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ガジュマルの木と心の余白

最近、お花屋さんに寄ることが自然とできるようになった。今までは、花とか緑に全く興味がなかったのだけど。

小さい頃から、母親はそれらが好きだった。家の中にはポトスとか蘭の花、詳しくないから名前も知らないたくさんの草花が置かれていた。ここ10年くらいはすっかりと薔薇にハマっていて、帰省すると賃貸とは思えない程、共有スペースに母親が育てている薔薇たちが飾られている。
「大家さんに怒られない?」
「この前ここ通って、綺麗ですねって言ってたから大丈夫じゃない。」
なんて言ったりする。はたまた料理していて、仕上げの緑が足りないとなると、
「ちょっと待って。」
と言って、ベランダから大葉をとってきて散らすこともある。そんな家庭で育ったのに、私は全くそれらに興味を持たなかった。

思えばいつでもそうだった。何かに特別興味を持って取り組むことがない子供だった。小学生当時流行ったSPEEDとか、中学生・高校生になってGOING STEADYにはハマったけど。部活だって一生懸命やったけど。
人生の遊びになる部分というか、息抜きになる部分というか。そういったものは「面倒くさい」で片付けてきた。ぶどうは好きだけど、皮を剥いて種を出すのが面倒だから食べないとか。とにかく面倒なことが嫌いだった。

社会人になって、それは無駄なことをしたくない考え方につながった。職場内の会話とか、二度手間となる作業をなるべく避けた。お喋りをして残業する同僚の気持ちが分からなかったし、上司に気を遣うこともできなかった。
ゆとりと呼ばれるのはこれかな。なんて思いながらも、そんなことしてる暇があれば早く帰りたいとか思うような人間だ。

だけどこのコロナ渦。
家にいる時間が増えた。今まで時間を費やしてきたライブや、飲みに行くことができなくなった。元々家にいるのは好きだけど、さすがに時間を持て余した。アマプラで映画を観たり、本や漫画を読んだ。音楽も聴いた。だけど、誰かに与えられる趣味ではなくて、‟自らする何か”がしたくなった。

そんな時、商店街を買い物中、お花屋さんの前で足が止まった。家から程近い距離にある、アーケードの中のお花屋さん。これまでそこにあることは知っていたけど、特に気にもとめなかった。
でもこの日は違った。店先に並べられたたくさんの草木や花を眺めていると、興味が沸いた。
「私にもできるかな。」
小学1年生の頃、みんな1つずつ鉢をもらってチューリップを育てたことがある。私は咲くのが待ち遠しくて、こまめに見に行っていた。早く咲いて欲しい一心で、水をあげた。でも咲かなかった。クラスでただ1人。とても悲しくて、でも今考えたら水の遣り過ぎだったように思う。

そんなことを思い出しながら中に入り、更に店内を見ていると。黒いプラスチックの鉢から、立派な幹が出ている木に目が止まった。何だこれ、と思って紙に可愛い文字で書かれた名前を見ると、‟ガジュマル”と書かれていた。
え…!

小学生の頃、私は沖縄に住んでいた。その校門入ってすぐのところに、大きなガジュマルの木があった。それはそれは大きい木だった。
幹同士が捻じれて、重なるようにして丈夫な中心を作り上げている。そうかと思えば、取り囲むように横に伸びて足場のような部分もあって。高い所に、ゆりかごのような形になっている場所まであった。私はそこが好きで、よく登った。座って、友達と並んで喋ったり、鬼ごっこの時に隠れたりした。低学年であれば、10人くらいは一緒に登ってもそれぞれの場所が確保されるくらいの、大きな木だった。

そんなことを思い出したら、目の前の小さな木がまさかガジュマルだなんて思わなかったのだ。でもなんだか久しぶりの友達に再会した気分になって、私はそれを買った。
「育てるの難しいですか?」
「難しくはないですけど、日光が要ります。」
店員さんが教えてくれた。連れて帰って、ネットでも色々調べたけれど、短い言葉で端的に表した店員さんを流石だと思うくらい、割と簡単に育てられる植物に入るらしい。

そして今、私の部屋にいるガジュマルは、どうにか元気だ。結局親子なんだなと思いながら、母親がしていたことを思い出して倣う。
今まで面倒とか無駄だと思っていたことは、心の余白に入ると落ち着いた暮らしになることもあると気付いた。ぶどうを食べることも、同僚と話すことも、そこから見つかる感覚があったのかもしれない。
私は今まで徹底的にそれを省いて、物事を‟楽しむ”機会を、自ら減らしていたのかもしれない。こんなに悲しいことはないと思った。自然にそれらを心の肥やしにしている人たちと、今までたくさん出会ってきたのに。

ガジュマルをたまにベランダに出して日に当てたり、土が乾いたらそれを見計らって水を遣る。それくらいのことだが、なんだか楽しい。あまり心配に思わず、気付いた時にお世話すればいい。
人間同士みたいだなあと思う。
今まで近付きすぎて、相手を枯らしたこともあったんじゃないかな。少し放ったらかしくらいが、緑も人間も丁度いい。
心の余白に、今度は何を入れようか。

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