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JR全線完乗の旅/第57回岩徳線/2023年11月5日
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キハ187系
物流の2024年問題が迫り休みは増えたのですが、仕事の行先や休日が決まるのはいつも直前です。連休がわかりすぐに旅の宿を手配しましたが、世間は3連休で安いホテル探しに困窮。鉄道一人旅に1万も2万も出せません。やっと徳山の安宿が取れたので、未乗の岩徳線を目指すことにしました。
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山陰本線の西出雲駅を過ぎると左手に、後藤総合車両所出雲支所が広がります。「やくも」や「サンライズ出雲」の車庫ですが、先月新製されたばかりの新型「やくも」273系を発見。来春に運用開始とのことで、381系の引退は悲しいのですがとても楽しみです。
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動態保存SL列車の草分け「やまぐち号」は、2022年5月から蒸気機関車が故障で長期離脱中。代わって「DLやまぐち号」が運行されています。ただ、乗車率がSLの8割に対してDLが6割との報道。ディーゼル機関車の奮闘は嬉しいのですが、早期のSL復活が望まれています。
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「特急スーパーおき号」の終点新山口駅に到着すると、懐かしいカラーの車両に遭遇。宇部線を走る列車が広島色の105系でした。
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翌日の岩徳線乗車で駅名標の撮影が不安だったので、前乗りで櫛ケ浜駅に来ました。すると今度は瀬戸内色の115系も登場。調べるとJR西日本では〝懐鉄(ナツテツ)〟と称して復刻塗装車を運行中とのことです。
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さらに、EF65も単機でやってきました。JR西日本下関総合車両所所属のこの車両は、かつて関西と九州を結ぶブルートレインの先頭を飾っていました。当時の活躍が目に浮かぶ、私にとってヒーローの電気機関車です。
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徳山の宿を後にして、今日は全くの初乗りになる岩徳線が楽しみです。昨日は古い列車ばかりご案内しましたが、もちろん新しい列車も活躍しています。
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朝のラッシュ対応と思われる、2両編成の岩徳線列車が到着。そして、切り離された1両が折り返しの乗車列車になりました。
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明治時代に全通した山陽本線は、岩国駅〜徳山駅間を平坦で建設が容易な海沿いを経由する路線を選択。その後の昭和初期に、山陽道(街道としての)に沿った山側に短絡線を開通させて山陽本線としました。
海沿いの路線は柳井線と改称されましたが、複線化に際して今度は山側が建設困難に直面。柳井線が複線となり山陽本線に復帰し、残された短絡線が岩徳線になるという運命をたどっています。
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櫛ケ浜駅で山陽本線から分かれた岩徳線は、次の周防花岡駅付近から暫く山陽新幹線と並走します。また近くには国道2号線や山陽道(高速道路としての)も並走し、短絡線のこちらが本家と言わんばかりです。
JRの運賃計算上も特定区間として、岩国駅から櫛ケ浜駅までは山陽本線(65.4km)を経由しても、岩徳線(43.7km)で計算します。ですから山陽新幹線に乗っても、岩徳線の恩恵をこうむることになります。
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下り列車と交換した周防高森駅は、かつて山陽道の高森宿もあった周東町の中心です。現在は2面3線の中線は撤去されていますが、広い敷地と長い有効長が本線の面影を残していました。
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岩国駅の2つ手前になる川西駅で下車しました。ここは錦川鉄道(旧国鉄岩日線)の分岐駅でもありますが、目的は錦帯橋を訪問するため。観光案内は岩国駅やお隣の西岩国駅からバスとなっていますが、最寄り駅はこちらで徒歩約20分です。
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前職の旅行会社時代に添乗で何度も訪れていますが、じっくりと向き合うのは初めて。少し前のブラタモリが錦帯橋だと知りましたが、仕事が忙しくて見逃しています。内容が被っていると恥ずかしいのですがレポートを続けます。
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推進協議会公式HPより】
絵図は岩国徴古館に所蔵された「御領内之図」の一部です。関ヶ原の戦いの後に岩国藩を治めることになった藩主吉川(きっかわ)広家は、絵図左上にあたる横山の山頂に城を築き、山裾の狭い平地「横山」を政務の中心としました。山を背負い錦川が天然の堀となって、防御に優れていたからです。
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重臣も横山に住まわせましたが、多くの家臣や町人は広い対岸の「錦見(にしみ)」で暮らすこととなります。そこで錦川に橋を架けるのですが、洪水で何度も流されてしまいました。錦川で分断された城下町を繋ぐために、3代藩主吉川広嘉(ひろよし)は、橋の研究に取り組みます。
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推進協議会公式HPより】
こちらの絵図も岩国徴古館に所蔵された「西湖遊覧志」の挿絵です。これは中国明からの帰化僧より入手した本で、5つの小島を繋ぐ6つのアーチ橋が描かれており、広嘉が錦帯橋の着想を得たと伝わっています。
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広嘉は流れない橋の研究を家臣に命じ、英知と技を結集した結果たどり着いたのは、桁(けた)楔(くさび)梁(はり)棟木(むなぎ)など木材を組み合わせた美しいアーチ構造です。「錦帯橋式アーチ構造」は世界に例のない唯一のもので、35.1mという長い径間(橋脚と橋脚の間の長さ)を実現しました。
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さらに、川幅が約200mもある錦川を克服するためには、小島の代わりのとなる頑強な橋脚が必要です。4つのさながら要塞のような石造りの橋脚を築き、5つの橋を架けることで、1673年に錦帯橋は創建されました。
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ところが、創建の翌年、洪水に伴う橋脚の崩壊で、橋は流されてしまいました。すぐに復旧に取り掛かり、流出した年内に早くも再建しています。そして、より強固な石造りの橋脚を求めて、安土城の石垣を手掛けた穴太(あのう)衆のもとへ家臣を派遣した記録が残っています。前回訪問した竹田城の石垣も穴太衆によるものとされており、当時の技術の粋を集めたのだと実感しました。
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1674年に流出と再建を果たした錦帯橋は、新たな工夫を加えながら、代々の技術者が修復や架け替えを繰り返すことで技を伝承し、1950年(昭和25年)の台風による流出まで276年間も不落を誇りました。
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台風流出後は、国や県からコンクリートの橋にするべきとの声がありましたが、橋脚の基礎をコンクリートにするなどの一部改良に留め、市民の強い要望によりほぼ元通り再建されました。そして、今渡っているこの橋は、2001年から3年かけて「平成の架け替え」として、木造部分が全面的に新しくなっています。
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創建以来約350年もの間、技術と美しい姿を継承してきた錦帯橋は、世界遺産を目指しています。その橋を渡って対岸の、藩主の屋敷や役所のあった横山の山裾に向かいました。
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今回はロープウェイ乗って横山山頂(標高200m)の岩国城を目指しますが、昔の家臣達は錦帯橋が通勤路で、ひとたび橋が流出すると渡船頼みでした。それは藩政の停滞につながり、流れない橋は岩国藩の最重要課題となります。結果として、日本はもとより世界に類のない橋の完成を見たことに納得です。
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岩国城は吉川広家によって築城されましたが、完成して7年後には江戸幕府の「一国一城令」により廃城。現在の天守は1962年(昭和37年)に、残っていた図面をもとに復元されました。
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ただ、錦帯橋からの景観を考慮して、南へ50m移動させており、旧天守台が残っています。
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そのおかげで、天守閣近くから綺麗な写真が撮れました。蛇行する錦川と、錦帯橋の先に広がる多くの家臣や町人が暮らした錦見の城下町です。
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さらにその奥は、現在の岩国市街地を経て瀬戸内海ですが、海岸線のあたりがアメリカ軍岩国基地の飛行場となります。同時に共用空港として海上自衛隊の基地と民間の岩国錦帯橋空港が同居しています。
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山を降りてきて、岩国徴古館を見学しました。展示物から江戸時代の絵画や浮世絵そして書籍の挿絵に、錦帯橋が数多く登場していることを知りました。
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江戸時代後期に阿波国の僧「大震慧旦」が描いた絵画。
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江戸時代後期から明治初期にかけての浮世絵師「三代歌川広重」が描いた木版画。
このように錦帯橋の美しさは、江戸時代中期から評判になって、参勤交代の大名も山陽道から外れた場所にある橋をわざわざ迂回して見たそうです。
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錦帯橋をしっかり堪能して、川西駅に戻って来ました。できれば錦川鉄道で錦川をさかのぼりたかったのですが、もうそんな時間は残っていません。
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錦川鉄道錦川清流線の列車は、全列車がJR岩徳線に乗り入れて、岩国駅まで運転されています。車両だけでも体験することができました。
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岩国駅から山陽本線・伯備線・山陰本線で松江駅まで戻るのですが、今日が日本シリーズ第7戦で私は阪神ファンなので、暫くラジオに専念です。
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水島臨海鉄道とJR貨物の岡山貨物ターミナル駅を結ぶ貨物列車です。以前はDE10でしたが、最新型に代わっていました。やまぐち号はSLどころかDLも終焉が近づきつつあるようです。
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応援のつもりで、広島駅で買い求めたお弁当です。
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旅のラストランナーはなんと緑やくも。しかもゆったりやくもを2両増結した混色です。図らずも〝懐鉄〟をほぼコンプリートしました。
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毎回お休み便利用で足代を浮かしていますが、今回は自前で痛い出費です。きつい仕事でいつも不満タラタラですが、本当は会社に感謝しないといけません。錦帯橋の素晴らしさに阪神日本一と、気分上々で家路につきました。