多色刷りな時間が自分にもある。
粛々と自分の役割をこなしているとあっという間に毎日が過ぎていく。仕事で焦りや不安を感じる時はあるが案外何とかなってるし、みんな探り探りやってんだなと思いながら、今日もそれなりに働いた。潔くパソコンを閉じ、何で今?てタイミングだけどネットフリックスで「君の名は。」を見たり、ネットで買って届いた「Positive Energy」という胡散臭い名前のハーブティーを淹れてみたりする。ハーブでポジティブエナジーって絶妙に違法感があって面白いなと思いながら飲む。結構美味しい。
ポジティブエナジーを飲んで瀧くんと三つ葉の時空を超えた交流を眺めていると、日々て書くことがないなとしみじみ思う。何事も起こらない粛々と過ぎていく日々を描くのが日記なんだろうけど、なんか、もうちょい平日も多色刷りな時間を過ごしたいと感じる。一人暮らしで在宅で働きミーティングもそんなにない日だと他者との交流がマジでなく、一方で仕事というやるべき事に1日取り組んでいるので負荷はかかっており、ぼんやりと何かに思考を巡らせたり、毎日の機微みたいなものに意識を向ける感度は格段に鈍くなる。どうでも良いことをどうでも良いまま描き続けていきたいなと思う。
この週末は随分多色刷りな時間を過ごした。先日沼津の山奥で焼いた陶芸の器を取り出せる温度まで下がったので、窯から取り出す「窯出し」に参加してきた。参加は前日の夜に急に決めた。元々週末は別な予定を入れていたが、薪窯で焼いた自分の器がどんな仕上がりになっているかずっと気になっており、はやる気持ちに抗えずあっさり予定を断り沼津を優先した。後悔はしていない。
朝6時に新宿の陶芸教室に集合とのことで、4時に起きて身支度をする。小田急線で朝5時台についた新宿はとても静かで、何だか綺麗だった。5時でも意外と人はいるようで、前日から朝まで飲み耽っていたであろう人たちが駅に向かってくる。彼らが1日を終える頃自分は1日を始める。まだ日が出る前の白んだ空の下、営業前の店やビルでまみれた街はジオラマのようだった。飲んで朝帰りをするようなタイプの人生ではないので新鮮な光景だ。
教室でみんなと合流し先生の車で沼津まで向かう。東京で乗用車に乗ることはあまりなく、バスや電車と違った視界に珍しさを感じる。歩いている時よりも人間が目に入ってくる。静岡に近づくにつれて富士山も時々見えてきて、本州って地続きなんだなと改めて当たり前のことに驚く。北海道にいたときは富士山は海の向こうの出来事だった。遠出をするたびに、北海道民と他の県民では都道府県を跨ぐことのスケール感がまるで違うのだろうなと思う。そして、日本人が都道府県をヒョイっと横断する感覚て、EU加盟国が隣の国にヒョイっと行く感覚と似てるんだろうか、とぼんやり考えてしまう。
窯に着いた後はひたすらに作品を運び出しては並べ、綺麗な緋色が出た器を見るたびにおお、、と自然現象の産物に感動し、また運び出して並べ、おお、、とまた感動し続けた。ベテラン勢は窯で焼いた経験も多いから目が肥えており仕上がりの良し悪しを語っていたが、初めての自分にはどれも美しく見えた。無知が自分を幸せにしてくれる時もある。今日仕上がった作品たちを作り始めたのは、最近のものでも1ヶ月前で、9月頃にろくろで作ったものもある。そこから乾燥と素焼きを経て窯に入れられ、5日間焼かれ、2週間近くかけて冷やし今に至る。持ち帰った後に磨いて仕上げも必要なので実際に器として家で使うのにはさらに1,2週間先だろう。果てしなく地道な過程だなとつくづく思う。仕事ではデジタルのものづくりに多くの時間を費やしていて、役に立つこと、確実であること、より進化していくことが善とされる思想に従っている。それ自体は納得しているし好きでその業界にいるわけだが、手間と時間のかかるプロセスを経ること、その割に仕上がりは予測不能なこと、ずっと昔からあるやり方を繰り返すことに触れる時間というのは、自分の中の時代との距離感みたいなもののバランスを保ってくれている気がする。
沼津から持ち帰った器の中で、毎日頻度高く使いそうな物は早速磨いて家に持って帰ってきた。ビアマグと小振りのカップ。仕事中にも視界に入る場所に置き、この多色刷りな時間が自分にはあることを拠り所とする。窯で焼いたカップにお湯を入れ、「ポジティブエナジー」を飲む。