薪をくべ続けるみんな。ポップコーンを作る俺。
沼津での怒涛の連休を終えて今日もしおらしく働いた。仕事中、今日もまだ窯の温度管理をしているメンバーからグループラインに写真が時々送られてくる。モニターから目を離し写真を眺める。数字と文字がびっしり敷き詰められた、ロゼッタストーンみたいなエクセルでぼちぼち仕事をしている時を同じくして、山奥で燃え盛る窯に薪を入れ続け土でできた器を焼成させている人たちがいる。連休明けの火曜日の同じ午後、流れる時間の違いに圧倒されつつ、世界は広いのだなと感じ安心する。
週末を思い返す。破天荒なタクシードライバーにヒヤヒヤしながらも沼津初日は何とかホテルに辿り着き、その日のシフトは他の人に代わってもらったので荒れ狂う空模様を眺めながら一人でビールを飲んだ。何もしてなくてもビールはうまい。
早朝四時ごろ呼び出しの電話で起こされ早めにシフトに入ることになった。窯に行ったらホテルにはもう戻らないのでチェックアウトを済ませる。朝4時にチェックアウトするやつなんてあまりいないのか、受付の女性は「今、、?」と言う顔をしていた。さぞかし眠かろう。
窯までは歩いて10分くらいだったと思う。ホテルを通り過ぎると建物は一気になくなり坂の傾斜は急になり、自分が山に向かっていくことを思い出す。その道の両脇はラブホテルだらけになっていき、地方の山あいっぽい景色だなと懐かしい気持ちになる。ここまでくるんだな、ラブのために。やたらとコンセプチュアルなホテルたちの煌々としたネオンのおかげで案外夜道でも明るくて迷うことなく窯にたどり着いた。鉄骨でできた倉庫の中に大きな土の塊が鎮座していて、黒い煙を吐いている。ラピュタの冒頭でパズーと親方が働いている工場のような出立ちで、陶芸の先生がスピーカーでX JAPANの紅を流しながら薪をくべていた。ライブバージョンの音源で息をぜーはー言わせながら「紅だーー」とToshiが叫ぶ。薪を入れる扉を開けると燃え盛る窯の中が見え、紅だなと思う。
15分おきに温度を測り、窯の小窓を開けて炭になりかけた薪を窯の奥まで落とし新たな薪を追加する。それを夜通し五日間1200度を超えるまで続ける。温度を記録する人、小窓を開ける人、薪を補充する人、窯の最前に立ち薪を投げ入れる人。誰に何を教えてもらうでもなく自然と連携が生まれ澱みなく薪入れリレーは続いていく。温度が上がり始めると小窓を開けた途端に炎が一気に窯から噴き出してきて、これが結構危ない。おお、、とたじろいでいるとベテランの先輩が「もっとくれもっとくれと言っているように感じませんか」と言った。とてもいいものを聞いた気がした。そうですね、と返し薪を窯の口に注ぎ続けた。
夜も明けて昼になり、次のシフトの方々が続々とくる。みんな窯焼き経験者で動きに無駄がなくスムーズに執り行われていく。自分のシフトを終え、先生が作ってくれたほうとうを食べたりしながら時々薪を持ってきたり、蚊取り線香をつけてみたり、いてもいなくてもいいようなことをして過ごした。駅まで帰るバスを待つまでの間、窯の横に小さく作った焚き火でポップコーンを作った。手持ち無沙汰な自分を見かねて先生がくれた今日最後の役割、しかと承る。アルミの鍋にとうもろこしの粒が入っているいわゆる普通のポップコーンメイカーなわけだけど、炭火で焼くと美味しいんだろうかと思いながらジュワジュワ熱くなる鍋を揺らし続ける。炭火焼きポップコーンて、炭の良さがどう生かされてるのかわからないけどやっぱりうまそうな響きだ。そのうちポンポン弾け出して、みんなに炭火焼きポップコーンを振る舞った。何がどう作用しているのかは知らないが、やっぱ普通に作るものより美味しく感じる。炭で焼くとやっぱ違うよ、と今後吹聴して回ろうと思う。
連休っぽい連休を過ごしたな、としみじみ思う。連なる休み。休職期間は休みが一年あまりも連なっていたわけだけど、あまり休んだという感じがしない。休職していても三連休は嬉しかったし連休が開けると少し気分が落ち込んだ。何かに追われるような、みんなが背負っているものを自分だけが免れているような罪悪感はちゃんとあった。働いていなくても、その日常を自分の体は休みだと認識していなかった。あれはやはり、治療だったんだ。