【中医基礎理論 第38講】 - 五行学説 - 始皇帝も支持した相克関係
前回は相生と相克が同時に起こる「制化」について学んだ。
今後は、五行の病理について学んでいくのだが、今回はちょっと話しを脱線して、相克が歴史的にどの様に利用されたのかを、いくつかの例を基にご紹介していく。
「あの、秦の始皇帝や、志村けんまでも!?」と思わず感じてしまう話しなので、気軽に楽しく読んでみてほしい。
秦の始皇帝も相克関係を支持!?
「五徳終始説」は、五行の相克を用いて王朝の交替を理論的に説明するものだ。
これは、中国戦国時代の陰陽家である「鄒衍(すうえん)」が説いた説だ。
全ての王朝は、それぞれ必ず五行の徳=五徳(木・火・土・金・水)を備えていて、王朝の繁栄や衰退は、五徳の順番で循環すると説いている。
その五徳の推移は、木は土に勝ち、土は水に勝ち、水は火に勝ち、火は金に勝ち、金は木に勝つという順番だ。つまり五行相勝=五行相克の順番である
。
鄒衍は秦以前の4つの王朝である「黄帝・夏・商・周」に対し、黄帝を土徳、夏を木徳、商を金徳、周を火徳に配当して、五行相勝によって王朝とは移るものとした。そして、最後の水徳である秦が政権をとった場合、秦こそが永久的で絶対的な真の王朝となると説いたのだ。
そんな事言われたら、始皇帝としては嬉しい限りだ。
結果、秦の始皇帝はこの「五徳終始説」を採用する。
秦が五行の「水徳」を重視していたことを表すものがいくつもある。
例えば、秦は黒を尊び、衣服や旗は黒を重用していた。
五行色体を学んだ方ならピンときたのではないか。
五色の黒は五行の水に属すのだ。
他にも、庶民を黔首(けんしゆ)と呼んでいた。黔首とは黒頭という意味である。
また、五行で水に属す数字は「6」だ。
そこで「6」という数字をもって制度を規格した。
六頭立ての馬車を用いたり、天下を36郡に区画し、領土の拡張に伴い42郡、さらに48郡に編成し、郡県制度を全国に施行したりしている。
これらの数字は全て「6の倍数」である。
秦の始皇帝が五行を強く意識していたことがよく分かる。
相手を怒らせて病気を治す!?
感情というのは良薬にも毒薬にもなる。
五行色体に「五志」という5つの感情があったのを覚えているだろうか。
この感情も上手に使えば病を治療することができる。
感情を利用して治療を行なった話はいくつかあるが、ここでは有名な「威王」と「文摯」の話しを紹介する。
威王は紀元前320年頃の斉の第4代君主、つまり王である。
一方、文摯は宋の名医だ。
ここからは会話形式で進めよう。
威王の息子:父(威王)の病気を診てください。
文摯:鬱病(憂慮病)ですね。王の病気は必ず治りますが、王の病気が治れば、必ず私を殺すでしょう。
威王の息子:なぜですか?
文摯:王を怒らせなければ、病気を治すことはできません。でも、王を怒らせれば、私は殺されるでしょう。
威王の息子:私がそうはさせません。先生は心配しないでください。
文摯:分かりました。必ず王を治しましょう。
ナレーション:
医者の治療で効果が見られないことに、すでに威王は怒っていたのでした。文摯は、靴を脱がずに王の間に上がったり、王の衣を踏んで病気について質問しました。当然、王は怒っているので答えません。そこで文摯は、更に失礼な態度をとり、さらっと退出してますますを怒らせました。王は叱りつけて起きあがりました。ところがその直後、病気が癒えたのです。でも、王の怒りは治まらず、息子や后の説得も効かず、文摯を殺してしまいました。
〜完〜
だいぶ簡略化した、笑
威王の鬱病は過度な思慮(七情の思)で脾が傷つけられたことにより生じたものだ。
そこで、相克関係を利用し「怒り」によって気を流し、「過度な思慮」を解消させたというのが、治療の機序である。
怒りを用いて鬱病を治療するとは、五行の相克関係を上手く利用した治療法である。
何とも可愛そうな文摯ですが、いくら息子が説得すると言っても、文摯は王の病気を治すと自分の殺されることは分かっていたのだ。それでもなお、息子の為にあえて困難な任務を遂行して、忠義を成し遂げたのである。
いい男!
テレビも相克関係を利用?
感情の相克関係は、知ってか知らずか(恐らく知らずに)あらゆる場面で利用されている。
ドラマで犯人が人質をとって立て込んでいる時に、母親が説得にくるシーンを観たことはないだろうか?
怒りでいっぱいの犯人に対し母親が、「そんなことはやめておくれ」と涙ながらに訴える。
そして犯人は泣きながら投降するのだ。
これを中医学的にみると、「犯人の”怒”の感情に対して、”悲”の感情が打ち克つことで、怒りを消している」とみることができる。
つまり「金克木」である。
ドッキリ番組もうまく感情の相克関係を利用している。
ドッキリもいくつかパターンがありますが、王道なのは「嬉しくて浮かれている状態の芸能人を、恐がらせたり驚かせて、一気に呆然とさせる」というパターンだ。
これは中医学的にみると、「”喜”の感情を、”恐”や”驚”の感情で打ち消している」とみることができる。
つまり「水克火」である。
私が好きな志村けんさんのコントに、取調室で尋問を受けている犯人(もちろん怒っている)に対し、「母さんが〜♪夜なべをして♪」と「母さんのうた」が流れ、犯人が悲しくなって泣きながら自白するというコントがある。
子供の頃に観た当時は何も考えず笑って観ていたが、中医学を学んだ今は、「感情の相克関係だなぁ」と感じて観ている、笑。
脈診にも相克関係を利用
脈には五脈といって季節に対応した脈がある。
弦(春)、鈎(夏)、代(長夏)、毛(秋)、石(冬)の5つだ。
春に弦脈がみられるのは正常だ(病的な弦脈ではなく、柔らかさを備えた弦脈、「やや弦脈」である)。
もし、春に秋の脈である「毛脈」がみられたら、それは四時(季節)に反した脈である。
毛脈の程度が軽度であれば秋になると発病し、甚だしければ即刻発病すると考えられています。
他の季節も同じ様に、四時に反した相克の脈がみられたら、病気を発症する恐れがある。
その時は、しっかりと養生や治療を行おう。
一日の病態変化には相生・相克関係を利用
病気になったとき、「朝は症状が軽かったのに、夜になったら悪化した」というように、症状の程度が一日の中で変化のを経験したことはないだろうか?
これも、中医学的に考えると相生と相克が関係している。
《黄帝内経》に「平旦慧,下哺甚,夜半静(朝に慧え、下哺に甚だしく、夜半に静かなり。)」という記載がある。
これは、時間によって症状が変化するということだ。
一日を五行で分けると、木(平旦 = 朝)、火(日中 = 昼)、土(四季※)、金(下哺 = 夕方からよる)、水(夜半 = 夜中)に分けられる。
上記の「平旦慧,下哺甚,夜半静」とは「肝」が病んだときの変化である。
肝は木に属す。
したがって、一日の変化は以下のようになる。
木のエネルギーが盛んな朝に慧=癒える
相克関係である金が強くなる夕方や夜は甚=症状が悪化する
木を生む水の時間である夜中は静=症状が安定する
このように相生・相克は、時間に応用した、時間医学としても用いられている。
※平旦と日中、日中と下哺などは一瞬で変わるのではなく徐々に変わっていく。四季は他の時間に変化していく「間の時間」で、辰(8時)・未(14時)・戌(20時)・丑(2時)の4つがある。
まとめ
五行は当初は自然哲学であったが、次第に政治思想にも利用されていった。
現代でも、五行の相生・相克は他にも様々な場面で応用されている。
これからテレビや動画を観る時は、五行目線で観てみるのもおもしろい。
もちろん、臨床でも使えますので、色々と試行錯誤して試してみてほしい。
次回からは、五行の「病理関係」である「相乗・相侮・母子相及」に入っていく。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
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