【レポート】対話する上映会:映画『籠城』をみんなで観ておしゃべりする場@学問バーKisi
高原智史
僕らが大学のプロジェクトとして制作した映画「籠城」を、新宿の学問バーKisiさんで上映し、観賞されたみなさんとトークしました。
まず、映画そのものについて説明します。
そもそもの発端は、東京大学東アジア藝文書院(EAA)という組織が2019年に発足して、僕がリサーチ・アシスタントとして加わったこと。EAAでは、「一高プロジェクト」というのが始まって、ちょうど第一高等学校(現東京大学教養学部)についての修士論文を書き終えて、博士課程に上がったところの僕を加えてもらいました。
映像プロジェクトの話が出たのは、2020年になってから。コロナになり、キャンパスに容易には入構できなくなって、映像を制作してアップすれば、いろいろ見てもらえるのではないかとの構想でした。
リサーチ・アシスタントとして、ロシア映画を研究している小手川氏(監督に)と、近代日本の教育について研究している日隈氏(記録係に)が加わり,
当初は必ずしも映画を作るという話ではなかったのですが、結局そういう話になりました。
映画の内容としては、旧制一高について研究している現代の東大院生が主人公ということで、一高の生徒たちと、彼らを自らの立身出世志向の源流に据えようともがく現代の東大院生の交錯を描く、というようなものです。
はっきり言って、重苦しい映画です。実際、息苦しさがあるという感想を今回も複数頂きました。「エリート」をこじらせているような基調、しかもそれが何度も繰り返される。息苦しくないわけがありません。しかし、諸々のグロテスクさを出していこうという制作意図でもあります。
今まで何度も上映会はしてきましたが、ホールで数十人を相手に、アフタートークも、鑑賞者は手を挙げて質問して、こちら側が回答をして終わりという感じ。
バーというような大きさのところで、十人足らずの鑑賞者を迎えて、二度の上映。近い距離で観てもらい、また感想等を言い合っていただくのは、新しい試みでした。
さて、いろいろなご感想、ご意見を頂きましたが、それらを総括して感じるのは、早い話が僕のことを、モデルと言わないまでもモチーフとしている今作、これを作ることで、自分が変わる、もっと言えば、「東大なるもの」にこだわり続けている自分が、それを客観視し、そこから自由になれることを目指していたわけですが(「リベラルアーツとしての映画制作」という標榜もありました)、結局、また、まだ、同じところを回り続けているのだなあ、ということを再確認したという感じです。
僕にとっても改めて映画を観る機会になり、またいろいろなことを感じたつもりで、感慨として、更新された部分もやはり変わらない部分もある。
映画を作ったという時点では、自分の考えは大きく変わらなかったようですが、時が経ち、自分の方が変わることで、映画との距離感も変わっていくような気がしました。
バーという場で、映画を皆で鑑賞して、皆で感想を語り合うというのは、「対話する上映会」という試みは、かなりいい試みのようですが、通常の映画では、著作権等の関係で難しいかもしれません。
自分たちで映画を制作し、著作権も持っているという僕らの特権と、学問バーという場がうまくリンクしたように思います。
ご来場いただいたみなさん、学問バーKisiさん、そしてこれを読んでくださったあなた、どうもありがとうございました。
小手川将
2024年1月21日(日)、新宿歌舞伎町に位置する学問バーKisiにて映画『籠城』を上映する機会に恵まれた。カウンターチェアが5席並び、奥に4人掛けほどのソファ、カウンターを挟んですぐの壁に投影するという些か異例の上映がどのような場になるのか見当つかずのままイベント当日に臨んだのだが、望外に充実した上映会になったのではないかと安堵している。
学問バーKisiのふだんの営業形態は、主に大学院生や研究者がその専門性を活かしてトークイベントを開いてお客さんとコミュニケーションをとるというもので、時には侃々諤々の議論が交わされることもあるという。このたび、いつものイベントとは毛色の異なる本企画を採用してくださり、音の調整や遮光などの事前のセッティングから当日のバー運営まで全面的に協力してくれた店長には頭が上がらない。
今回の上映機会は、すでに何度か学問バーKisiに日替わりバーテンダーとして立ち、自身の研究や関心について話していた高原さんの声がけで実現したもので、当日は私と高原さんの二人が日替わりバーテンダーとして立った。予報よりも早く雨が上がり、少し晴れ間も見える天候のもと行われた今回の上映イベントには、事前に予約していただいた方のほか、飛び込みでご参加くださった方もふくめて14名の方にご来店いただいた。
幸福な時間だった。二回の上映を行い、各回ともに上映後のトークの時間を設けていたのだが、それぞれ一時間半近くも観客の方々と言葉を交わすことができた。もとより単に上映するだけでなく、映画をともに観るという行為を通じて、その都度その場に集まった人たちのあいだで生まれる発見や考えを共有するような上映の場をつくりたいと思いながらこれまで『籠城』の上映活動を続けてきた。とはいえ、作品の内容や演出の意図、あるいは背景となる一高史などについて観客から聞かれて、それに対して監督として言葉を探してなんとか応答して、それで終わりとなる場合が多い。もっと話を聞いてみたいと思うが、どうしても時間の制約がある。それは単に一人の観客とやりとりを続けるための時間がとれないというだけでなく、より突っ込んだ話をするために必要な信頼関係を築くことができないということでもある。トークゲストを招く場合は事前に打ち合わせをしたり、ときには食事をとったりして信頼関係を築くこともできるが、上映のたびに偶然の産物として生まれる「観客」と言葉を交わすというのはじつはきわめて難しい。
そう考えると、小規模のバーはそもそも会話のしやすい設計になっており、観客同士で話すこともできるし、ある種の上映空間としてかなり良いのではないかと思う。今回来店していただいた方の一人が、映画上映とトークをセットにすることの面白さに触れながら、ミハイル・バフチンの対話理論を想起したとおっしゃってくださったことが嬉しかった。作品をつくった作者が優越しているのではなく、その登場人物も読者も誰でもが個性的な存在として言葉を交わす。そのようなことが可能な時空間が、あのときあの場で生まれていたとしたらこの上ない喜びである。
今後も上映活動を続けていくことの意義を再確認できた、というのが今回のイベントの個人的な収穫の一つである。なにより久々に本作についての言葉を高原さんと交わせたのは楽しかった。素晴らしい場を提供してくださった学問バーKisiと店長に、あらためて最大限の感謝を述べたい。
映画『籠城』HP:https://sites.google.com/view/hakushito/home
X(Twitter):https://twitter.com/AClosedOffMan