「~になるため」でない知識人論のために

旧制第一高等学校の生徒の思潮について研究しておりますが、「~になるため」でなくてもある、学校生活の意義というのが紡ぎだせたらと思っています。
第一高等学校、一高といえば、戦前のトップエリート校であり、さらに帝大へと進んで、官界、経済界、学界で指導的な立場に立つ人々が輩出した場でありましょう。
まずもって官僚になるために、立身出世志向が翳ってきた明治末以降も、教養ある人間になるために、というのが高等学校から帝大へと進み、高等教育を受けようとする者の矜持であったことかと思います。

近頃は、27で若くして亡くなった魚住影雄(折蘆)という人物に注目しようとしておりますが、彼が一高に入る前に、手紙の中でこう書いています。

今後高等学校へ行き大学へ行くつもりでありますが、それは学士になりたいからではなく博士の位を得たいからではありません。又大学の教授になりたい考もなく、元より勲章や位階や爵位などは大人のおもちやだと思つて居る位であります。私は唯人間が達しうる限りの高い徳を積みたい、又人間が為しうるだけ美しい清い平和な生活をしたい

その後、魚住は、一高、東京帝大と進み、大学卒業後は大学院に進学するものの、病を得てすぐに亡くなってしまいます。学士にはなりましたが、博士にも大学教授にもならずに、小さい頃は大将になりたかったとのことですが、もちろんそうもならずに、およそ何者にもならないうちに亡くなりました。そうして何者にもならなかった彼にとって、学校生活にはどんな意義があったでしょうか。

僕自身が最初、官僚になりたいと思って東大の法学部まで進み、しかしそれは叶わず、今度は、そのように立身出世を志した自分の由来を知りたいと、大学院に入って明治期の一高生を研究するようになり、しかし大学院を経由して主に想定されている研究者のコースにもたぶん乗れそうになく。官僚にも、研究者にもなれなかったとして、では僕の二十年に及ぶだろう大学生活にはどうにか意義はないのか、なんとか紡ぎ出したいという願望です。非常に独りよがりな研究動機で、そりゃあ職業研究者にはなれないだろうなあと。

明治の立身出世主義でなければ大正の教養主義に乗っかって、官僚なり大学教授になれなかったとして、「~になる」でないタイプの自己確証の仕方はないか。「~になる」に対してはすぐ「~である」というのが思いつきますが、ここで取り上げたいのは「ヴォランティアとしての「知識人」」です。日本政治思想史の渡辺浩先生が2001年に同題の論考を書かれており、最近の先生の『日本思想史と現在』(筑摩選書)にも収められましたが、ヴォランティアとしての「知識人」とは、「誰からの依頼をうけたわけでもないのに、公共のために、言語をもって活動する、非党派的ヴォランティアとしての「知識人」」というものです。
「ヴォランティア」というのには二つの意味を込めたいと思います。まず、立志があること。何らか貴からんと一旦は志したことが重要だと思います。どういう機制で人は立志するのか、例えば立身出世という方へと向かっていくのか、そのメカニズムを解き明かしたいというのが研究の軸として一つあります。もう一つ、官僚や大学教授が職業(オキュペーション)だとしたら、そうではない「ヴォランティア」というのが立つと思います。
まとめると、一度立志したはいいが、オキュペーションという形で志を得られなかった場合、なおも「ヴォランティアとしての「知識人」」という形で志を保てないか、自己確証していけないか。ここまでくると、研究というより、実践的な問題にもなってきます。

なんのことはない、このまま自分が何者にもなれそうにないとして、それでも自らを貴からんと思い続けられるための方策を自分のために編み出したくて、それがあわよくば「~になるため」でない知識人論ということになり、高等教育の実学教育的な面でもなければ、教養教育的な面でもない、第三の?意義というのが見いだせれば、ということです。

今度、学問バーの店長になるとか、研究そっちのけなことも多い、学生としても不出来な僕ですが、研究として完成させたいのはこういうことです。


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