威圧感と栗饅頭の味。
地雷
私(駒込)はWebプロモーション会社でディレクションを担当している。(チームリーダー) 今日は、クライアントであるC社の社長とのミーティングで、S県のK市に向かっているのだが、とにかく気が重い。プロモーション自体は及第点以上の成果を上げている。だから取引という意味では堂々としておけば良いのだが……、どうも、そんな気分にはなれない。というのも、このC社の社長というのが、とにかく威圧感があるというか、高圧的というか、要は厄介で面倒な人なのだ。
今時珍しいくらい怖いタイプの人で、尚且つ地雷がどこにあるか分からない。
初の訪問、会食で焼き肉をご馳走になった時の話しだ。牛タンをタレにつけて食べたら、15分くらいに渡って、育ちが云々、常識が云々、お前の会社の上司はどうなってる云々と怒られ続けた。いや、牛タンをタレにつけて怒られるのは、まだ分かる。(いや、本当は理不尽だが) 店員さんに「コチラのタレで食べて下さい」と言われた肉寿司をタレにつけて食べたのに、「お前は店員が死ねって言ったら死ぬのか」などと怒られる。その時は、以後、全て社長流の食べ方を真似して、その場を何とか乗り越えたのだが、もう味など分かったものじゃない。
忍耐態勢
「は~」。溜息が止まらない。
車窓からの景色が都会のビル群から、田畑の割合が増え、建物の背丈も段々低くなってきた。進行方向右側に黒っぽい太陽光パネルの敷き詰められた土地を通過すると、いよいよK駅だ。K駅で降り、タクシーで5分も走らせると目的地であるC社の社屋に到着してしまう。
「は~」。やっぱり溜息が止まらない。
社長の理不尽に付き合わねばならないと思うと、急に呼吸が浅くなった。今日は一体、何回怒鳴られ、何分詰められるのだろうか? 前回などは、提案書に「です・ます」調の中に「~~だ」が2つ混在していただけで15分も詰められた。前々回などは、鞄をついミーティングルームの机の上に、ちょっと置いただけで烈火の如くキレられた。
「はぁ~」。溜息が深くなる。
電車がK駅に到着した。改札を出て、駅直結のショッピングセンターのカフェに寄る。ブラック珈琲を頼み、カップが空になるのを惜しむようにチビチビと口に含む。いつも、ここで1人で戦闘態勢……、いや忍耐態勢作りをする。
以前は、現在産休中の後輩を一緒に同行していたのだが、先方の社長の恐怖と高圧とストレスのせいか、ある日、K駅のホームを移動中に急激な目眩を起こしてうずくまってしまったのだ。お腹の中の子供に良くないという事情もあり、それ以来、私一人で訪問している。お陰で、私のストレスは2倍以上になったのだが、まあ仕方無い。これも仕事だし、これ以上犠牲者を増やす訳にはいかない。
カップの底の黒が段々白に変わってゆく。
吉報
「よし」と気合いを入れて、残りのブラック珈琲を飲み干そうとした瞬間、携帯電話が鳴った。
「はい、もしもし」
「もしもし、駒込さんですか」
「はい。そうですが」
「田端です」
「あ~、田端さん」
田端さんはC社の専務で、一応は社長の右腕と称されているが、事実上のお守り役・尻拭い役を務めている。
「駒込さん。実はですね。社長が急用で、これから東京に向かう事になりまして」
「あ~、そうなんですか」
「はい。で、申し訳ありませんが、今日は、私田端の方が対応しますが、宜しいですか?」
「え~、大丈夫ですよ」
電話を切った途端、急に気分が軽くなり、やたら呼吸が深くなった。どこまでも肺を膨らませる事が出来そうなくらい、深い深い呼吸が出来る。
「は~ぁ」
今度の「は~」は溜息ではない。一息ついた時の「は~」だ。
助かった……。
美味しいお菓子
カフェを出ると駅ターミナルでタクシーに乗った。C社に到着し、入口で来訪を告げると、すぐに専務の田端さんが出迎えに出てきてくれた。田端さんの癒やし系の笑顔に、腰の低い挨拶で、何だか自然と笑顔になった。
会議室で待機中。総務のお姉さんが、お茶と和菓子を出してくれた。いつもは、味など感じもしないのに、今日のお茶からはスッキリした味だけでなく爽快感すら感じられた。そして、出されたお菓子を口にしたら、もう衝撃だった。
「えっ、何この美味しいお菓子」
一口サイズの饅頭なのだが、中の栗ペーストと牛皮の組み合わせに洗練された甘さ! 今まで食べた和菓子の中で一番美味しいかもしれない。っていうか、多分以前も出されていたと思う。でも、味わう余裕など無かったのだろう。
その後、専務の田端さんと、今後のプロモーション計画について話し合った。社長の圧からの解放感もあってか、何だか気楽な1日だった。
味覚
あんなに美味しい和菓子は初めてだったかも。私は洋菓子やらスナック菓子が大好きな人間で、今まで自分から積極的に和菓子を買った事すら無い気がする。そんな和菓子好きでは無い自分に、ここまで衝撃を与えた和菓子。気になって、気になって仕方無かった。
ただ、やっぱり人間の舌というのは当てにならない。
例えば、登山後でも、何でも良いが、苦労して登った山の頂上で食べたカップラーメンが、どんな有名ラーメン店のラーメンより美味しいと記憶していたり、仲の良い友達と食べに行くレストランの味が大抵「美味しかった」と記憶していたり、舌というより味の記憶というのは、言語化して正確に評価するのが難しい分、実に頼り無い。なにしろ昨日は、あの威圧感のあるC社長からの解放感があった。
蹴り
昼。同僚と一緒に、いつも行く会社近くの洋食レストランへ訪れた。パスタセットに、食後は珈琲と大好きなチーズケーキを注文した。昨日の和菓子の記憶の干渉のせいか、チーズケーキの味が何だか微妙だ。いつもだったら、食後のチーズケーキを食べ終えた後の、何とも言えない「満足感」が、今日は得られなかった。
これは確かめた方が良い。確実に蹴りをつけるべきだ。じゃないと、この曖昧な夢のせいで、大好きなチーズケーキの味がこれから……。ランチ後、先方に連絡して仕事の用件ついでに昨日の和菓子について尋ねた。突然の質問に驚きながらも、先方が対応してくれた。
「駒込さん。ええとね。T線のH駅にある和菓子屋Sさんの栗饅頭だって」
T線のH駅だったら、内の会社から30分くらいで着く。てっきりS県K市にある和菓子屋のものかと思ったら、何と都内の和菓子屋だった。もちろんデパートの催事に出店するような有名な和菓子屋さんでも無ければ、スイーツの名店巡りと新店発掘が趣味の同僚に聞いても「分からない」と返ってくるような店。
これはやっぱり、私の味覚が狂っていたのだろうか?
偶然、金曜日に訪問する会社がH駅の隣のJ駅にある。丁度良い。金曜日に買って確かめるとしよう。
待ち遠しい
しかし、金曜日が待ち遠しい。あのお菓子の「衝撃の美味しさ」の真相が早く知りたい。事前情報を入れずに、試した方が良いと思いつつも、ついついネットで検索してしまう自分が居る。こうやって、期待感を高めてしまうと、正確な判断が出来なくなる。だから、「事前に情報を入れるのはやめよう!」と思いながらも、「まあ、でもホームページくらいは見てもいいか!」と、ついつい検索してしまった。
だが、和菓子屋Sはそもそもホームページを持っていなかった。H駅の商店会が作ったホームページにチョロっと紹介してあるだけで、SNSもブログもやってない。Googleマップでも調べてみたが、ストリートビューの画像と、外観の画像が載っているだけだった。
やはり私の味覚の狂いだろうか?
もし、あの「衝撃の美味しさ」が本当だったら、もっと広まっても良いはずだし、ホームページだって、この味を広めたい!って誰かが営業掛けて作っても良さそうなものだ。
やはり、あの理不尽な社長からの解放感が生み出した特殊な味フィーバー状態だったのだろうか?
そうか。お茶も美味しく感じたし、帰りの電車で飲んだペットボトルの水すら美味しく感じた気がする。そうだ。その日の夕方に駅前で購入した、日の浅いバイトが作ったであろう下手なタコ焼きすら美味しかった。
うーん。
まあ良い。確かめてみれば良い話だ。金曜日の訪問先であればストレスという余計なスパイスも無いし正確に評価出来るはずだ。
和菓子屋へ
金曜日。訪問先のミーティングの帰り道にH駅で降り、和菓子屋Sへと向かった。H駅前の賑やかな商店街を進み、段々軒の店舗が疎らになり、店舗の代わりに3階建ビルトインガレージ(駐車場)が目立つようになると、紺に白地に達筆な和菓子屋Sののぼり看板が目に入った。
いわゆる和菓子屋っぽい外観とは異なり、築にして30年以上は過ぎているであろう、白のタイル張りの3階建てのビルの1階に和菓子屋Sは店舗を構えており、のぼり看板と、ガラス戸の入口の上にある壁面看板を除くと、店舗をアピールする要素が一切無い。
何て簡素で「謙虚?」な構えだろう。
店内も、お客さんが5人も入ったら窮屈になるくらいの広さで、商品も和菓子屋によくある茶色の陳列ケース内に並ぶ10~12種類のみで、照明の具合や店内の雰囲気も関係すると思われるが、正直、あの衝撃の味を期待出来るような印象に無い。
早速、目当ての栗饅頭(1箱12個入り)を購入した。陳列のPOPを見る限り、自家製である事は間違いなさそうだ。だが、原材料や製法へのこだわり等は一切記載されてない。何だろう、控えめなのか? それとも、こだわりが無いのか?
懐疑
帰路。懐疑的に考えていた。
これは、やっぱり、私の当時の味覚の問題だったのではないだろうか? とてもじゃないが、あの衝撃の味を想像する事が出来ない。でも、S県にある会社の、多分総務か何かのスタッフさんだと思うが、ここまでわざわざ買いに来るのも変だ。
何だろう? 親戚? ご実家? いや、でも、もしそんなに関係がある和菓子屋だったら、田端専務だって電話口で伝えるはず。「内のスタッフさんが毎月東京に出張した時に買ってきてくれるんだよ」としか田端専務は言ってなかった。
謎でしかない。いや、確かめよう。食べて確かめれば良い。それで全てが明らかになる。
帰社
会社に戻ると、社内の花形部署でもある企画部の面々が会社のラウンジのテーブルで何やら話し合っていた。軽く会釈をし、その横を通り過ぎ、自分の席に戻ると、同じ部署の先輩から声をかけられた。
「お~駒込!」
「はい」
「何それ?」
「あっハイ、先方で頂きまして」
別に何の問題も無いのだけど、なぜか変な嘘をついてしまった。
「良かったら先輩もどうぞ」
12個入りの箱を開けて差し出すと、先輩が「サンキュー」と言って1つ取っていった。
続いて後ろから。「駒込!」と呼ぶ声。
「はい」と言って振り返ると課長だった。
「ちょっと、話があるから会議室に来てもらえるか?」
何の話だろうと訝りながら、課長の背中を追うように会議室へと向かった。
課長の話は新規事業についてだった。
「実はな、今度立ち上げるスマートグラスマーケティングチームの件なんだけどな――」
スマートグラスマーケティングとは、AR(拡張現実)上の販売促進の事だ。現在、我が社では、AR(拡張現実)上に妖精を模したキャラクターを複数立ち上げ、そのキャラクターを起点にしたプロモーションを構想中なのだが、当局が進めるプライベート・プライシング・システム(商品価格の個別化)に伴い、スマートグラスが爆発的に普及する可能性がある為、プロモーションだけではなく、AR(拡張現実)上の広告ビジネスの構想もスタートさせたいというのが、会社の考えなのだ。その準備室のリーダーを「駒込、お前やらないか?」という提案で、もちろん引き受ける事にした。
まさか、こんな光栄な仕事のリーダーに成れるとは……。
その後、課長から、今後の見通しについて説明を受け、会議室を後にした。
献上
席に戻ると……、あれ? 箱は空になっていた。何と私が席を外している間に栗饅頭は全てお裾分けに回ってしまったのだ。
マジかよ!
まあ、でも仕方無い。組織へのみかじめ……じゃなくて献上品は大事。こういう絆の深め方も大事だ。何しろ、構成員達との関係性は良いに超したことは無いからな。でも、1つくらい残しておけよな。
だが、私が席に戻りしばらくすると、栗饅頭を食べたであろう同僚から、
次々に
「駒込、この栗饅頭どこで売ってるの?」
「いやー、これマジ旨いな」
「今まで、食べた饅頭の中で一番美味しいんだけど」
「駒込君、これ今度、お客さんの所にお土産に持って行きたいんだけど」
といった「大好評」を頂いた。
自分の舌では確かめてないけど、多分、メッチャ美味しいのは間違いない。どうやら、私の記憶は正しかったみたいだ。
遠回りだけど買って帰ろうと思う。
(了)
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物語内に登場する人物・場所・施設等は全てフィクションです。