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女神縁の場所だけにあるキフネダイオウの謎と黄金の大地~下巻~

【古代から戦前まで日本は麻と共に暮らしていました】
何が黄金なの?古代から戦前まで日本は麻と共に生きてきました。沢山の麻が栽培されて居たのです。麻の繊維の加工の過程で、大麻の繊維を並べて吊るします。

Wikipediaより引用

この大麻の繊維を「精麻(せいま)」というのですが、その黄金色の光沢は素晴らしく

あたかも光を束ねたかのように神々しく、その周辺一帯も光って見えるそうです。

日本は戦前、こんな素敵に輝く繊維の束が日本中あちこちにかかっていて、まるでエンゼルヘアーがたなびいているかの様に光り輝く素晴らしい光景だったと言う事です。日本は古代から麻がある訳ですから、秋頃には・・・・

黄金の精麻
黄金の稲

まさに黄金の世界が広がっていた事でしょう!

上巻に出てきた【葦】日本の芦原平原と古代の書物にも出てきます
葦の中の鳥

 前巻までのお話で、土器に豊穣の神様として書いてあるトンボは生物の分布等科学的に考えても「ムカシトンボ」という種類のトンボであるという話をしていきましたが、このムカシトンボは、ヒマラヤ、そして中国と同種のものであり、大陸と日本が地続きで有った事を証明するものでした。つまりパンゲアとかムー大陸とかの伝説が事実というなのでしょう。
 ムカシトンボ以外にもヒマラヤと地続きであったという事が証明出来そうなものを、筆者は他にも見つけましたのでその話をしていきたいと思っています。

「謎」として扱われていましたが、それは謎ではなくムカシトンボの分布と同じ理由だと思います・・・・。根拠を以下に記していきたいと思います。

【女神縁の神社に存在する謎めいた植物とは】

御存知ですか?京都の貴船神社には、そこにしかない植物が有るんです。その植物はどういう訳か、ヒマラヤにも有り、そして日本にはもう二か所岡山に有ります。貴船のキブネダイオウは環境省から絶滅危惧品種に指定されているらしいです。

キフネダイオウ:Wikipediaより引用

日本では京都府貴船地域と岡山県と広島の一部だけである。
母種に当たるvar. nepalensis は中国南部からヒマラヤ、東南アジアに広く分布し、キブネダイオウに比してやや小形である。
 
京都・貴船にはキブネダイオウが自生?している。
文献11)によれば、1905年に発見され、牧野博士もこの地を訪れ新種として発表した。

不思議なのは一部の限られた地域にしかない

【京都貴船神社】
現在であれば外国から持ち込まれる可能性はあるが、当時このような山奥に外来種が持ち込まれるとは考えられなかった。目立つ草だし、その内に他の同じような条件の地域でも発見されると思われたが、記録されなかった。
 最初の発見から50年後、カラコルム(ヒマラヤ)探検隊が持ち帰った標本にキブネダイオウがあり、検討した結果、中国領チベット、ヒマラヤ、インド、中近東に広く分布していることが判明し、日本土着の種ではなく、外来種という説が有力という。
 しかし誰が持ち込んだのか?歴史によれば、この地に寺が造られたのは770年頃、唐招提寺・鑑真和尚の高弟が開いたとされる。この時代に唐からもたらされた植物かもしれないとも言われている。
~以上~

それではキフネダイオウが、点在してる具体的な場所について箇条書にしていきます
①ヒマラヤ
②貴船神社
③岡山
④広島

【貴船神社キフネダイオウの謎】
 当時このような山奥に外来種が持ち込まれるとは考えられなかった。他の同じような条件の地域でも発見されると思われたが、記録されなかった。
 歴史によれば、この地に寺が造られたのは770年頃、唐招提寺・鑑真和尚の高弟が開いたとされる。この時代に唐からもたらされた植物かもしれないとの説が有ったのだが、それだと別地域の岡山や広島に何故点在ているか?の説明が付かなくなってしまう。京都・貴船にはキブネダイオウが自生?している。不思議なのは貴船川の限られた地域にしかない。さて、キフネダイオウが生えている場所には何が有るでしょうか?そうです、関西の方は良くご存知かもしれませんが、貴船神社が有ります。
【どんな神社だろうか?という事を考えると答えが見えてきます】

『元々は船の運航や水による国の繁栄を大切考えて建てられた神社です』

 社伝によれば、神武天皇の母である玉依姫命が、黄色い船に乗って淀川・鴨川・貴船川を遡って当地に上陸しました「船を止めたところに祠を建てて祀れよな(意訳)」と言って水神を祭ったのに始まると伝えている。
 そのときに玉依姫が「黄色い船」に乗っていたので「黄船→貴船」に転じたそうです。エネルギーにあふれ、国づくりにも重要な場所(=水の源)としても選ばれた土地でした。
【貴船神社の御神体と庭の石】
水神を祀っているのだから当然御神体も船なのでしょう。ここには二点船にまつわる岩が有ります。
①奥宮境内にある「御船型石」が、玉依姫命が乗ってきた船が小石に覆われたものと伝える
②庭石の名石で知られる貴船石
つつみが岩は結社と奥宮の間にある高さ4.5m、重さ43トンの大岩です。貴船石とは2億数千年前に海底に噴出した玄武岩質の石で、庭石として珍重されています
【他にはこんな神様も祀られています】

貴船神社で祀られている神様は
・本宮:高龗神(たかおかみのかみ)
・奥宮:高龗神(たかおかみのかみ)もしくは闇龗神(くらおかみのかみ)
・結社(中宮):磐長姫命(いわながひめのみこと)
です。
 高龗神と闇龗神は同じ、もしくは一対の神様とも言われており、両方共「龍神様」で水を司っています。そのため日照りや長雨の年は、天皇が生きている馬を捧げて雨乞い・雨止めを祈願しました。事実、奥宮には「龍穴」もあるそうです(でも非公開なので見れません)
 ここは、中央構造線に位置するので、気などのエネルギーは当然迷信とかじゃなくて強烈に存在するでしょう。それを表すかのように、現代では「貴船」(きふね)と書きますが、元々は「気生嶺」「気生根」と記されていた歴史が有ります。その言葉の意味は「大地のエネルギー”気”が生じる山・根の場所」という意味です。だから、気力がない(気が枯れた”気枯れ(けがれ)”)人にとっては良い!という事で、古来から参拝者が絶えない神社という伝統が有ります。

 この神社と、岡山と広島にはキフネダイオウが有ります。何故この様に京都だけ内陸に生息地が有るのか?私個人が考察したのですが

縄文時代は海沿いであった事が科学データから分かります

この三か所って、神社の伝説に残っている過去の事を調べると『上陸した場所』なんです。しかも縄文女王と古代東王が海人だったという過去を考えると全てが辻褄が合います。
貴船神社の社伝をもう一度ここに書き記します
「社伝によれば、神武天皇の母である玉依姫命が、黄色い船に乗って淀川・鴨川・貴船川を遡って当地に上陸しました「船を止めたところに祠を建てて祀れよな(意訳)」と言って水神を祭ったのに始まると伝えている」
 植物学者の目線からだと「当時このような山奥に外来種が持ち込まれるとは考えられなかった」から何故だろうと現代の土地から考えてしまったのだと思いますが、当時の地形を調べるとここは海岸沿いで有り、神社の社伝の通りだったという事になります。つまり海人女王がたどり着いた港と言う事になります。では、岡山と広島の件はどうなんでしょうか?

【岡山県のキフネダイオウへの考察】
それでは岡山はどうなのよ?という話を紐解くのに、『宮下文書』の内容の一部を抜粋させて頂きます。
【以下宮下文章】
世界の中心は日本の富士山麓に置かれた
富士高天原王朝の神人のルーツは、ペルシアの北方、起源を持ち、即ち、トルコとイランの国境にあるアララット山方面であり
①「天之峰火雄神=ノア」だと言えるだろう。
②天之高火男神
③天之高 地火神
④天之高木比古神
⑤天之草男神
⑥天之高原男神
⑦天之御柱比古神
が続き、以上七代 の神の治世を総称して「天之世」という。ここから代々伝わり、これ 以降、十五代に渡る神々の治世を「天之御中世」という。
【豆知識】
天之御中主神は天津日嗣の大御 神の紋章として十六の条光を持つ日輪を定めた。これは天皇家の紋章・十六条菊紋の起源 説話であろう(天皇家が実際に菊紋を用い始めたのは鎌倉時代以降)
天之御中世第十五第の高皇産霊神
今回はこの高皇産霊神についてが重要と思われます。
約6400年前に「高皇産霊神」の7人の皇子が各地に離散し、その内の
「国常立尊」
「国狭槌尊」
「高皇産霊神」
が父の「高皇産霊神」と共に日本の富士山麓に来た。共に富士山に渡来した。
龍人の七人が船で世界中を回ったと言う事。七王子、八王子、また王子権現といわれるものである。
~以上~
【岡山県の伝説】
 そして実際に岡山に伝説をご覧ください。時代は明確でないが、都から7人(あるいは8人)の王子が新天地を求めて、この地にやってきた

船は宇籐木、あるいは引網あたりに上陸し、適地をさがしているうちに中央の盆地(今の由加)を発見し、児島干拓の根拠地としたという。さらに王子たちは由加山から唐琴、渋川に連なる山系にそれぞれの地を開いたといわれ、日応神社、瓶割参上などに名前が残っている。 

 彼らは由加神社を祭り、その子孫は今なお由加神社を氏神として信仰し「提灯棒」という行事を残している。これは由加大権現の祭りの日の真夜中、棒の先に提灯をつけて山坂を越えて由加参拝をする行事であるという
~以上が引用です~ 

【由加神社】
日本三大権現の一つ、また厄除けの総本山として知られる由加山 由加神社本宮は二千有余年の歴史を持つ神仏混淆のお山。その昔、磐座信仰(巨岩をご神体)と唱え近郊の人々の守護神として崇められ、その後七三三年(天平五年)に行基菩薩が十一面観音を祀り、併せて神仏混淆の霊山として崇拝されてきました。
~以上~
十一面観音と盤座は古くからの信仰ですので、権力の支配下に置かれなかったので、十一面観音が残っていると思われますね。十一面観音の本地とは水龍であり、九頭龍は古代王権のミシャグチ様信仰とつながりが有り、戸隠神社では九頭竜社の入り口のところに岩を置き閉じ込めていたり、九頭竜神社では芦ノ湖の湖底に括り付けて沈めています。

それかもしくは、「高皇産霊神」=饒速日もしくは、饒速日的な先発的に日本を統治していた王族が遺跡などから見ても確実に存在しますが。三千年でいたい人達と、その取り巻き達が国民の学習を邪魔しているのはペトログリフを宇宙文字という言語学者によらないインチキスピ本を出回らせている事からも良く分かります。言語学者の本にははっきりと縄文文字と書かれており、尚且つその事を否定する発言を天皇が言ったと言っています。

素直に考えれば岡山県のケースも西側からやって来た王族が上陸した場所だからこそ、船や服に西側のキフネダイオウの種などが付着していたと考えると全ての辻褄が合うと個人的には思います。

 6400年前は日本では縄文時代ですね?縄文人は西側から来た遺伝子ですし海人ですから船で相当遠くまで航海技術が有りました、魏志倭人伝の卑弥呼も中国に戦闘で遠征しています。天皇家というのは三千年の歴史しかありませんが、権力が有ったので、彼らが一番古いと一生懸命歴史文章を色々作り刷り込みを頑張ってきてたわけですが、地域に行くと箇所箇所伝説が残ってしまっているし、真相と言うのは隠せないものなので、いずれかは全てがばれてしまう事でしょう。彼らはそもそも三千年の歴史(皇紀)三千年と自ら言っていますし、後から来て東征と言って日本の土着民を大量に粛清してきたことが日本書紀に自ら書かれているのですが、そこに誰もツッコミを入れないところが洗脳を受けている証拠なのです。

【宮下文章を奇書という意見が有りますが、詳細はともかく科学的にも縄文時代と言うのは一旦富士山まで広がって行き、最盛期を迎えた後は長野県にて終焉を迎えているのには変わりありません】下記はヤフーニュースより引用しました
1万3千~4千年前、縄文時代草創期 富士山周辺がとても栄えてる
富士山の南西、富士宮市の山あいに位置する大鹿窪遺跡。本格的な発掘調査が行われたのは平成13(2001)年になってからだった。 調査の結果、国内最古の竪穴住居集落跡や2万点を越える土器・石器類が発見され、1万3千~4千年前の狩猟採集時代、縄文草創期の遺跡であることが明らかになった。遺跡内には、現在は保存のため埋め戻されて見ることはできないが、石が集積している遺構が確認されている。そして目前には山々の峰にそびえる富士山の姿が。
~引用以上~

【魏志倭人伝】
時期不明 - 倭国で男性の王の時代が続いた(70-80年間)が、その後に内乱があり(5-6年間)、その後で一人の女子を立てて王とした(卑弥呼の即位)。その女子の名を卑弥呼といい既に成人で夫はいなかった、1,000人の侍女たちを使えさせたという。
~引用以上~
卑弥呼の前に王様が居てという記述は岡山の当然ですが饒速日の名前を葦竹山で消した輩が居ると酒井氏も本の中で訴えています。今の天皇家は自ら言うように神武天皇を起源とする三千年の歴史を持つ集団でしかありません。饒速日が居たとしたらそれより前の対立勢力の王族か、もしくは天皇系の血筋だったとしても対立している者たちの血筋という事
 酒井さんの本にも、神武天皇が場所の名前を取り替えて、自分の名前にしたという事がはっきり書かれています。つまりそれが都合が悪いのだと思います。これこそ場所はキフネダイオウノ生えている広島県にある、葦山の話なのです。

【広島県のキフネダイオウの生息地域】
さていよいよ話は広島に移ります。結構新しい情報なので(2011年10月に発見されました。ほんの数年前ですから知らない方も多いと思います。)
広島市植物公園  世羅徹哉1近藤芳子2 様の著作より引用
 
貴船の生育地しか知られていなかった時には外来種である可能性が疑われた (北村 1956)が,岡山県内にも生育していることが明らかになったことから,本種は大陸と の関係が深い遺存的な自生植物であろうとされた(原 1983).ところがこれら2カ所の自生 地ではエゾノギシギシが侵入して自然交雑をおこし,遺伝的な汚染が危惧される状況となっ ている(瀬戸口 2002).そのためキブネダイオウは,希少で絶滅が危ぶまれる野生植物とさ れ,京都府では絶滅寸前(京都府 2013),岡山県では絶滅危惧I類(岡山県 2010),全国でも 絶滅危惧IB類(環境省 2012)に選定され,その保全が望まれている.このような状況の中 で,広島県東部および岡山県西部でキブネダイオウの新たな自生地を確認した.新産地記録 は,本種の生物学的解明度を深め,有効な保全策を検討するうえで重要な知見と思われるの で報告する.【再び広島市植物公園  世羅徹哉1近藤芳子2 様の著作より引用です】福山市山野町の自生地は,小田川支流高尾川流域にあたる高尾,七谷,琴原と,別 の枝谷にある上市から米山にかけての水路沿いであった。
今回新たにキブネダイオウの自生を確認した広島県東部の地域には,大陸系の植物とされ るヤマトレンギョウ,アオイカズラ,レンプクソウなどが自生している(関・豊原 1997). このことは,キブネダイオウが大陸とのつながりを持った遺存的な植物であろうとする原 (1983)の推察を支持するものである
~引用以上~

広島東部ってどここなのか他の地域の方はわからないと思いますので。地図を載せますね。オレンジと水色がその確当地域です。

①福山市②三原市③尾道市④府中市、世羅町、神石高原町
今回発見されたのはこの水色の地域。福山市ですね。赤マルをつけてみました福山市が発見された場所です。古代の事を調べるにあたり、神社の社伝を見てみましょう。
でね・・・・たかちほ独自の勘で、ここには貴船にちなんだ神社が有ると思いました、やはり有りましたヽ(´▽`)/
福山市金江町:貴船神社
貴船神社があり、ここに船を止めた伝承地がある
②三原市:糸碕神社
神功皇后が西征の帰途、船を寄せられた際に水を献じたという故事によって、この地を井戸崎(後に糸崎)といい、郡を水調(後に御調)と称した縁により天平元年(729年)創建されました。境内には、神功皇后が軍船をつないだという「船つぎの松」の記念碑と、樹齢約500年といわれる市天然記念物のクスノキがあります。
③尾道市:嚴島神社(いつくしまじんじゃ)
創祀は不詳だが上古神功皇后が三韓征伐の途中この地に船を停泊した故事により社を建て伊都岐志麻姫を祀り創建
④府中市:貴船神社
祀神:高龗神(たかおかみのかみ)京都の貴船と祀神が一緒です

【時代背景をボカス理由を考えてみよう】
 こういう事から考えてると、船であちこち移動出来たので邪馬台国は近畿説九州説とかじゃなくて、両方ともというか盛隆地域を移動させながら、九州から富士山までの全域が全てがなんだと私は思いますが、「つまり広大な土地を全て女王が統治していた」だからその事を知られたくない勢力が確実に有るのだと思います。そして東国の男性の王饒速日も同じくです。
宮下文章の時代設定は約6400年前に「高皇産霊神」の7人の皇子と書かれていますよね?6400年前って、一万五千年から皇紀の始まる三千年前より手前を現すのです。こんな簡単な嘘がまかり通りのは、明治時代から始まっている洗脳の成果なのだと思います。弥生人と縄文人は遺伝子が違うのは科学見地からも明らかな事なのにです。
日本はずっと右系が権力を持ち、そしてそれにはみ出る人を弾圧したりしてきました。十一面観音は叩きつけられ壊されたのです。歴史学者も父島や黒マンタ山の探索をしたらどうなったでしょうか?是非自分の目で見て調べて下さいい。ちなみに黒マンタ山は化学検査からも人工のピラミッドであり、私が方角を調べると湯川遺跡が御神山としてあがめるために作っただろうと配置からも分かりました。丑寅の金神とは、彼らが日本では縁起が悪いと逆の事を伝えた事実が有るのです。


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