「~になるため」でない知識人論のために
旧制第一高等学校の生徒の思潮について研究しておりますが、「~になるため」でなくてもある、学校生活の意義というのが紡ぎだせたらと思っています。
第一高等学校、一高といえば、戦前のトップエリート校であり、さらに帝大へと進んで、官界、経済界、学界で指導的な立場に立つ人々が輩出した場でありましょう。
まずもって官僚になるために、立身出世志向が翳ってきた明治末以降も、教養ある人間になるために、というのが高等学校から帝大へと進み、高等教育を受けようとする者の矜持であったことかと思います。