高原智史

高原智史

最近の記事

昨夜、酒場で盛り上がった話のこと

昨日、酒が入りながらも白熱して話していたこと。 三十代で学生とニートという二人。組んで何か事業をやれないか。とりあえず僕のコンテンツだかスキルだかを軸にしたいという彼。だとするとまあ、東大ということしかない。 僕自身そうだったが、漫然と東大なり大学なりを目指すということも多い中で、大学に入った先には何があるのかを伝えるような場をつくりたいというような話に。 通う学校で進学を当然に目指すよう仕向けられている生徒には、改めて自分がしようとしていることの意味を自覚してもらえるし

    • 「~になるため」でない知識人論のために

      旧制第一高等学校の生徒の思潮について研究しておりますが、「~になるため」でなくてもある、学校生活の意義というのが紡ぎだせたらと思っています。 第一高等学校、一高といえば、戦前のトップエリート校であり、さらに帝大へと進んで、官界、経済界、学界で指導的な立場に立つ人々が輩出した場でありましょう。 まずもって官僚になるために、立身出世志向が翳ってきた明治末以降も、教養ある人間になるために、というのが高等学校から帝大へと進み、高等教育を受けようとする者の矜持であったことかと思います。

      • 【レポート】対話する上映会:映画『籠城』をみんなで観ておしゃべりする場@学問バーKisi

        高原智史 僕らが大学のプロジェクトとして制作した映画「籠城」を、新宿の学問バーKisiさんで上映し、観賞されたみなさんとトークしました。 まず、映画そのものについて説明します。 そもそもの発端は、東京大学東アジア藝文書院(EAA)という組織が2019年に発足して、僕がリサーチ・アシスタントとして加わったこと。EAAでは、「一高プロジェクト」というのが始まって、ちょうど第一高等学校(現東京大学教養学部)についての修士論文を書き終えて、博士課程に上がったところの僕を加えてもらい

        • WunderBarArs 酒税レクチャー開催報告と、Zoom動画の販売

          わが町小岩のバー、WunderBarArsで開催しました酒税レクチャー、2回合わせて10名ほどの方にご参加いただき、無事終了しました。 https://x.com/takabu_kmb/status/1715629459217568152?s=20 当日参加できなかった方のために、Zoom配信動画の録画をご用意いたしました。恐縮ですが、当日の参加費と同じ1000円にて販売いたしたく思います。 36分11秒の動画と、画面に映したスライド(パワーポイント)をアップロードしてい

          ¥1,000

          酒税レクチャー「酒税の基層」

          10月28日(土)の16時からと18時から、江戸川区小岩のWunderBar Ars(江戸川区西小岩1-19-32薮田ビル 201)にて「酒税の基層」と題して酒税レクチャーを開催します(2回とも同内容です)。 酒税制度についてや、今次のその改正についての早わかりというのではなく、歴史的、経済的、法的にその「基層」に迫ることを目指します。 予定している目次は以下の通りです。 Ars現地でご参加いただける他、Zoomでも配信します(録画を後に販売する予定もあります)。 参加

          ¥1,000

          酒税レクチャー「酒税の基層」

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          ギルドとしてのBar・大学論(初稿)

          前回の初投稿で、このnoteのさしあたりの目標は、「ギルドとしてのBar」論を完成させることと書きましたが、すでにプロトタイプ的なものはあります。7月21日にTwitterに26連ツイしたものです。以下、こちらにも転載します。 なお、文中に小岩という地名が出てきますが、東京都江戸川区小岩。僕の地元です。ここ一年間、小岩の3つのバーに通いながら、酒場ということについてよく考えさせられ、こういうことを書き綴っているわけです。 昨日の「バー・大学=ギルド論」は、わりかし面白い着想

          ギルドとしてのBar・大学論(初稿)

          エリートということ

          学部から数えて東大に18年在学している、現在博士課程在籍の高原智史と申します。 Twitter(いまやX?)に、研究か酒場か、あるいはそれらの入り混じった連ツイ(最大26連)を投下してばかりいるこの頃ですが、このたび note を始めました。 noteの最初の記事は、どういうことを書こうかと考えるに、やはりこれしかない。「エリート」。最初に書きましたように、東大に入ったはいいけど、ずっと出られないでいる僕なんぞは、エリート志願者の成れの果てでしかないわけですが、しかしだか

          エリートということ