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最後の一皿

4月のある日曜の夜、驚きの知らせが届いた。

その知らせに、翌日の長い長い1日を終えて身体にへばり付くような疲れを忘れて、ブリスベン中心部に近いテネリフェに車を走らせた。

ブリスベン有数のおしゃれサバーブも、平日しかも月曜の夜となると早くから閑散としている。その中で、明かりが灯り、人々の歓談の声が漏れてくるレストランにラストオーダーに間に合うかどうかのギリギリのタイミングで飛び込んだ。

Mizu、ブリスベンではよく知られた数少ない純日系の日本食レストラン。オーナーシェフの茶木さんは、個人的にもよく知る仲だ。

そのMizuを開業以来切り盛りしてきた茶木さんとビジネスパートナーのひろみさんが、レストランの営業権を手放すというのが、前日の夜に届いた驚きの知らせだった。しかも、その翌日の月曜がその最終日と聞くと、いてもたってもいられなかった。

この店、そして、茶木さんとの出会いは開店直後に日豪プレスの営業で行った時まで遡る。その頃は、周りの高級集合住宅もまったく建っておらず、事情を知らなければ「なぜここに?」という感じのロケーションだったが、再開発が進んだブリスベン有数のお洒落サバーブの発展と軌を一にしての繁盛店への成長には、オーナーのお二人の先見の明をはっきりと見たものだ。実は、10数年前、ほんの短期間ではあるけど、ご近所さんになったこともある。業態は違えど、閑古鳥の鳴く店の店主だった僕には何とも羨ましい存在だった。

聞けば、次のオーナーも日本人で、幸い、Mizuの名は残る。茶木さんとひろみさんが16年を掛けて積み上げたレガシーは少なからず引き継がれる。でも、もう、茶木さんの料理は食べられない。近くに行ったついでにふらっと顔を出しても、茶木さんはもういない。寂しい。

その茶木さんは、いわゆるジャパレスのオーナーシェフのイメージからは、かなり異質の存在だった。温厚で誠実、声を荒げたところを見たことがない。コロナでご自分のレストランが大変な時も、周りを気遣う気配りの人。ひろみさんとも「喧嘩なんかしたことないよね。いつも、前向きだし」と笑いあう姿は篤実そのものだ。

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そんな彼が作る料理は美味い。もちろん、腕や素材の良さもあるが、それだけじゃない。やっぱり茶木さんに作ってもらうのが大きかった。食後に、幸福感がしっかり味わえるレストランはそうそうない。

「とんかつなら出せるよ」。
朝からほとんど何も食べずに来たが、すんでのところでラストオーダーに間に合わず茫然自失の僕を救ったのは、茶木さんからの福音。空腹の僕はその言葉に躊躇なく甘えた。あとで思えば、従業員の賄い用だったかも知れないのに、その時は遠慮という言葉を忘れていた。

かくして、茶木さんのMizu正真正銘最後の一皿をいただくことになった。これは、もう味レポとかそういう次元ではなく、Mizu16年の思いがこもった一皿、大いに恐縮しながら食した。

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美味い、やっぱり美味いーー。

最後の箸を置き、手を合わせ、最後のご馳走様を言ったら、いつもの温厚そのもの茶木さんの笑顔が目の前で弾けた。

Mizu、最後の一皿。半世紀に満たない人生でも屈指の思い出深い一皿になった気がする。

美味しゅうございました。

【了】

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