしが今まで人にかけてきた言葉は価値のある有効なものだったろうかと省みることができ
母との関係性が変わり
わたしの新たな希望も見えて来たり。
本当に大切な経験、大切な思い出となりました。

流産を経験した女性のお役に少しでも立てたら・・・という気持ちも
少なからずありますが
わたしが授かった4人目の命の思い出、供養にと綴り、ここで終わりにしたいと思います(^-^)

最後になりましたが
わたしのもとに来てくれた魂ちゃん、
わたしを選んで来てくれてありがとう!
わたしにとっては短い時間だったけれど、一緒にいられて幸せでした。
これからもどうぞ宜しくね!


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