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【中薬を故事で学ぶ】 何首烏の故事 〜薬草が繋いだ運命:何病児と茶売りの娘〜

昔、順州府南河県に一人の薬草採取人がいました。

名前は何病児といい、採取した薬草を丁寧に加工して薬局に売り、多くの人々の命を救っていました。

それでも何病兒の家は貧しく、彼は顔色が黄色く、骨と皮だけの体でした。

若くして老け込み、しばしば咳と喘息に苦しみ、20歳を少し過ぎた頃にはもう白髪だらけでした。

ある日、何病児は新しく採取した薬草を背負い、市場で売り歩いていました。

茶を売る女の子が彼を見つけ、竹の葉の茶を差し出しました。

「何さん、どうして十時数日も市場に来なかったんですか?」と尋ねられ、「今は春の薬草採取の時期で、ずっと山で薬草を採っていました」と答えました。

二人は笑って話すうちにすっかり仲良くなりました。

ある時、県の太守(長官)の息子が茶売りの女の子をからかっていました。

何病児は怒りを感じ、棍棒で彼を殴りました。捕まらないよう山に逃げこみ、そのまま洞窟に住み始めました。

ある夜、月明かりが特に明るくなった時、山の斜面の日当たりの良い場所に青い蔓草が二本みえました。

緑の葉が茂り、心臓の形のような葉が向かい合って抱き合っているように見えました。

何病児は薬草の「夜交藤」を思い出し、この草がそれだと考えました。

何病児が鍬で掘ると、根に小人のような丸い塊が付いているのを発見しました。

一口噛んでみると、最初は苦味があり、じっくり噛むと甘みが出てきました。

彼はいくつかの塊を掘り、根を噛むと、喉の渇きや飢えも感じなくなりました。

秋が過ぎ、冬が来ました。

何病児はこの青い蔓の根を食べ続けたためか、元気いっぱいでした。

ある日、山で薬草を採っていた道士に出会い、この野草が滋肝補腎の効果がある「仙薬」であることを知りました。

何病児は道士に頼みこみ弟子にしてもらいました。

一年が経つと、何病児の薄く黄色がかった白髪は黒く光沢が出て、肌は滑らかで赤みがかり、曲がっていた背もまっすぐで若々しい力が満ちていました。

「仙薬」をたくさん採ると、道士は何病児にそれを粉末にさせ、体が弱く、力のない貧しい人々に配り、お湯で溶かして飲むようにいいました。

そして多くの人々が健康な身体になったのです。

ある時、何病児は道士と一緒に薬草を採りに行き、河口近くの海沿いの漁村に到着しました。

そこで網を編んでいる女性に出会いました。

それはかつて市場で出会った茶売りの女の子でした。

彼女は、街を出てから行き場がなく、祖母を頼って人里離れたこの漁村に来たことを話しました。

それを聞いて道士が言いました。

道士:「今日二人が再会したことで、私の願いも叶いました。私が媒酌人になりましょう。二人は結ばれる運命なのです。」

その晩、二人は彼女の祖母の家で結婚しました。

結婚後、何病児は薬草を採り続け、粉末にして多くの人々に配りました。

人々がこの粉お湯に溶かして飲むと、白髪が黒くなり、病気が和らぎ、元気になりました。

人々はこの野草が何病児によってもたらされ、食べると烏の様に髪が黒くなることから、「何首烏」と名付けました。

そして最終的には何病児も「何首烏」と呼ばれるようになりました。

おしまい


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