分かち書きへの印象と読みにくさ
たまにみかける「分かち書き」
「分かち書き」というものがある。ざっくりいうと、文章の単語や文節の区切りに空白文字を入れることだ。
「サイタ サイタ サクラガ サイタ」
に該当するのがそれだ。
小学校1年の国語の教科書で、ひらがな・カタカナ字を教える段階では今でも使われている。
漢字も使えない段階では、単語同士を繋げるわけにはいかない。
特にSNSをやってると気になることがあるのは、この「分かち書き」を、ゴリゴリ漢字を使っているケースでもやっている人がいることだ。
これについては質問系サイトでもちょいちょい話題になっていて、ここでいろんな見方もされている。
個人的には、文章を読む時は脳内で音声変換して読み上げているため、分かち書きをされるとブッツブツ切れてるように感じられることがある。
ここ自体にも人によって派閥があるらしく、「文字は文字、音声は音声」派だと気にならないようなのだ。
一応、分かち書きは日本語としての誤りではなかったりする。通例しないだけだ。
(文法の問題ということだと、冒頭の字下げをサボっている方が大問題かもしれない…。)
分かち書きの種類
話を進める前に、前提を揃えておく必要がある。
分かち書きの方法には、大きく分けて3種類ある。
A.わかちがき の ほうほう には おおきく わけて さんしゅるい ある
(単語レベル。小学校低学年感。)
B.わかちがきの ほうほうには おおきく わけて さんしゅるい ある
(一般的な分かち書きのケース。だいたい話題にされるのはこれだろう。)
C.わかちがきのほうほうには おおきくわけて さんしゅるいある
(読点の代わり。ここではA・Bとの比較でひらがなで書いたが、多くの場合漢字変換はされるので、読みにくさはない。)
この他、「分かち書きの 方法 には、〜」のような特定の単語を目立たせる用法もあるけど、今は話題にしない。
あとマイクロソフトが「コントロール パネル」(ルとパの間に半角スペース)のような書き方をするようなローカルルールに関しても触れない。
俳句・短歌を含む詩歌の類ももちろん除外。詩歌では句読点を使うか使わないかすら技術だからね。
3種類の書き方への私見
上の3種類の分かち書きへの私見を示す。
Aはそもそも小1国語の世界なので、論じる必要がないと思う。
Cのは、読点の代わりをしている場合。
こういうケースは、母語が日本語でない場合や、キーボードの句読点が押しにくいため空白文字で代理している場合があるらしい。そういう人がフリック入力でどう打つのかは知らん。
冠婚葬祭絡みのように使ってはいけないケースがあるので、そこは構わない。また、敢えて古語臭く書く文章もね。
冠婚葬祭ではないところでその書き方をすれば、一定数「うぜえ奴」という判定を受けるのではないかと。
Bは、日本語(書き文字)の不得意そうなイメージが出てくる。
日本語初学者の方もよく使われるが、単語や漢字も易しいものを使うため察せるところがある。法務省の「やさしい日本語」のガイドラインもBが推奨されているしね。
子供向け作品での分かち書きも普通に捉えている。
ポケモンも、子供がプレイする前提でこの分かち書きを敢えてしていたりする。(ゲームに関しては、可読性UPのために分かち書きが使われてきた歴史もあるよね。)
面白いもので、私は平易な日本語だと分かち書きが気にならない。
これは「せんせい あのね」時代を自分も経ていることもあるだろう。
また、第二言語としては厄介な日本語で相手に通じるように書ける人は頭良いから、あまりにあんまりなことを言わないのもあるのだろう。
逆にいえば、そういう平易さを狙っていないBの書き方には冷たくなるところはある。
難しい漢字や持って回った言い回しをしているうえでブツブツ切られると、特に脳内で音声変換した場合に読みにくくなる。これを「いっこく堂」と評した方がいるが、ホントこれ。
文節単位の空白区切りをする人のサブタイプ
Bをもう少し掘り下げてみよう。
軽くこのような分け方ができそうだ。
B-1「日本語初学者」
B-2「英語など単語を切ってくれる文章の方が読みやすく、繋がっている日本語を読むの難しい」
B-3「読点の打ち方がわからない」
B-1は上述の「平易な日本語」に該当。
主に嫌がられるのはB-2だろう。
今思ったんだけど、ブチブチ切られると脳が文章の区切りと誤認する(Cの用法)のでストレスが生まれるのかも。平易な日本語の場合はその他の複雑な文法は用いられないから、気になるタイミングがないのかもしれないね。
B-3は「第一言語の日本語が不自由な方」。実際、文面にも知的な怪しさが薫っていたりもする。いってみれば、小学国語の分かち書き→読点へのプロセスでコケてるだろう。そういう人は文章の読み取りも怪しいのか、陰謀論に引っかかっている中にこういう人達が混ざっている。
おまけとして、ある特定の世代で「分かち書き絶対主義」を叩き込まれているという主張をみかけた。さすがにンなアホなとは思うけど、確かに(投稿内容から察するに)極めて狭い年代で、分かち書きをし続ける人達がいるのよね。当時の教師の思想(句読点導入前の日本語への復古的な主義とか)入ってないかな…とは思う。
分かち書きはこどもの日本語(もちろん第一言語の時に限る)
まず、分かち書きは現代の国語教育としては単語→文節→(漢字と)読点、という形で解消されていくもの、という扱いなのを前提とする。
日本語は「ぎなた読み」問題が起こりやすいので、分かち書きをやめるには漢字の学習が必須になる。言い換えにも語彙力が必要だ。
(ちなみに、一般に漢字を使わない点字は分かち書きが必要である。)
そこを考えずに分かち書きを悪とするのはおかしいし、そもそも日本語としては間違いでないというのは前述の通り。
ただ、第一言語が日本語の人にとっては「こどもの日本語」にあたる。
第二(以降の)言語でもないのに小学生のような分かち書きをする人には「日本語が苦手な人として扱って欲しい」と理解された方が良いのだろうか。
(先に書いた強調の代わりの空白の使い方や、文章詰め詰めであまりに読みにくい時に敢えて空白を足すような使い方は、むしろ日本語の巧者の技だと思うけどね。)
もちろん言語自体、時代により移りゆくものではある。
とはいえ、分かち書きをする人は幼さを感じさせるものだということは理解してもらいたくはある。