“書く習慣”で「書きたい気持ちを育む」
いしかわゆきさんの著書 書く習慣
僕ははっきり言って背中を押してもらった。
というのも、
ネットの盛り上がりとともに、
書くことは好きになったはずだったけれど、
学生時代、かけだし社会人のとき、
急速に書くモチベーションが「削られた」
時期が確かにあったと思っている。
悪気のありナシはともかく、
個人としては、
誰かの発するたった一言が、
自分の中で増幅されてしまい
書くことにネガティブに影響したと思ってる。
以来、
仕事のことを書こうにも、
自分の価値観やその日の出来事にふれようにも、
『あ、やっぱコレは投稿するのやめよう』
なんて、ストップがかかる。
おそらく6~7割はお蔵入りしてる。
このいしかわゆきさんの
書く習慣は、
そんな人間ですら
「書きたい」気持ちを育む気にさせてくれた。
だから現にこうして、
今までできなかった
「過去にふれる」ことができてるし、
かつ投稿することができている。
素敵なきっかけを、
ありがとうございます🙇
そして、ここからは「自分が思うこと」
※これも今までしなかった取り組みだから、
著者さんには感謝してもしたりない。
本当に「あえて」書くのだけれど、
この書籍に、Amazonで、
"文章がヘタ"と書いた、あるレビュワーがいた。
きっと著者さんのことだから、
レビューもみてると思うが、
誠に勝手ながら、
応援の気持ちを込めて、あえて言及。
そのレビューに対して、
個人的な感想を言わせてもらえれば、
少なくとも、
「自分に合った本の選び方、
勉強したら楽しいよ」と
言えると思ってる。
けれど、それだと
マウントの取り合いになっちゃうだけ。
それ以上に不思議でたまらないのは、
国語力に関する感覚の違いをよく見るということ。
例えば
「今の人は語彙力が無さすぎる」派の意見と
「中学生にもわかるように」派の意見と、
反対の立場があるけど、
なぜ解け合うことができない?
なぜ世の人たちは物事を二極化にしたがる?
なぜ、自分と違う人たちの勇気を、
そんなに簡単にくじこうとする?
グラデーションであることを
理解している人たちも、
きっと大勢いるんだろう。
ただ、
なぜだか目に付いてしまう今日この頃。
価値観を大事に育み、
各人が活躍する、
そんな世界だとうれしいな。
おしまい。