貴方の〝正しさ〟って何ですか??
こんにちは!
1週間に1本はブログをあげようと決心してますが、
すでに破錠している事に反省しているKonYTです…(;^ω^)
さて今回は〝正しさ〟について書いていきたいと思います…。
今回のコロナ禍から、頓に感じます…。
皆が各々の〝正しさ〟を主張しあっているな、と…。
皆さんも少なからずとも
〝私が正しい〟という主義・主張がありますよね?
勿論私にもあります。
でも〝正しさ〟の正体とは何なのでしょうか?
私は最近こう思っています…
『正しさ』なんて〝幻〟のようなものだと。
目線が変われば考え方も変わります。1つの事実に対しても、1000人いれば1000通りの考えがあります。この事から『私がこう思う!』という事を、他の人に押し付ける事は出来ないな、と。
勿論 人は生まれた国や人種、その歴史感や培われてきた文化、親やご先祖様からの伝承・継承などにより、様々な常識が出来ていきます。
でもその個人の常識ですら、間違っても〝正しさ〟ではないなぁー、と。
かのアインシュタインの有名な言葉にもありますよね?
『 常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう 』
一例をあげるならば、それらが世界的に明るみになってきているので、ジェンダーなどが、〝理解するべき事〟になってきたのだと思います(ただ国家や会社など、一定の集団に属するには、一定のルール等が必要であることは理解しています)。
要は…人は自身の経験に基づく感覚に対し、
近いものに共感する、ただそれだけなのかと。
生まれた、また今置かれている環境が各々違うので、1000人いれば1000通りの『あり方』があっておかしくない!と思います。
なので外国で正しかったとしても、他人や家族と意見の衝突や、正しさの主張の衝突があったとしても、そこを思い悩む必要は〝一切〟ないし、個人的には全然問題ないと思います…
ただその所属する集団が、どのようなルールに則って調和されているのか、という事が大事で、そのルールや調和が、さらに大きな所属するグループの法や決め事を犯していなければ、誰も自分の〝正しさの主張〟は出来ない、と個人的には思います。
あるのは〝意見のすり合わせ〟と確認だけなのです。
正しさの主張を相互にぶつけ合うから衝突し、疲弊するのです。
もし自分の中の〝正しさ〟を主張し、ぶつかる事が多いのであれば、これを機に〝正しさとは?〟と、再定義し直してみては如何でしょうか?
最後に私の好きな言葉を…
君の立場になれば、君が正しい。
僕の立場になれば、僕が正しい。
by ボブ・デュラン
上記の意見すら、私のイチ意見でしかないので、異論・反論が個々におありになったとしても、私は100%認めます(笑)
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