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AirDropナンパに挑んだブーメラン男

とある映画のイベントで僕が写真を撮っていたら、
いい写真ですね、と隣にいた綺麗なおねいさんに褒められた。

写真送りましょうか?、と聞いたら喜んでくれたので

”あ、じゃあLINEで送りますね”

そう伝えたら、

”AirDropで行けませんか?”

と言われた。

その時ふと、なんか僕がナンパをして断られたみたいな感じに思え、
急にその場にいることがいたたまれなくなってしまったのである。
カッコつけて恥をかいたように自分が思えて、逃げ出したくなった。

一応、補足はしておくが、ここまでの流れにおいて下心というものは存在していない。とはいえ、正直Airdropなどという便利なサービスを開発したAppleを恨んだことは認める。そこで諦めてしまう自分はなんて小さい奴なんだ!と思った自負もある。

そんなことをぐるぐる巡らせていたら、先日読んだオードリー若林正恭さんの著書、”ナナメの夕暮れ”の一節が頭をよぎった。

”他人への否定的な目線は、時間差で必ず自分に返ってきて、人生の楽しみをうばう”

はっ、としてしまった。

この一節は、若林さんがスタバでグランデと言って注文ができないことを、スタバでグランデとかカッコつけて言っちゃってるような周りの人を自分が散々バカにしてきた結果、自分がその行為をするときに、周りにバカにされるではないかという恐怖で自意識過剰になってしまったという経験を語っているところ。

他人に向かって剥いだ牙が、ブーメランのように弧を描いて自分に突き刺さっている状態なのである。昔から言っているのだが、他人の目をきにする人は、”おとなしくて奥手な人”などでは絶対にない。心の中で他人をバカにしまくっている、正真正銘のクソ野郎なのである。

思えば自分は、恋に頑張っている人や常に女の子に話しかけて頑張っている友達を表面では応援しながらも、どこかバカにしているところがあった。こんなことにエネルギー使ってどうするの、的な思考だ。

そんな常にブーメランを投げまくっていた人生だから、それが返ってくるのが怖くて何もできなくなってしまうのである。

自分が奥手な性格なのは、シャイとか勇気がないとか、かわいいものではない。散々人をバカにしてきたクソ野郎の蓄積なのだ。

明るく前向きな人間は、後ろ向きな人間は放っておいて勝手に前に進む。

確かこんなことも本のどこかに書いてあった。

これに気づいた今(遅すぎ)、自分がすべき事は恥ずかしがることでも、おいおいと逃げ出すことでもない、前に進むことではないか?

ラインを断られたくらいで怯むな、映画の感想をこの後話しませんかでもいいじゃないか、もし嫌われても、なんて考えるな。さあ行け!

なんとそこには・・・

もう誰1人いませんでした。ちゃんちゃん。


↓”ナナメの夕暮れ”の書評です。本当に名著で大好きです。


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