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少しずれていたものが重なった

少し前にAMT/ERTLの「1/25 1966 Ford Galaxie 500」を買って、少しずつ作っている。
大きなきっかけは、bantowblogさんのツイートやspaceで話されている内容に惹かれたからだ。でもその前段の出来事がちょっとあって、それらがもつれ合って動機になった。動機なんて一瞬あれば成立するものだけど、何にしても、そこに至るにはそれなりの経緯がある、と思う。
今回の事は、ぼくの人生の中ではあんまり起こらないようなことだったので、ちょっとメモしておこうと思った。ほかの人からしたらつまらぬ出来事かもしれない。だから、こんなこともあるのね、ぐらいの気持ちで読み流してほしい。

2020年に、ウォルフガング・ティルマンスという写真家が、この新型コロナ禍で苦境に立っているアートに関連する施設を支援するプロジェクト「2020Solidarity by Between Bridges」を立ち上げた。
世界各国のアーティスト50人による作品をA2判のポスターにして、ギャラリーなどの施設で販売するというもので、その収益は、販売した参加施設等に還元される。
サイトを眺めていると、その50人の中にウィリアム・エグルストンがラインナップされていた。ポスターになった彼の作品は、車のそばに立つ若い女性を写した写真で、1974-75年ごろ撮影されたもの(>>■️)。
オリジナルではないにしろ、一応エグルストンの公式な作品を手に入れることができるのはうれしいし、写真集と違って判が大きいのも魅力的に思えた。ささやかながらギャラリーの支援になるのも気分がいいので、購入することにした。

ウィリアム・エグルストンという方も写真家で、のちに「ニューカラー」と呼ばれるムーブメントの鏑矢のような人だ。
彼自身は、1965年あたりからカラーで写真を撮っていたらしいのだけど、発表していた作品はもっぱらモノクロだった。当時、カラー写真は主に広告で使われていて、アートの領域では認められていなかったそう。その後、1976年にMoMAの学芸員であるジョン・シャーカフスキーが、彼のカラー作品で展覧会を開催した。そこで注目を浴びて話題になった、というか物議を醸した。
展覧会が企画された頃、アート分野の写真家たちは、モノクロで発表することが前提だったので写真を切り口とした世界を白黒で認知し、それを踏まえて世界を見ていた、と言えるかもしれない。が、これを機に写真の世界は変化した。映え出した。
エグルストンの作品に写っているのは、当時の人物や田舎の風景など、生活を切り取ったようなモチーフが多い。コンセプチュアルなのか自然体なのかはよくわからないのだけど、田舎の道路でこちらを向く人は、当時のファッションに身を包んでいる。ダイナーのテーブルに置かれた調味料の瓶は色づいた影を落とし、スーパーで働く男の子は日を浴びて赤っぽい印象に落ち着いている。そのほか、乾ききった駐車場の車、ドライブインの看板、部屋の天井など、何気ないものでも写真は色めき立っている。
彼は、カラー写真をアートの意識で撮ったらどうだろうか、そういうフォーマットに乗っけたらどう見えて、どんな反応があるだろうか。カラー写真として見映えがいいのは何だろう。被写体はカラフルなほうがいいだろうか。であれば、風景だけでなく、市井の人々の着ている服や、店舗の看板、駐車場に並ぶ車などもいいかもしれない、などと連想した……かどうかはよくわからない(シャーカフスキーによる作為的な提案という要素は大きいと思うけど)。
ただ、カラーもなかなかいいよね? というちょっとした提案だったのかも、ぐらいに考えれば、写真史に名を刻んだ作品も気楽に観られる気がする。
マトモな理由はほかに(絶対に)あるはずなので、これは図書館で写真史の本を紐解くことをサボった挙句の開き直りなのだけど、そんなことを勝手に想像しながら写真に接するのもいいと思う。

さて、その年の11月ごろ、エグルストンのポスターは届いた(ちなみに、このポスターになった作品は『5×7』という写真集に収められていたはず)。パネルに入れたものの掛けるところがなく、本棚の前に立てかけておくことにした。
真ん中に写っている女性はそれほど目を引く感じではないのだけど、だからこそなのか、市井の中の人という存在感がある。彼女のうしろには当時の車があって、彼女はそのそばでポーズをとっている。視線は向かって左。運転席側のドアが開いていて、降りたあとなのか乗り込む前のかまでは分からない。屋根の上にはハンドバッグが乗せられている。ボデーは青と紫の間のような色で、それも淡く薄い。屋根は白。開いたドアの内張りは濃い青で、少しくたびれているようにも見える。写真の右下には給油口が写っており、その横に「GA」というロゴがあり見切れている。
そのロゴを手がかりに車種を調べると、1967年式の「Ford Galaxie」らしい。詳しくないのでまったく自信はないのだけど、ボデーの形はけっこう似ているように思う。

そんなちょっとした調べ物の中でも、ミニカーやプラモデルが検索結果に現れた。とくにプラモデルはいくつかの年式のものがリリースされていて、これがアメリカンカープラモか、とすぐに納得した。新型コロナ禍とニューカラーとアメリカンカープラモ。三つ巴になった興味が、もつれあいながら一気に収束したのはこの瞬間だった。
ただ、1967年式のプラモデルはプレミアが付いて大変な値段だったので66年式で手を打った(そもそも在庫が見つからなかった)。少し口惜しい結末である。
がともかく、bantowblogさんのいくつかのツイートと、ティルマンスのプロジェクトと、エグルストンの写真から、アメリカンカープラモを手にすることになった。そんな巡り合わせが面白くて書き付けた。
これはあくまで僕のケースだけど、みんなそれぞれプラモデルを作る(手にする)経緯があるのだろう。そんなことを想像するだけでも面白い。

bantowblogさんから聞こえてくるアメリカンカープラモの話は、戦後アメリカの車産業との関係性が透けて見え、ダイナミックな歴史のうねりも感じる。背景や経緯は複雑だけどとても興味深い。そして、何事にも背景があることを再認識させられている。
ティルマンスの意図は明確で、世情を反映した喫緊の提案だった。世界の流れと自分の立ち位置を認識した結果であり、素直に世情を受けた行動だ。それをキャッチできたことは幸いだった。
エグルストンとシャーカフスキーは、かつて、モノクロの世界を鮮やかに逸脱してみせた。そこにも何らかのきっかけがあったはず。そして、いまに至るまで、彼らの影響は続いている。何せ、その余波でアメリカンカープラモを手にする人間が(しかも日本に)いる。そんなこと彼らは思ってもみなかっただろう。
それは少しずつずれていたものが、僕の中でうまく重なった結果だ。こういうボタンの掛け違えみたいなことが起こったおかげで、何かが収束することもある。なかなか楽しいね。

出来上がるのはしばらく先


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