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高尚なクラシック音楽と低俗なミュージカルシアター

クラシック音楽ファンの中には、ミュージカルやポピュラーなエンターテインメントを「低俗」として見下す傾向がある人がいます。この背景には、音楽の形式や歴史、そして「高尚」と「大衆的」という二分的な価値観が影響しています。しかし、実際にはクラシック音楽とミュージカルの間には多くの共通点があり、歴史的にもその境界は非常に曖昧です。今回は、クラシック音楽ファンがミュージカルを低く評価する理由と、実際のところ両者にどのような違いと共通点があるのかを掘り下げます。


1. 音楽の伝統と「高尚さ」へのこだわり


クラシック音楽は、数世紀にわたる伝統と歴史に支えられています。バッハ、ベートーヴェン、モーツァルトなどの偉大な作曲家が確立した音楽の形式や構造は、音楽史において非常に重要な役割を果たしてきました。これにより、クラシック音楽はしばしば「芸術性の高い」「深みのある」「高尚な」ものと見なされます。この評価は、その複雑な音楽理論や技術、そして歴史的な文脈に基づいています。

一方、ミュージカルシアターは、より現代的でエンターテインメント性の強いジャンルとして広く認知されています。ポップカルチャーや大衆娯楽の要素を取り入れた形式で、音楽そのものが比較的シンプルであり、広範な観客層をターゲットにしています。このため、クラシック音楽を愛する人々の中には、「軽い」「商業的すぎる」「本物の音楽芸術ではない」という見方をする人がいるのです。

オペラ『ブエノスアイレスのマリア』by ピアソラ

2. 商業性と娯楽性:クラシック vs. ミュージカル


クラシック音楽は、主に宮廷や教会などの貴族階級や宗教的権威のもとで発展しました。それに対し、ミュージカルは、ブロードウェイやウエストエンドなどの商業劇場を中心に発展し、映画やテレビなどの現代メディアとも密接に結びついています。この商業的背景は、ミュージカルの目的が「楽しませること」「売れること」に強く焦点を当てているという印象を与えます。

その結果、クラシック音楽ファンの中には、ミュージカルを「商業主義的で、大衆に媚びたもの」とみなす傾向が生まれます。例えば、現代のポップス調の楽曲やキャッチーなメロディーは、クラシック音楽の複雑な構造と対比され、音楽的な深みがないと評価されることがあります。

オペラ『アルチーナ』by ヘンデル

3. ジャンル間の曖昧な境界:クラシック音楽とミュージカル


しかし、クラシック音楽とミュージカルシアターの境界は実は曖昧です。たとえば、モーツァルトの『魔笛』はオペラの一種ですが、ジングシュピールという形式で作られており、セリフと音楽が交互に使用されています。これは、現代の大衆演劇、ミュージカルに非常に近い形式です。『魔笛』は当時、大衆向けのエンターテインメントとして作られたものであり、クラシック音楽の中にさえ、大衆的要素を含む作品が存在していたのです。

また、19世紀のフランスでは、『カルメン』などに代表されるオペラ・コミックという形式が発展しました。これは、歌とセリフが交互に使われる形式です。オペラ・コミックもまた、現代のミュージカルに非常に近いものであり、大衆向けに楽しむための作品でした。

さらに、イギリスのギルバート&サリヴァン(G&S)が作曲したサヴォイオペラ『ペンザンスの海賊』『ミカド』、『アイオランテ』など)は、当時の大衆向けエンターテインメントとして非常に人気がありました。これらの作品も、現代では多くのミュージカルカンパニーで上演され、ミュージカルとオペラの境界を超えた存在として親しまれています。
とくに『ペンザンスの海賊』のI am a very model of a modern Major Generalは『元素の歌』「怪盗グルーのミニオン大脱走』などでも使用され、幅広い層に愛されてます

サヴォイオペラ『アイオランテ』by ギルバート&サリヴァン

4. バッハの『コーヒーカンタータ』:高尚さの神話を打ち破る


クラシック音楽の代表格であるJ.S.バッハも、すべての作品が「高尚」なものではありません。彼の作曲した『コーヒーカンタータ』(BWV 211)は、ユーモラスで軽快な作品です。
このカンタータは、コーヒーを愛する娘と、彼女にコーヒーをやめさせようとする父親とのやりとりを描いており、宗教的なテーマや荘厳な内容とはまったく異なります。バッハはこの作品を大衆娯楽として書き、当時のコーヒーハウスで上演されました。

このように、バッハでさえも世俗的で娯楽性の高い作品を手掛けており、クラシック音楽の作曲家が常に「高尚」な作品を作っていたわけではないことがわかります。音楽の目的が必ずしも芸術性や深さにのみ依存しているわけではないことを理解する必要があります。

同様に、モーツァルトの『魔笛』もまた、当時は大衆向けのエンターテインメントとして作られた作品です。彼の作品は、時代の中で芸術的評価を高めてきたものの、当時は「高尚」という枠には収まらないものでした。
クラシック音楽ファンがモーツァルトやバッハを「高尚な作曲家」として崇め、その作品をミュージカルなどと比較して軽蔑することは、彼らが実際に大衆に向けた作品も作っていたという事実を無視している点で、偏った見方であり愚かなものと言えるでしょう。

世俗カンタータ『フィーバスとパン』by J.S.バッハ

5. ミュージカルとクラシック音楽の共通点:技術と表現力


ミュージカルシアターには、クラシック音楽と同じく、高度な技術と表現力が求められます。ミュージカル俳優は、歌唱力に加えてダンスや演技のスキルも必要とされます。
例えば、ブロードウェイの舞台に立つ俳優たちは、声楽的な訓練を積んだ者も多く、彼らの歌唱力はクラシック音楽のオペラ歌手と匹敵するものがあります。また、現代の多くのミュージカル作品では、オーケストラが使われ、音楽そのものも非常に洗練されています。

したがって、ミュージカルとクラシック音楽の間にある技術的な違いはそれほど大きくありません。両者は異なる形式や目的を持っていますが、根底にあるのは音楽とパフォーマンスの力です。

ミュージカル『ブライトスター』

6. エリート主義と大衆文化の衝突:音楽における階級意識


クラシック音楽ファンの一部がミュージカルを見下す背景には、音楽におけるエリート主義や階級意識が存在することも否めません。クラシック音楽は、長い間貴族や上流階級に愛され、コンサートホールやオペラハウスといった特定の文化的空間で演奏されてきました。このため、クラシック音楽は知識階級や富裕層と関連付けられることが多く、音楽自体が「高尚な趣味」として扱われる傾向が強いのです。

一方、ミュージカルは、大衆に向けたエンターテインメントとして発展してきました。ブロードウェイやウエストエンドでの公演は高額なチケットが必要ですが、それでもクラシック音楽やオペラと比べると、より多くの観客に開かれた形式であり、広い層に親しまれています。そのため、クラシック音楽ファンの中には、ミュージカルが「低俗な大衆文化」と見なされることがあります。これは音楽に対する階級的な偏見が影響している可能性があります。

しかし、音楽は階級や社会的地位を超えて楽しむべきものです。大衆文化が必ずしも低俗であるわけではなく、むしろ時代の変化や社会の進化とともに、音楽も多様化してきたのです。したがって、エリート主義に基づいた音楽の評価は、時代遅れであり、音楽の多様性を認めることが重要です。


結論:音楽の多様性を尊重する


クラシック音楽が「高尚」、ミュージカルが「低俗」と見なされるのは、音楽に対するまちがった固定観念によるものです。しかし、歴史的に見れば、クラシック音楽にもミュージカルにも娯楽的で大衆向けの要素が多く存在し、両者の境界は非常に曖昧です。むしろ、クラシック音楽とミュージカルの共通点相互作用を理解することが、音楽をより豊かに楽しむ鍵となるでしょう。

モーツァルトやバッハといった偉大な作曲家たちも、大衆娯楽に向けた作品を数多く手掛けており、彼らの作品が当時どのように受け取られていたかを理解することは、今日の音楽に対する見方を広げるきっかけになります。音楽の価値や「高尚さ」は時代とともに変わり、音楽の目的や形式によってその捉え方は異なります。したがって、クラシック音楽とミュージカルを対立させるのではなく、それぞれのジャンルの良さを理解し尊重することが、音楽ファンにとって重要な視点です。

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