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JR全線完乗の旅/第34回越後線他/2017年5月7日

■越後線(柏崎〜出雲崎)115系

長岡のお宿を出発して柏崎駅に来ました。旅の2日目は越後線を初乗りです。出迎えてくれた湘南色の電車に心が踊ります。

演歌歌手ジェロのヒット曲「海雪」で、その存在を知った出雲崎。松江在住ですが職場が出雲支店なので興味津々で降り立ちました。果たして出雲と出雲崎の間には、何らかの関係があるのでしょうか。

高台から見た出雲崎の町並み。見通しが良ければ佐渡ヶ島が見えるそうです。徳川幕府の直轄地(天領)であった出雲崎は、佐渡金銀の荷揚げや北前船の寄港地として繁栄しました。高台と日本海の間の僅かな平地に、2〜3万人も住んでいたそうです。

【写真は出雲崎観光協会HPより】

約4kmの街道筋には、びっしりと妻入りの家並みが。当時は間口の広さで税金が掛けられていたので、間口が狭く奥行きの長い妻入り家屋が軒を連ねています。

「北国街道妻入り会館」を見学しました。そもそも“妻入り”ですが、建築用語で建物の長い面が「平」、短い面が「妻」というそうです。好きな列車で例えると、ホームとの出入口が「平入り」、隣の車両との出入口(連結部)が「妻入り」となります。

中は妻入り家屋の伝統的な間取りとなっていて、奥に奥にと部屋が連なっていました。

ちゃんとジェロさんの色紙もありました。いずもざき観光大使だそうです。

江戸時代の禅僧「良寛」は出雲崎の出身です。日本海を眺める良寛像と、その背後は生家跡に建てられた「良寛堂」。詩人・歌人・書家として知られ、近くの「良寛記念館」で遺品や文献等を見学しました。

松尾芭蕉は奥の細道の旅で、ここ出雲崎に滞在し「荒海や佐渡によこたふ天河」の句を残しました。ここ「芭蕉園」にはその句碑が建っています。

JR全線完乗の旅では、立石寺の「閑さや…」に続く2つめの句碑でした。今後どれだけ出会えるか楽しみになります。

出雲崎の主だった観光地を巡りましたが、出雲との深い関係を証明するような表記はありませんでした。しかし、対馬海流に乗って古代から人の行き来はあったでしょうし、石川県や新潟県には出雲の地名が少なからずあるそうです。地名つながりで初めて訪れた場所ですが、とても素敵な観光地でした。

■越後線(出雲崎〜吉田)115系

越後線は弥彦線と吉田駅で交差するので、次の駅の表示が珍しく4方向となります。先に弥彦線を完乗する事にしました。

■弥彦線(東三条〜弥彦)E127系

再び吉田駅に戻ってくると、4方向の列車が揃い踏みでした。

終点の弥彦駅では、どこを探しても駅名標はこの立派な木製の物しかありません。

それもそのはず、駅舎は神社と見まごうばかりの威厳ある佇まい。大正5年の開業時に弥彦神社の本殿をモチーフに造られ、「ふるさとの駅100選」に選ばれています。そして、2013年にリニューアルされ、朱塗りも鮮やかに駅名標も一新されたそうです。

越後一宮「弥彦神社」を参拝しました。弥彦神社はかつて朱塗りであったと言い伝えられ、その名残りで朱塗りとなっています。駅舎と同じですね。

弥彦神社には、越後開拓の祖神「天香山命(あめのかぐやまのみこと)」が祀られています。明治時代に本殿は焼失しましたが、大正5年に再建されました。これも駅舎と同じですね。

弥彦神社の脇から遊歩道を10分程歩くと弥彦山ロープウェイの山麓駅。乗車してから僅か5分で弥彦山の山頂近くに到達します。

ロープウェイから見た越後平野は、ちょうど田植えの時期です。あたり一面の水田が陽光を反射し、思わずコシヒカリ万歳と叫びたくなりました。

弥彦山の山頂です。標高634mは東京スカイツリーと同じ高さ。他に高い山の無い独立峰で越後平野のどこからでも見えるので、逆に東京スカイツリーがいかに凄いか納得しました。残念な事に黄砂で見通しが悪く、佐渡ヶ島や360度のパノラマはお預けでした。

■越後線(吉田〜新潟)E129系

■上越新幹線(新潟〜大宮)E4系 「Maxとき」

とても美しい朱鷺のシンボルマーク

JR全線完乗の旅2回目の新幹線です。2階建て新幹線は、東海道・山陽新幹線100系の食堂車に乗って以来だと思います。

昨年のGWにサプライズで乗った「SLばんえつ物語号」のお弁当を食べました。

今年のGWは、さすがに3年連続のラッキーなサプライズはありませんでした。しかし、昨日の上田城に今日の出雲崎や弥彦山と、初めて訪問した観光地が素晴らしく、特に出雲崎は想像以上の大収穫でした。来年のGWはどこに行こうかと、今から夢が膨らみます。

越後線
(柏崎〜新潟)
83.8km
弥彦線
(東三条〜弥彦)
17.4km
上越新幹線
(新潟〜大宮)
303.6km
今回乗車 404.8km
【通算】 6697.0km

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