拝啓、十五の私
Eテレでアンジェラ・アキさんの「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」という曲をテーマにした番組を放送していた(再放送だったらしい)
この曲を合唱コンクールの課題曲として歌った世代は三十歳になっていて、番組内で十五歳の自分に向けて書いた手紙を朗読していた。
期間限定で見逃し配信があるようだ。
「手紙 〜拝啓 十五の君へ〜」は、中学校の卒業式で歌った曲。
たいした悩みもなく能天気だった十五歳の私は、この曲の歌詞について深く捉えていなかった。
しかし三十を超えて改めてこの曲を聴くと、とても心に響いた。
特に印象的だったのはこちらの歌詞。
十五歳の私には全く響いていなかった箇所だと思う。
「悲しみを避けては通れない」と思春期の子どもに向けてストレートに伝える歌詞は、残酷といえば残酷かもしれない。
無い方が良いに決まっているけれど、悲しみは避けられないと、それなりに生きてきて分かった。
何があっても、日々生きていくしかないのだ。
「笑って今を生きる」という部分に、過去を悔やんだり未来を不安に思うのではなく、ただ目の前にある「今」と全力で向き合うことで未来を切り拓いていけるという強さを感じた。
私が十五歳の自分に向けて手紙を書くなら、何を伝えるだろうか。
後悔は多々あるけれど、ひとつでも選択が違ったら夫と子に出会えていなかったのかもしれない…と思うと、やめておけとは言えない。
十五歳の私が好きなものは、今でも好き。
好きなものに一直線なところは、変わっていないかもしれない。
ちなみに、当時好きだった人とは結婚していない(鈍感な私は察してくれるだろうか)
でも、もっと好きな人と出会い、自分よりも大切にしたいと思える存在ができた。
将来本気でなりたいものは結局見つからなかったけれど、その時々でやってみたいと思うことに挑戦して、それなりに楽しく働ける仕事に就いている。
友達といるのが楽しいだろうけど、家族との時間も大切にして欲しい。
一緒に暮らす時間は案外短いものだから。
仲の良い友達とは今でも付き合いがあるから、友人は大切に。
「真面目さ」が取り柄だと自覚しているから、要領よく生きられなくて、まわりの人を羨んでいるあの頃の自分。
そんな自分を分かってくれる人にはこれからも出会えるから、自分らしく信じた道を進んで欲しい…そんなところだろうか。
頭の中身は十五歳の頃と変わっていないような気がするけれど、確実に年を重ねている。
時々この曲を聴いて、あの頃の自分に思いを馳せてみるのもいいな。