takaaonuma

KPMG→KPMG Richmond→城南洋式店再建→金型製造のトーマックM&A→ムラタ洋紙店M&A→洋紙部門事業譲渡→札幌の鉄工・プレス加工のスズキ工業所をM&A。中小企業のモノづくり企業集団を作りエンドユーザーの希望に対応したい。東京と札幌の二重生活中。釣り好き。

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KPMG→KPMG Richmond→城南洋式店再建→金型製造のトーマックM&A→ムラタ洋紙店M&A→洋紙部門事業譲渡→札幌の鉄工・プレス加工のスズキ工業所をM&A。中小企業のモノづくり企業集団を作りエンドユーザーの希望に対応したい。東京と札幌の二重生活中。釣り好き。

最近の記事

事業承継を積極的に始めた事について(2/2)

3 月 11 日 は 私 は 朝 か ら 営 業 で 担 当 顧 客 を 回 って い ま し た 。 お 昼 過 ぎ に 会 社 の 近 く ま で 車 を運 転 し て 来 た 時 に 異 変 に 気 が 付 き ま し た 。 電柱 が 大 き く 揺 れ て い ま し た 。 最 初 は 目 の 錯 覚か と 思 い ま し た 。 し か し 家 か ら 飛 び 出 し て くる 人 た ち を 見 て これは 大 変 だ と 思 い 、 すぐに会 社 へ 戻 り

    • 事業承継を積極的に始めた事について(1/2)

      新規事業立ち上げで苦労している時に銀行から金型製造会社を紹介されました。社内で相談すると全員が反対しました。理由は紙屋が金型を作る事は出来ないから。しかし紙事業の将来に不安を感じていた私は、先方の社長と一年かけてじっくりと話をして一年後M&Aする事を決めました。 金型製造会社の経営状態は健全でした。前オーナーの弟である専務は売却に納得していない様子でした。過去の過ちを犯さない為に慎重に時間をかけて経営に関わりました。利益が出ているので現場には手をつけない。変えるのは管理部門の

      • 32歳で潰れそうな家業を経営再建した話 3/3

        ホッとするのもつかの間、過去の粉飾決算が判明。業績悪化で融資を断られる心配からか父が偽装を行っていました。稚拙な手法で銀行は分かっていたでしょう。当時は貸し渋り・剥がしと銀行が悪い様な報道が多くありましたが、業績報告を正確にしていない企業にも責任があると思います。 そこで毎月サポートしてくれている仕入先と銀行に経営報告を行う事にしました。こうして再建計画は社員の頑張り、仕入先・銀行の協力の元で計画通りに進みました。仕入先に猶予してもらった支払いも計画通りに終える事が出来ました

        • 32歳で潰れそうな家業を経営再建した話 2/3

          顧客が不渡を出した情報は直ぐに仕入れ先へ伝わりました。日々の仕入を断られ業務に支障が出始めました。仕入先の担当者から面談のアポが次々と社長宛に入り始めました。再建を諦め全てを放棄してしまった父の代わりに私が対応しました。銀行からは担保増額要請が来ましたが、要請は全て断りました。社員には不安が広がっていました。 話を聞いた金曜日の午後から月曜日の明け方までかけて再建計画書を作りました。キャッシュフローを計算すると2月末には1億円足りない事がわかりました。銀行から新規融資を受ける

          32歳で潰れそうな家業を経営再建した話 1/3

          父は紙問屋を営んでいました。3代目である私の代で紙問屋は廃業しました。今は東京の金型屋と札幌の鉄工所・プレス加工会社を営んでいます。買い叩かれないよう他では出来ない納期や加工方法のバリエーション、顧客開拓を試しています。どうして紙屋が製造業になったのか?これまでの経緯を記載します。友人から何故潰れそうな会社の事業承継を選んだのか?と当時質問された事が多くありました。 その理由の一つは小学生の時から知っている社員の生活が心配だったから。 一つは経験の為、当時の僕は資産など持って

          32歳で潰れそうな家業を経営再建した話 1/3