19時以降の人生が薄い。
復職し、1年以上ぶりに出社してみた。電車に揺れ、地下から地上に永遠のエスカレーターを上り、社員証をピッとかざしてオフィスに入る。パソコンを立ち上げメールやらチャットやらを見て今日のタスクを確認する。この一連の流れをするのは1年以上ぶりなのだけど、オフィスの景色はほとんど変わっていなくて、いつものルートがあまりにも馴染んでいて、ついこの前まで変わらずやっていたような気分になる。休職していたことがもう一つの人生のように感じる。
久しぶりに会う同僚が声をかけてくれて居心地の悪さは一切感じなかった。すごく久しぶりだねと言う人もいればずっといた気がするねという人もいる。周りの人たちにとって自分の存在との距離感が曖昧でホッとする。
復帰したてでも思っていたより仕事はちゃんとあって「あ、普通に働くんだ」と思いながら働いた。やっぱりリハビリの擬似業務とはわけが違うよなと思う。大したことしてないのに疲れたなと感じたが、自分のやったことを「大したことがない」と軽んじるのは良くないなと自戒。よく働いてるわと自分に言い聞かせながら作業していたらあっという間に終業時間になった。潔くパソコンを閉じ、チャットやメールはその後開かず、帰宅ラッシュの電車で全方位人体だなあと思いながら帰宅した。お笑い芸人のバービーのPodcastを聴きながら晩御飯をささっと作ってNetflixでアニメを観る。この一連の流れも体に染みついている。
あっという間に20時をすぎて、21時もすぎて、だらっとしている間に日付も変わるんだろう。仕事を終えた後の、19時以降の人生があまりにも薄い。エッセイを読むのが好きなのだけど、自分の好きな作品では仕事の描写があまりない。お気に入りの古賀及子さんの日記では「今日もモリモリ働いた」だけで、ほとんどは家族との時間が書かれている。当然みんな昼から夜までモリモリ働いて、ままならないことに悩んでストレスを抱えたりやり甲斐や達成感に身を震わせたりしているのだろうけど、それ以外の時間も密度が濃い。それが、幸福にも多忙にも筆を折られない作家というものなんだろうか。
無事復職したわけだし、仕事で疲れてるんだからその後はダラっと過ごして良いよなとも思うが、そう日々を繰り返しているうちに何も起こらず人生は過ぎていくんだろう。