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ウシガエルになりたい4歳の息子を私は笑えない

「うしがえるになりたい」

今月5歳になる息子が、保育園で作ったという七夕の短冊を見せてくれた。

「お宅の息子さん、本当に宜しいのですか」と思わず織姫と彦星も確認で家に訪ねてきそうな程の問題発言である。

思い返してみると、少し前に近所の川でたまたま私が寝ているウシガエルを見つけてからというもの、図鑑を見たり、チャレンジのおもちゃで遊んだりと、やたらウシガエルブームが来ていたように思う。

ここの所ずっとお風呂でもゴーグルを付けて湯舟に潜っていたのもそのせいか。割と本気でウシガエルになろうとしていたのかもしれない。

ウシガエルになってどうするのと聞いてみると、「ウシガエルになってドボーン!と跳ねたらみんな楽しんでくれるでしょ?」と。


「どうして時計の長い針は走ってるのに短い針は歩いてるの?」

「ここ、地球?」

「風船はお空が大好きなんだね」

日々、発せられる言葉には本当に驚かされる。

子供は発想が柔軟だなと思われる瞬間である。

■知識と経験という名の諸刃の剣

対する大人は、何故こんなにも発想が凝り固まってしまうのだろう。

楽しみに毎週見ていたドラゴン桜でも、柔軟な発想なしに解けない東大入試問題が紹介されていたが、凝りに凝り固まっている人(世間はそれをオジサンと呼ぶらしい)は多いように思える。それは何歳になっても解けない問題になり得る。

思うに、それまでに積み上げた知識や経験、あるいは実績のようなものが良くも悪くも影響してしまうのだろう。

ふと思い出されるのは、昔見た、"僕らの音楽"でのミスチルの桜井さんとコブクロの小渕さんの対談での一コマである。

二人とも言わずと知れた日本を代表するシンガー・ソングライターなのだが、その作曲方法はまるで対照的だった。

小渕さんは、ギターのコードが持つ響きから作曲するのに対し、桜井さんはギターは全く使わずに鼻歌から作曲を作るのだという。

そしてその理由は、自由な発想のため、具体的には手グセのコード進行に支配されるのを避けるためだという。

私も少しばかりギターと作曲をかじっているので、二人の話がそれぞれ深く刺さったのだが、適当に弾いているつもりでも、無意識のうちに手グセが付いていることはある。

桜井さんは、意図的にそれから離れるという意味で、作曲にギターを使わないという選択をしているのだろう。

■鼻歌のような価値観を作れるか

ビジネスでも、同じことはありうると思う。

ある程度成果を出している人程、手グセに似た自分なりの勝ち筋を持っていて、良くも悪くもそれに頼りたくなる、ということである。

そしてそれは積み上げれば積み上げる程、ジェンガのように次の一手に重さが乗ってくる。これまで積上げたものを壊したくないという不安も同時に乗ってくる。

自分が自分に縛られているのだ。良いときはそれでも良いのだろうが、悪いときには本当にどうしようもなくなってしまう。

手グセから如何に離れるかについては、桜井さん的に言えば鼻歌に任せるしかないのだろう。

そのような価値観を自分で作れるかどうか。

子供があれ程までに柔軟な発想を持っているのは、自分を開放しているからだと思う。

鼻歌的発想でまずはゼロベースで開放してから、自分のパターンに持っていけるかどうか。子供に戻るのは物理的に不可能なので、やはり新しいことに触れて自分を開放することが近道なのだと思う。

性別、文化、世代、価値観。一人として同じ人等存在しないので、それに触れる。そしてその異なる立場に立って物事を見てみる。新しいチャレンジをすると、いつでも一年生になれるわけで、自分を開放するにはうってつけだと改めて思うわけである。

■おわりに

「じゃあパパは何になりたいの?」と聞かれたが、不意打ち過ぎて何も答えられなかった。

自分の人生だけで精一杯で、何かになろうなんてここ最近思ったこともなかった。

同時に、次はどんな変化球が来るのか楽しみにしている。来年の七夕は、ウシガエルを超える何が来るのか。

そんな凝り固まった私の頭にドロップキックをくれる4歳の息子を、私は笑えない。

※  ※  ※  ※  ※  

追記:投稿日を1日間違えていて、ぎりぎり今日なかに間に合いました。気付いて良かった…!



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