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オーストラリア・デー雑感 (2016)

9年前に書いたオーストラリア・デーに関する一文を旧ブログより転載。改題、末尾に追記を加えて公開する。
十年一昔というが、この10年でオーストラリア・デーを巡る状況は大きく変わった。10年という時の流れが産む違いを痛感させられる。

以下、旧ブログより転載。

オーストラリア・デー雑感

 毎年、一回だけ、祖国日本のことを恥じることがある。と、書けば、「え、本当に?」と首を傾げる人もいるだろう。確かに日頃の私の言動を見れば、そう思われて当然。なにせ、オーストラリアの地で自家用車に日の丸のステッカーを誇らしげに貼って走る男なのだから。

 1788年1月26日、初代総督のアーサー・フィリップ一行がシドニー湾のポート・ジャクソンに上陸、植民地建設を宣言した。この国は、その228年前の故事を由来として、毎年1月26日をいわば”建国記念日”として祝う。オーストラリア・デー、言うまでもなく、非常に重要な国民の祝日だ。

 この日は、国中が国旗やナショナルカラーである”グリーン&ゴールド”をモチーフにした服やアクセサリーを身にまとった人々で溢れる。友人や家族とバーベキューやホームパーティーを楽しみながら、この日を祝うのが伝統。そのためのグッズが、早ければ2週間前くらいからスーパーなどの小売店の店頭に並ぶ。先日、覗いたホームセンターでは、出入口で来店者に無料で国旗の小旗を配っていた。それも、毎年の見慣れた光景だ。

 この国では、多少の違いはあれど、老若男女、思想やイデオロギーの違いを問わず、ほとんどの国民が自然に国を思う気持ちを形にして、母国の”誕生日”を祝う。それが、この国の当たりまえだ。しかし、そんな当たり前が日本では起こらない。日本という国が、愛国心や国の成り立ちを祝うことを自然に表現しにくい国になって久しい。オーストラリア・デーに毎年身を置くたび、国の”誕生日”すら気軽に祝えない、いや意図的に祝わない人がたくさんいる祖国日本の有り様にため息が口をつく。

 日本で、フットボールのW杯や五輪などのスポーツの応援以外で国旗を振り回したり、国旗デザインのTシャツなんか着て歩いたらどうなる。たとえ、それが建国記念日だったとしても、言葉には出ないまでも「右翼」だとかそういうイメージを押しかぶせられるに違いない。このご時世であれば、ヘイトスピーチを垂れ流す品の無い連中が由緒正しい日章旗や旭日旗を貶めているので、そういう連中と一緒くたにされてしまう惧れすらある。

 もちろん、この国にもオーストラリア・デーを祝わない人はいる。国旗に敬意を払わない人もいる。主に先住民のアボリジニやその支持者たちが、そうだろう。彼らは、オーストラリア・デーこそ、アボリジニ迫害の歴史が始まった日とする。それはそれで、彼らの考えだから、とやかくは言わない。僕には理解できないが、そういう考えはこの国にもあることには触れておかねばなるまい。

 いずれにしても、日本ほど国旗や国歌が窮屈な思いを強いられる国も珍しい。「国家百年の計」を担うはずの教員にすら、国旗や国歌に敬意を払わない人が多い。国立大学でも、入学式や卒業式で国旗を掲げない例があると聞く。そのことを、国が指導すると「国家権力の教育現場への介入」と、こうなるらしい。もう呆れるばかりだ。

 日本に、国民が等しく、国の成り立ちに思いを馳せながら国旗を掲げて祝う建国記念日はやってくるのか。そんな自問に「正直、難しい」と思ってしまう瞬間、「恥ずかしい」という思いがこみ上げてくる。そして、軽やかに楽し気にオーストラリア・デーを祝うオージー達を心底、羨むのだ。

 一年にたった一回の祖国に対する失望と他国への羨望。これが毎年のお約束になって久しい。そして、それは今年も繰り返される。せいぜい、家族や友人とオーストラリア・デーを楽しく祝うことで、この日に感じる祖国日本へのネガティブな感情を消し去るように努めよう。

それが、僕のできる精一杯だ。

追記:
さすがに10年前となると、肌感はかなり違う。この10年でオーストラリア・デーの有りようはかなり変わった。悪しき方向にだが…。
"Invasion Day "なる反義語を押し立て、アンチ活動を行い、分断を煽る人間も増えた。毎年、どこかでキャプテン・クックの銅像やレリーフが辱めを受けている。
今の多文化共生社会の優等生たるオーストラリアの国家としての原点を否定するラジカルな考えが広まることを大いに危惧する。もちろん、アボリジニの人々には必要な限りの敬意を表しながらだ。
令和7(2025)年1月26日

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