いじめと不登校って一緒に議論するものではない
いじめで不登校になることはあると思います。
しかし、不登校はいじめが原因ということではなく、様々な要因が考えられます。
文科省がするアンケートによると、子どもの「無気力」といわれますが、
不登校24万人〜50%が「無気力・不安」が要因と回答:なぜ?対応は? | 東京・青山の心理カウンセリングルーム はこにわサロン東京 (hakoniwasalon.com)
不登校関連の団体のアンケートによると1位は「先生との関係」だそうです。
プレスリリース:不登校の子どもを育てる保護者に聞いた『不登校のきっかけ』1位は「先生との関係」。保護者の86%が子どもへの対応や将来に「悩んでいる」と回答 (tayounamanabi.com)
アンケートを取っている団体によって結果が異なるのは興味深いですね。
ただ、今回言いたいのは、「いじめ」が原因ばかりではないということです。
しかしながら、なぜかいじめと不登校はセットになって、「問題」だということになっていることが多いです。
特に行政側の資料はそんなものばかりが目立ちます。
教員向けの研修会は「いじめ不登校シンポジウム」なんて題名だったりします。
いじめは、直接的な暴力(精神的なものを含む)もあるため、犯罪ともみなせることから、「大問題」です。
しかし、不登校は「学校に行かないと社会性が身につかなくなる」「勉強ができなくなる」「友達ができなくなる」というような妄信のせいで問題化されていますが、そもそもは子どもにとっては、学校に行きたくないのであれば問題ではないです。
ただし、気を付けないといけないのは、家庭の事情にとっては切実な問題があり、「給食が食べられない=昼食を家で準備しなければならない」、「親が一緒に家にいる必要があり、仕事を辞めざるを得なくなる」など、副次的な影響により、問題となることから、こういったケースにおいては支援等が必要と考えています。
つまり、いじめと不登校は、問題の性質が全く異なるため、同じように議論してしまうことがおかしな話であるということを言いたいのです。
例えば、いじめの問題は加害者に対してもケア(精神的な問題を抱えているケースあり)が必要である一方、不登校の加害者は実は「教育システム」だったりするわけで、スケールや解決の方法が全く異なります。
でも、まだ世の中はセットで議論されるんですよね。
子ども家庭庁もそんな資料があります。
資料2:不登校・いじめ 緊急対策パッケージ (cfa.go.jp)
確かに最終的には、子どもの学びを保障するという点(つまり、被害者に対する教育的な側面のみ)では共通項であることから、一緒にしているのでしょうが、それぞれを深堀していくとプロセスも学びの保障という観点も異なると思っています。
具体的な話はまたいずれ。