カントーの食堂で土鍋料理
メコンデルタの商業都市カントーは水上市場やライスペーパー工場などが有名なエリアだ。水が多いエリアだからか魚を発酵させた調味料の料理が多い場所だった。
その中でも思い出深かったのがこの「メコン1965」だ。川沿いのホーおじさんの像の向かいにある食堂で、エアコンもないし、これといった特徴があるわけではないけれど、いい店だった。
この話は下記ですでに書いているので、内容が重複する。それくらいいい店だったので、この外国人がいなくなっている時期を乗り越え、なんとか営業してくれていたらと願うばかり。一応、Googleマップ上では廃業扱いになっていないので、営業中であると信じている。
メコンは看板に1965とあるから、1965年から営業しているのだろうか。そのあたりはわからない。なにせそこまで英語が話せるような感じではなかったので、聞けずじまいだったから。
ボクがこの店をみつけたのは本当にただの偶然だ。ボクは初めての街は、着いたその日にひたすらに歩き回ることを楽しみのひとつにしている。あの日、夕方にカントーに着き、カントーで最も人気の食堂街に向かった。その後、歩いてぐるりとカントー中を巡り、20時ごろに宿の近くに戻ってきて見つけた。
とにかく蒸し暑くてビールでも飲もうと思ったときに、この店の看板が見えた。ビール2万ドンとあったので、相場だし、とにかく冷たいビールを、と。南部なのにラルーではあったが、確かにビールは冷えていておいしかった。
いつものように無難に生春巻きを注文した。カントーの生春巻きなのか、ここの店特有なのか、生春巻きはライスペーパーが茶色かった。でも、おいしくて、余計になにかもっと食べたい気分になる。
とはいえ、カントー取材は実は予定外だったので予算的に限りがあった。あまり高いものは注文できない。そこで一番安かった土鍋料理を頼んでみた。フクロタケと豆腐の土鍋とメニューにあった。
土鍋とはいえ、鍋を鉄板のようにして豆腐やフクロタケを炒めた料理だった。また、土鍋だけと思ったらご飯もついているし、生野菜もたっぷりある。味も一見あっさりだが、ご飯と食べるくらいなので、それなりに濃い味だ。醤油っぽい味つけというか。もう今はないが、ホーチミンのカエル鍋もご飯がついてたので、ベトナムの鍋物はご飯付きが基本なのだろうか。
この画像を見ると炒めものが少し減っているのがわかる。ご飯に載っている分を引いても多く減っているのは、すでにひと口食べているからだ。これには理由がある。
このメコンは少なくともボクが行ったときは店員はじいさんばかりだった。まさか1965年からのオリジナル店員だとは思わないが、タイは年寄りが飲食店などで立ち仕事をすることがほとんどないので、気になってしまう。日本とかシンガポール、上海ではそこそこに高齢の老人が掃除人などとして働いていたりするが、タイではほとんど見かけないからちょっと変わった光景に感じるのだ。
この土鍋を持ってきてくれたじいさんは、テーブルにセットを置くと、さっとスプーンとフォークを持ち上げて、ボクの顔を覗き込んだ。そして片言の英語で、囁くように食べ方を教えてくれた。なんか、その声質というか優しさがなんか懐かしかった。
ボクの父方の祖父は、父が子どものころに亡くなっていたから会ったことがない。しかし、実際は2018年くらいに亡くなっているらしく、いろいろ面倒な事情があることが去年発覚している。母すら知らない、父と父方祖母の隠しごとだったらしく。
母方の祖父は小さいころはよくおもちゃを買ってもらった。男の孫がふたりしかおらず、もうひとりはほとんど集まりに顔を出さなかったので、かわいがってもらった、と思う。晩年はボケてしまい、数いる孫たちの中でボクのことだけ憶えていないという状態で、タイにいる間に亡くなってしまった。最後に会ったときは老人ホームにいた。ボクの息子がまだ赤ちゃんだったころに見せに行き、祖父はなぜか息子をカバンと認識していた、というのが最後の思い出だ。
ボクの祖父の思い出はちょっと特殊かもしれないが、なんか懐かしい気持ちになって、メコン1965の薄暗い店内でボクは気持ちが安らいだ。
次の日にはまたホーチミンに戻るので、朝、水上市場を見て、バスに乗る前に寄って行こうと決めて、その日は会計を済ませた。
そして、翌日、市場ツアーから戻り、ホテルをチェックアウトして店に向かったら、夜しかやっていない店だということが発覚した・・・・・・。