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●中有界について

中有界(ちゅううかい)は、神道では「天の八衢(あめのやちまた)」、仏教では「六道の辻(ろくどうのつじ)」、キリスト教では「精霊界」と言います。

天界と幽界(地獄)の中間的状態の世界であり、人の死後に最初に行く世界であります。
また、仏教の教えにある三途の川は、亡くなった直後に現れる中有界の入口の風景です。

中有界では、物質的世界から霊的世界に移行する為の準備する場所であり、ここで霊魂は大まかに三段階の状態に変化していきます。

●「外分の状態」
死の直後は、人間の物質的な肉体はこの世に残りますが、霊魂は、生前の物質的な執着や思想、本心と共に、本心を偽ったり取り繕ったりなど、生きていた時の心の状態のままで霊魂は中有界に行きます。
これを第一段階の「外分の状態」と言います。
外分とは、「表面の心や脳の知識や記憶、肉体や物質的感覚や思想、快感、想念」などの「表面的な心」であり本心を偽ろうとする心(行為)でもあります。
この時、顔、声、体系等の容姿は生前そのままの姿であり、最初のうちは生前の物質的思考に偏っています。
また死後の世界である霊界を知らない者は、他界した事に気が付かずに自分は生きていると思い込んでしまう人も多く居ます。
これは、霊性が塞がれている為に気が付かないのですが、夢の中で「これは夢であると」気が付かないのと同じ状態です。

●「内分の状態」
霊魂は次第に外分である現世での物質的感覚が剥がれ、内面の情態が表に出てきて、本心そのままの姿に変化してきます。
これを第二段階の「内分の状態」と言います。
内分とは「霊魂本来の心・本心・愛善・偽りのない真の心」の事であります。
この時、霊魂の内分本来の霊身(姿)になりますので、美しくも醜くもなり、善を想えば善の顔、悪をなせば悪の顔になり、妬みや憎しみが強く内分が醜ければ霊身は醜くなります。
このように容姿は、内分(本心)次第で変化して、心本来の姿になりますので、生前この世では美女であっても醜女となったり、その反対に醜女が絶世の美女ともなります。
また、この内分次第で次の霊界に行く境域が定まる事になります。

●「準備の状態」
ここで天界に行く霊魂は、霊的生活への準備の情態に入り天界の知識を与えられます。これを第三段階の「準備の状態」と言います。しかし、幽界(地獄)に行く霊魂はこの状態はありません。

霊魂が中有界に留まる期間は、通常は平均で四十九日とされていますが、人により数日、数週間、数年であり、長くとも十五~二十年位でその霊魂の状態により様々であります。
※   神道では五十日後に「五十日祭」を行います。

偽善者などは、本心を隠そうと必死で外分である鎧が剥がされる事を抵抗する為に、中有界に留まる期間が長くなります。
しかし、生存時に於いて、既に心である霊魂の執着を精算して神を信じ善行を実践された霊人は、この中有界にとどまる必要はなく、自身に相応しい霊界に直ちに行く事になります。

また内心で悪を抱き、自己の利権の為に人を欺き陥れる為に、善を装い利用して見せるような偽善者や、信仰が全く無く神を認めず批判していた人、また宗教的指導者などが、真の教えを理解せずに伝え人を惑わせ、自らが教えを行っていないような人は、直に幽界(地獄)に落ちて永遠にその世界に居る事となります。

●中有界に来て、まだ外分の状態では肉体・物質的感覚・感性が残っているので、現界の人や物事が気になったり、病気や事故による肉体的苦痛、人や物に対しての心残りなど執着が強い場合は、自らの強い願望である苦痛を取り除き・救済してほしい等や、財産等の金品や親子兄弟に対して気掛かりで伝えたい事や願いがある為に、他界した霊人は現世の親子兄弟、親類、友人などに霊現象や霊障を現したりして訴える事があります。
このような霊魂の方は、現世に強い執着心を残しているので、いつまでも天国へ行けずに長い間中有界で大変苦悩する事となります。

●生前の親友や夫婦、親子、兄弟、姉妹は、神の許しがあれば中有界で会う事が出来て会話する事ができますが、両者とも一旦天界、幽界に行ったものは、もう会う事は出来ません。しかし同じ信仰、同じ愛や性質や心情の場合は、同じ霊界に行きますので、天界で再び会う事ができます。これは幽界でも同じで、無信仰で自愛の者で似たような思想同士である場合に、同じような幽界に行きますので再び会う事ができます。

●人間の葬儀で、三途の川を渡る渡し銭として、あの世でお金に困らないようにと、冥銭・六文銭を持たせたりしますが、お金を払うという事は、物質的な金銀等の執着である外分を渡す、剥ぎ取るという事であります。
また、三途の川には、六文銭を持たない死者が来た場合に渡し賃のかわりに衣類を剥ぎ取る「三途の川の奪衣婆」が居るとも云われていますが、これもまた、外分である「肉体や物質的思想」が脱ぎ剥がされるという意味であります。

●政治家、博学者や医者、先生など現世では立派であっても、無神論者の無信仰の人は天界に行く事はできません。
例え行く事が出来ても、最下位の天界に行き信仰者より劣り大変苦労する事になります。

●中有界から天国を見ると光明に満たされているので天国には進み易く、幽界を見ると暗黒に満たされているので幽界に行く道は閉ざされているように極めて進み難くなっています。
しかし、心が悪(暗黒)に満たされている状態にある者は、この暗黒の道は暗黒とは感じなく本人からすれば開かれていて喜んで進むべき道なのであります。

この中有界は、霊魂相応に無数の進む道に分かれていますが、自分の進むべき道を自分で進み、その他の道は一切感覚し得ないので間違う事も迷う事も無く霊魂に最もふさわしい世界に行く事になります。
他から見て、それが暗黒や苦や不純な世界に見えようとも、当の本人には楽天地なのであります。

●中有界より天界に行く資格が無い為に、大いに反省してやり直しを希望し、そして神様の許しにより、再び現世で人間として生まれやり直す「再生(お出直し)」の道があります。
またやり直す御霊が動物に近い霊魂の場合は、現世で動物として生まれてやり直す「転生(霊魂の降格)」の道があります。※転生=魂の霊性が転がり落ちて生まれる事
  
●中有界では、肉体的精霊が、団体を作って現世の人を邪道に誘惑したり、悪さや憑霊をする者がいます。
肉体的精霊は、日本では「天狗、仙人、狐狸、猫、大蛇など」があり、一種の妖魅霊(妖魅界)或は(兇党界)と言います。
人間で言えば、ヤクザや不良などであり、人間の欲望などの隙に付け入り悪さをします。

神社等で自己の欲望の願掛けを行うと、これら低級霊の想念と同調して影響を受ける事があります。
特にご利益(商売繁盛や病気治癒など)で有名な稲荷などの神社や仏閣では、この妖魅界・兇党界の族が良く働く為に、願いは直ぐに叶いますが、願いを叶えさせて信じ込ませて自分達の世界に引き込み、そして狐狸自らを神として崇めさせて、狐狸達の仲間や子分にする為に見せたり願いを叶えたりするのですが、これは大変危険な事であります。

また、これら妖魅界や兇党界の霊が、人間の精霊に強く感応して、肉体的感覚器官の口、舌、手足を占有して動作させる事があります。これが憑霊です。
憑依霊は、憑霊した人間の身体を自分の物と思い込んだり、自分が「大神」と言ったり、予言を言い出したりと下品で出鱈目な事を言いますが、一寸先の事は探知できないのです。
「狐憑き」と言われるものはこの憑霊の事です。

また、「触らぬ神に祟りなし」と言われますが、それはこれらの低級な霊の影響を受けない為に、むやみに神を崇めたりしないようにという意味です。
外国では肉体的精霊が非常に強い為に、実際に物品を動かす「ポルターガイスト」現象が多数あります。


厳瑞


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