喉に刺さった小骨を抜いたあとの隙間に
随分前の話。
よく見ていた「saku saku」の黒幕さんに乗せられて、天下一品をよく食べていた時期があった。その黒幕さんは、好きが高じて京都の総本店まで行ったと言っていて、本店はやはりちょっと違うぞ、と話をしていた。
で、そんなことを聞いたらどうしても行きたくなるもので、しばらくして京都旅行をした際に、総本店にも行ったのだった。
叡山鉄道から歩いたのだと思う。期待していたが定休日だった。
それが20年くらい前の話だと思う。
今回、京都での仕事があり、それがたまたま金曜までだったので、後泊して観光した。そしてようやっと訪れることができた。
味の違いてまでは分からないけれど、あのドロっとしたスープが絡まる麺をズルッとやる感じは、やはりいいなぁ、と思った。近々、最寄りのお店で食べ比べてみようと思う。
喉に刺さった小骨が取れたような感覚だ。
旅行の目的は様々あると思う。若い頃やり残したことをつぶすこともまたそうだろう。些細な悔いを成仏させる旅だ。
が、それは本当に些細なことかもしれず、若い時分からいまに至るまでそれに捕らわれていたということは、他に目的を見出せなかった視野の狭さを曝け出しているようにも思う。
もちろん今回の観光は、これだけではなかったけれど、観て回ったいくつかの場所は、かつて気に掛かっていた場所だ。街歩きで新たに見出した場所(モノ、コト)は果たしてあっただろうか。
小さなことを気にかけすぎる人生もあって、進行形で深く掘り下げていくことで成すこともある。そうありたいと思うこともある。が、そこまで執着できないものぐさでもあるから、その場の気分や感覚を、荷物と一緒にコインロッカーに突っ込んで観光してしまったのかもしれない