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国境というのはいつ来てもワクワクするもので

 ボクの初めての国境体験は1999年のパダンベサールだった。タイとマレーシアの国境で、ほとんど人がいなかった印象がある。わりときれいなイミグレーションで、よくある国境に足をかけて写真を撮るということもしてみたり。

 タイで暮らしていると、陸路で隣国へと渡航する機会がよくある。タイ自体がラオス、カンボジア、マレーシア、ミャンマーに囲まれているためだ。隣国と接していない日本で生活していると、国境そのものを理解していても、見てみるまではどんなものかわからない。そして、実際に目の当たりにすると、いつもワクワクする場所だなと感じる。

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 ここはターク県メーソット郡にあるミャンマーとの国境だ。ここはムーイ川(タイ語発音に近い書き方。ムエイ川と各ケースの方が多いかも)がちょうどミャンマーとの国境に重なっている。

 陸で繋がっていると言っても、実際には川で区切られる国境も少なくない。ここのほか、ノンカイ県とラオスのビエンチャン郊外、あるいはウボンラチャタニ―県とラオス南部はメコン河が国境と重なる。ラノーン県とミャンマーのゴートーンの国境も川の河口というか海峡になっている。というか、そこは最早陸路国境とは言えないか。

 そういえば、2003年くらいにマレーシアのコタバルに行ったときも陸路国境だった。ただ、マレーシア入国後にコタバルに行くためにはおんぼろの船で川を渡るため、そっちの印象が強くて、国境のイメージがあまりない。

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 メーソットの国境はムーイ川にあり、たぶんヤンゴンに最も近いタイ国境だと思う。

 今でこそミャンマーは行きやすい国になって、たしか日本人はビザ免除になったかと思うが、90年代後半などはビザは必要だし、外国人は市中で使えない特別な通貨を100ドルくらい両替させられたりと、結構面倒な国だった記憶がある。今のタイよりもひどい軍政だったので、仕方がないのかもしれない。

 そんな事情もあってか、タイ人とミャンマー人以外は通れない国境もあった。あるいは、今もあるのだが、ミャンマーに入国はできるが、行けるのは国境の町だけとか。

 ただ、かつては為替レートが最悪だった上に、為替変動を反映していなかたのかなんなのか、在ヤンゴン日本大使館で日本のパスポートを作ると、その費用はわずか数百円だったという時代もあったはず。日本のパスポートは本来は日本国内の発行手数料と同じくらいの現地通貨になっているのだが、10年くらい前まで数百円だったらしく、結構最近の話でもある。悪いことばかりではない。

 国境のおもしろさは、その雰囲気だ。国境という線はあくまでも地図上のもので、地元民の交流は思っている以上に頻度が高い。というよりも、地元民は双方を比較的容易に行き来できるようになっているところが多い。

 こういった緩さは元々あったものだし、地元民は互いに似たような言語を使う。市街もタイ側なのにミャンマー語の看板があったりなど、ビジネス的にも双方が重要な顧客であったりする。だから、防衛上は本来はよくないけれども、そこまで深く考える必要はないようでもある。

 ただ、現在のような状況では感染拡大などの懸念もある。また、地元民以外がこの町を通過してタイに不法入国しているケースも少なくない。タイとミャンマーの国境にはいくつか難民キャンプがある。これもいわば不法入国になるのだが、キャンプにいるミャンマー人と不法就労で入国するミャンマー人は思惑が違う。このあたりはまた別の機会に書きたい。

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 メコン河ほど大きくないが、それでもムーイ川に架かる橋は立派だ。橋の上を出入国する人が歩いている。ちなみにこの画像は数年前のもので、現在のものではない。今年は一時期すべての国境が閉鎖されたりしていて、もしかしたら今もここは一般人向けには閉鎖されている可能性はある。

 しかし、正式な出入国手続きを経ないで不法に出入りする人もいる。これは短時間の買いものだから面倒とか、不法就労する気で来ているなどがあるのだろうが、わりと白昼堂々と下の川を渡ってくるので、地元警察も黙認しているだろうなと思う。

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 一応タイ側なので、この場所に立っている分には大丈夫なのだろうが、国境のない国から来た側からすると、見ているだけで緊張してしまう。

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 このようにここを行き来することは違法であることを示す看板もある。でも、双方とも気にしない人は気にしない。長い世代に渡って暮らしてきた人がいるとしたら、国境の方があとからできたって思っている人もいるのだろうな。

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 こういう角度から見ると、イメージする国境というか、怪しい場所に見える。そして、実際にこういった側からやってくる人もいて。

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 彼はここまでで引き返すようで、なにか小物を売りつけようと話しかけてきたのだった。

 なんだろうな。この帽子は渾身のギャグなんだろうか。

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 バンコク在住の不良外国人がかつて最も行き来したのが、タイとカンボジアの国境である。タイ側はアランヤプラテート、カンボジア側がポイペトという町になる。

 2000年代初頭はビザなんかもっと簡単に取得できたし、ビザなしで30日滞在できた(今は陸路は約2週間だけ)。さらに、アランヤまで日帰りで行って帰ってこられるので、ビザランと言って、瞬間的にカンボジアに入国してバンコクに戻ってくるということをする人が少なくなかった。

 ポイペトにはカジノがあるので、タイ人も結構行っている。今は知らないが、以前はバンコクのルンピニ公園からカジノが出す無料バスがアランヤに走っていて、最も底辺的な不良外国人はそれを利用してアランヤに行っていた。

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 ポイペトはカジノ周辺はきれいに舗装されているが、市内に入って、一歩裏道に行くとこういった舗装されていないところが多々あって、治安も決していいとは言えない。

 一方でアランヤにはロングルアという巨大市場があって、チャトチャック・ウィークエンドマーケットの店の仕入れ先のひとつでもあったりする。カンボジアの安い商品がロングルアに並び、これをタイ人が買って、国内で商売をする。チャトチャックの古着なんかはほぼすべてがここを経由していると言ってもいい。

 商人はほとんどがカンボジア人で、朝にタイに入国し、夕方に帰っていく。タイではカンボジア、ミャンマー、ラオスに対して単純労働などの働き手として、特別な滞在許可証を出している。ビザと労働許可がセットになったようなものだ。ロングルアの商人もたぶんそういった許可証があるのでしょう。

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 カンボジア国境はわりときれいだ。いや、カジノが増えたのできれいになったというか。以前はもっとカンボジア人のヤバい感じの人がいっぱいいて、怖かったものだ。

 こういった言い方はなんだが、タイ人の浮浪者とカンボジアの浮浪者では目つきが全然違うというか。タイの浮浪者は小銭をくれとせがむが、カンボジアの方はペットボトルに残った水でもいいからくれと言って、受け取った瞬間に飲み干すとか、切羽詰まった感が異質だった。

 最近はそこまでヤバい感じはなくなっている。タイ人もカンボジア人も適当に国境の門をスルーしていたが、今はちゃんと手続きを踏まないと出入国できないようで。それでも本気の人は普通に国境を越えてバンコクを目指す。

 BTSプロンポン駅の下にいた女性の物乞いは、ポイペトから不法入国して、あえてしばらく歩いたのちにバスに乗ってバンコクに来たと言っていた。というのは、長距離バスなどはアランヤの外れで陸軍による検問があって、必ず身分確認が行われる。それを避けて来たというのだから気合が半端ない。

 国境に実際に来てみて、あるいは国境近くの町に滞在してみてわかったのは、やはり国境という線はあくまでも地図上のものだということだった。たとえば、生活様式や習慣、それから言語だ。国境という線でぱっと変わるのではなく、双方の首都から徐々にグラデーションのようにその国の色が薄まっていき、国境を過ぎて離れていくとだんだんと向こうの色に変わっていく感じだ。

 タイ初心者によくありがちだが、5年くらい滞在するとなんでもわかったような気持ちになる。ボクもそうだった。でも、タイ人と接したり、タイの生活や文化を知っていくと、逆にわからなくなっていく。そして、その先には外国があって、タイを語るにはタイを知っているだけではいけないのだと知る。だから、国境というのはおもしろいのだな。

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