真の〝優しさ〟とは??
おはこんばんちは! (これ分かる人は結構な年齢です笑)
前回のブログからどれだけの時間が経過したのか見るにも嫌になっているKonYTです…( ;∀;)
今年こそ週2本は最低ブログを上げる事を宣言し、進めて参ります!…という事で久々に更新しまーす。
さて皆さんに質問です。〝優しさ〟って何でしょうか?
お尋ねしたのは、育ってきた環境や言葉に対しての定義が人それぞれ異なる為です(いつも記載しておりますが、私は私と異なる意見を尊重します。お互いに年齢や性別など関係なく、異なる意見を〝楽しむ〟くらいの気持ちの余裕をお互いに持っていたい、と切望します…)
先日会社の心理的安全を考えていた際に、Youtubeでサイモンシネックさんの〝なぜ優れたリーダーの元では安心を感じられるのか〟を見ながら、今の会社に何故心理的安全性がないのか?を考えていた際に、ふと思い浮かびました…
〝優〟しいと〝優〟れたは何故同じ文字なのだと…。また何故〝優〟は人偏に憂うなのだと…。
まず優しいの漢字の成り立ちを調べてみました…。すると「憂」という字の成り立ちは、『大切な人を亡くして悲しんでたたずむ人の姿』を表しているとか…。
そして悲しみに暮れる人の傍に、人が寄り添う形が「人偏に憂」の〝優〟という字。悲しむ人の傍らで、その人の悲しみに寄り添い、我が事の様に悲しむ姿…。そこに「やさしさ、気遣い、思いやりの深さ」から生まれた漢字…だそうです。
なるほど!と腹落ちしました。人の立場に立って物事を考えられる人物こそ〝優しい〟人であり、〝優れた〟人なのだと…。
つまり真の〝優しさ〟とは、という定義 (個人的解釈) は…
まず相手を理解しようとする姿勢や態度などを示し、相手を思いやる心を持つ事。そして相手の心情をくみ取り、理解と共感を示しながら慰め、時には励ます…。そういう気持ちこそが真の〝優しさ〟である。
…という解釈になりました。うーん…深い。。。
〝優〟という漢字の成り立ちから、真の優しさとは?と考える事に繋がり、人はどのような人物を〝優れた〟人物と呼ぶのか?という定義の1つを考察するまでに至った、不思議なひらめきに感謝致します…。
嘆き悲しみがある時、そこに寄り添えるような〝優しさ〟の溢れる世界にしていく為に、まず自身が〝優しさ〟を持てる人間になろう、そう決意出来ました…。
最後にダイアナ妃の言葉を…
見返りなんか期待せず、周りの人にやさしさを無作為に与えましょう。大丈夫、いつか誰かがあなたに同じことをしてくれるから。
上記の意見はあくまで私のイチ意見でしかないので、異論・反論が個々におありになったとしても、私は100%認めます。
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