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合理的な理由などない。


起きたら今日は無理な日だと悟った。幸い今日は仕事で打ち合わせもなく黙々と一人で作業する日で急ぎのタスクもない。出社して粛々と働くつもりでいたが、無理な日が始まってしまったので在宅勤務に切り替えた。復職してからは、休職が別の世界での出来事みたいに感じるほど普通に働いていた。そうそうこんな日常でしたと感じながら日々役目をこなしているが、やっぱり無理な日は来るらしい。こういう日が来ることを抱えながら生きていく。

ここ数日の勤勉さのおかげで、今日何としてもやらなきゃいけない仕事はほとんどなかった。たまにくるチャットに返信しつつほとんどの時間をベッドの上で過ごした。別に誰に迷惑かけてるわけでもないしな、と思い寝たり本を読んだりして無理な時間をやり過ごす。無理な日という爆弾を抱えて生きる人間として気づいたことは、無理な日には合理的な理由や解決策はないということである。何か明確な原因とか気持ちが塞ぐ対象が存在しているわけではなく、何も起きてないけど何かに絶望し「あぁ今日は無理だ」と体が鉛のように重くなる。原因がないので解決策も存在せず、こういう場合の最適な対処はただやり過ごすことだと学んだ。身体的・心理的に自分に負担がかからず安らげる行動をメモっておき、その時の気分に合うものを実践する。アプリで自律神経の状態を測ってみたりして「あなた今疲れてますでしょ」と判定してもらい、そうですよねと安心する。

本を読んですごそうと思ったが家の中にある本は全て読んでしまったので困った。積読は読みたい気持ちが薄れる気がしてなるべく控えていたが、まだ読んでないけど楽しそうな本が常にある状態を維持するのはいいことかもしれない。なんとかなるだろうと割り切りパソコンを閉じて奥渋にある本屋さんに行き、好きな文芸誌「USO」の最近の号を買った。その中の石山さやかさんという作家さんの漫画はまさに「無理な日」を描いたものだった。生活習慣を整えたりメンタルケアをしたり、色々な策は講じてもどうしても動けない無理な日というのは訪れる、という話だった。今日という日にこの作品を読んでいることに運命的なものを感じる。

渋谷で他の人には見えてないのかと思うほどいつも空いているひっそりとした喫茶店があり、本を読んだり絵日記を書いたりする。なんとなくマッチングアプリを開いてみると時々メッセージのやりとりをしていた人からブロックされていることに気づいた。ブロックされるようなことをした記憶もないが、ブロックされても自分の日々は普通に続いているので支障のない相手だったんだろう。人は他者を合理的な理由もなく興味を持ったり失ったりするものだなと、マッチングアプリをしているとよく思う。

だいぶ怠けた1日だったが、自分の状態に意識を向けて平穏でいられるように行動した。こうして今日も変化なく日々は過ぎていくのだ。もう少し望むなら、「今日は無理な日だわ」と共有し、そうかそうかと肯定も否定もせずに寄り添ってくれる人は欲しい。



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