JR全線完乗の旅/第47回紀勢本線/2019年3月9日〜10日
大阪お休み便。大阪支店で朝方荷卸しが終わると、寝ずに南海電鉄本線に乗車し和歌山市駅に来ました。これから完乗を目指すJR紀勢本線の起点駅ですが、南海和歌山市駅の隅っこを間借り。駅名標も南海仕様の物しか見当たりません。
■紀勢本線(和歌山市〜和歌山)105系
車両も和歌山線と共通運用の105系が、この区間を行ったり来たり。なんとも支線のようですが、本線を名乗っています。
■紀勢本線(和歌山〜御坊)225系
和歌山駅からは最新鋭の車両でいざ紀伊半島を南下。と行きたいところですが…
■和歌山駅「特急くろしお」287系
パンダラッピングのくろしお号が先発。青春18きっぷなのでお見送りです。
■紀勢本線(御坊〜紀伊田辺)113系
御坊駅からは、どこからどう見ても103系にしか見えない113系に乗り換え。地元山陰を走る岡山区の115系と同様の、貫通扉の無い先頭車化改造車です。岡山区は編成の片方はオリジナルですが、こちらは両方共の改造車なのでそっくり度が増しています。
岩代〜南部間の車窓から。この辺りから所々で太平洋を望むことができます。遠くの陸地は南紀白浜です。
■紀伊田辺駅「特急くろしお」287系
紀伊田辺駅から先は3時間弱の接続待ち。この間に「特急くろしお」は何本も通過しますが、青春18きっぷの旅なので鈍行しか乗れないのが辛いところ。そこで街中を散策することにしました。
紀伊田辺駅から徒歩5分で闘鶏神社です。神社の名前の由来は、田辺の有力者で熊野別当(熊野三山を統括する役職)の湛増(たんぞう)が、壇ノ浦の戦いに際し源氏と平家の双方から熊野水軍の援軍を要請され、神社で鶏を闘わせた故事によるものです。
赤を平家、白を源氏と見立てた7羽の鶏の闘いは、ことごとく白の勝利でした。そこで熊野水軍の200隻は源氏に加勢し、勝利に結びついたといわれています。
現在の社殿は近世に再建された6棟が揃って残っており、いずれも国の重要文化財の指定。写真では手前に屋根が少しだけ写っている八百萬殿から、下御殿、中御殿、上御殿、本殿、西御殿とずらりと並んでいます。これは水害で流出した以前の熊野本宮大社と似た配置で、熊野三山と強い関係性が見られます。
闘鶏神社には熊野三山の全ての祭神が祀られていることから、別宮的な存在として当社を参拝して、山中の熊野本宮まで行かなかった人々もいたそうです。
【画像は田辺市熊野ツーリズムビューローHPより】
ここ田辺市は熊野三山への参詣道の分岐点で、山中へ分け入り熊野本宮に向かう中辺路(なかへち)。そして、海辺を紀勢本線と同様に進む大辺路(おおへち)に分かれます。
江戸時代には「蟻の熊野詣」と庶民にも広まった参詣は、田辺の城下町に残る「道分け石」が往時の賑わいを教えてくれます。「右きみゐ寺」が紀三井寺で和歌山方面。「左くまの道」が中辺路。写真には写り込んでいませんが、右側の下に小さく「すくハ大へち」とあり、真っ直ぐは大辺路となります。高さ約2mで安政4年(1857年)に再建されたものです。
田辺市内で熊野古道の歴史に触れて、紀伊田辺駅まで戻って来ました。駅前で目立つのは武蔵坊弁慶の銅像。闘鶏の逸話が残る熊野別当湛増の息子が弁慶との言い伝えが残り、弁慶ゆかりの史跡やお祭りがあります。
■紀勢本線(紀伊田辺〜古座)105系
田子〜田並間の車窓から。綺麗な夕陽に遭遇しました。しかし、明日は一日中雨との予報です。
列車の扉にある津波対策のステッカーが、場違いにとっても可愛いです。もうすぐ到着する今夜のお宿は、紀伊大島を望む海辺の宿なので、南海トラフ地震がちょっと心配になってきました。
お宿の前の海岸から見た紀伊大島。夜が明けたら予報のとおり雨模様でした。島の西側(写真の右側)にある「くしもと大橋」で、本州最南端の潮岬と繋がっています。
■紀勢本線(古座〜新宮)105系
新宮市は熊野三山の一つ「熊野速玉大社」の所在地。神代の昔、熊野の神々はまず初めに神倉(かみくら)山のゴトビキ岩に降臨したとされます。その後、近くに社殿が造営され熊野速玉大社となり、元々祀られていた神倉山に対して新宮と呼ばれ町の名前にもなりました。神倉山は神倉神社となり元宮と呼ばれました。まず、元宮からお詣りします。
新宮駅から徒歩15分で神倉山の麓に到着。朱塗りの欄干の太鼓橋と御由緒書きがお出迎え。
熊野古道中の古道といわれる538段の自然石の石段は、源頼朝が寄進したと伝えられています。
手すりも無く雨で滑りやすい石段を登ること15分。やっと参道らしくなり、ゴトビキ岩も近いと思われます。
御神体のゴトビキ岩が目の前に現れました。古代人の自然崇拝を実感する圧倒されるような巨岩です。
境内からは新宮市内が一望できます。
登るときは頂上付近は何も見えず、ひたすら石段に対峙していました。下山して山の反対側に回ると、断崖絶壁に鎮座するゴトビキ岩と社殿。こんなところにあったのかと大変驚きました。
神倉山を含む千穂ヶ峰の山麓に沿って北へ15分程歩くと、熊野川のほとりに熊野速玉大社が見えてきました。
社殿は明治16年に炎上し、その後再建されたものです。先に神倉神社の石段を登ったので、神々をこちらに移し新宮とした意味がとても良くわかった気がします。
熊野速玉大社を含む熊野三山、中辺路や大辺路を含む熊野古道は、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されました。
新宮の町を堪能して新宮駅に戻ってきました。ここはJR西日本とJR東海の境界駅で、電化区間もここまでとなります。
■紀勢本線(新宮〜大曽根浦)キハ25系
JR西日本の国鉄型電車と違い、JR東海の電車と間違えるような新しい気動車はとても快適です。
熊野市〜大泊間の車窓から。熊野市を過ぎるとリアス式海岸になり、小さな湾とトンネルが続きます。
大曽根浦駅で下車して徒歩10分で、尾鷲市の「三重県立熊野古道センター」を訪問。伊勢路からの熊野詣でにまつわる展示を見学しました。
前職の添乗で熊野三山は訪問していましたが、その由来や熊野古道について満足に理解していませんでした。世界遺産として脚光を浴びた今、あらためて本宮や那智大社そして中辺路を訪ねたいとの思いでいっぱいです。
センターから駅までの道中は、リアス式海岸の尾鷲湾に浮かぶ島々が綺麗でした。
■紀勢本線(大曽根浦〜紀伊長島)キハ25系
■紀伊長島駅「特急ワイドビュー南紀」キハ85系
■紀勢本線(紀伊長島〜多気)キハ25系
■紀勢本線(多気〜亀山)キハ25系
■亀山駅/関西本線キハ120系
■草津駅/草津線113系
亀山駅で紀勢本線の完乗を終えて、関西本線そして柘植駅から草津線に乗り換え、東海道本線経由で大阪支店に戻りました。