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外では仕事で子どもと遊び、家では時々オトン
子供の頃になりたかった職業は教師。
最初に就いた仕事は児童養護施設の児童指導員。
その後、病院でのソーシャルワーカーに転職。
現在、会社の代表。
なんでこんな経歴になったのか自分でもよくわからない。ただ、その時その時で自分がやりたいことを選択してきた気はする。
会社は放課後等デイサービスという、主に障がいを抱えた児童が放課後や休日に通う事業をやっていて、最初になりたかった教師から目標はそう離れていないはずだと、誰かに言い訳するように自分に言い聞かせている。特に後ろめたいことなんてないのに不思議だ。
もし何か感情があるとするならば、自分の子どもよりも、事業所に通ってくる子どもたちと関わる時間の方が長いということ。
まぁ、これは仕事をしている人であれば自分の配偶者や子どもといるよりも、職場の人と過ごす時間の方が長いなんてことはよくある話で。
せっかくなので、日々全力で他のご家庭のお子さんと遊んでいる。おもちゃやボードゲームをすることもあれば、一緒にボールを蹴ったり投げたりしているが、中でもパソコンに触る時間がやっぱり子どもたちの反応がいい。Scratchでプログラミングをすると、音楽が得意な子もいれば、アニメや漫画が好き、音を録音したり、ただゲームがやりたかったりと、見事に個々で嗜好や興味の持ち方が違うことがわかる。
勉強の時間は少し苦手な子も多いけれど、あとに楽しいことが待っていれば頑張れたりもする。勉強も楽しめるように工夫したいところだけど、やるべきことを一定時間集中してやれるようになることも大切。
こうやって、日々子どもたちの成長や自立について考えていると、何らかの困難を抱えているからと言って、すべて支援を受けられたり配慮された環境に身を置くことは、むしろ『自立』を阻む要因にもなり得ることを実感する。
こうやって仕事だと論理的にできるものなのに、いざ自分の子どもと向き合うときはなかなか難しいと感じていることも今の課題。
発達障がい等、生きづらさを抱えた子どもたちとの関わりで感じたことや、子を持つひとりの父親として思うことを綴っていこうと思います。
ご興味あればまた見に来てください。