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甲府2021秋

去年(2021年)の秋に帰省した時に書いたものです。
以下本文

 ビールを傾けてふと物思いに耽る。ああ、僕はこの街が好きなんだと。


 夜は妹とご飯を食べる約束をしていた。用事を済ませた僕は少し駅前でブラつくことにした。駅前の山交百貨店はヨドバシカメラに変わっていた。螺旋のエスカレーターはなくなっていた。僕はオーディオコーナーに足を向ける。据え置きの品揃えは「こんなもんか」という程度だったが、イヤホンはなかなかに揃っていた。もちろん新宿や秋葉原なんかの店舗と比較すると見劣りはするが、甲府の街に変なイヤホンがあるということがなんだか感慨深い。せっかくなので僕はU12tとSolaris2020を視聴する。そういえばイヤホンの試聴をするのは久しぶりだ。僕はaikoの新譜を再生する。やはりSolarisの刺激的なサウンドは良い、背筋がゾクゾクするような、そんな音楽体験をさせてくれる。5曲分ぐらい試聴して、僕はヨドバシを出る。平均化された場所、この空間はどこも均質なのかもしれない、流れる甲府仕様のヨドバシの歌が逆にそのことを強調しているようにも感じられた
 外に出ると秋の風が吹き抜ける。女子高生が、親子連れが、歩いている。どこへ向かうのだろうか。何に導かれているのだろうか。僕は岡島百貨店の方へと歩き出す。いくつか新しい飲み屋が見られる。コロナ渦でもシャッター街になっていないことに少し安堵する。
 岡島百貨店は相変わらず人がいない。昔から潰れるんじゃないかと言われていたが本当に大丈夫なのだろうか。化粧品売り場で女子高生がはしゃいでいるのを横目に地下へと降りる。地下のレイアウトは変わっていたが、僕は引き寄せられるようにお酒売り場へゆく。ディスプレイされた甲州ワインの品々は壮観で惚れ惚れする。しかし、今日の目的はワインではない。僕は友人の土産に七賢を購入し、デパートを後にする。約束まではまだ時間がある。珈琲でも飲もうかと思ったが、生憎良さそうな店がない。先に始めてしまおうと僕は「かえるの寄り道」というお店に入る。金曜日の夜だったが、まだ時間が浅いせいか誰もいなかった。僕はビールとちょっとした漬物をオーダーする。エールビールが注がれる。乾いた喉にはフルーティーなエールビールがありがたい。漬物をつまみながら僕は本を開く。このお店は後述する市議会議員さんの奥さんがバイトしているお店で、以前にも連れてきてもらったことがあるのだが、今日はいないようだ。カウンターの人に尋ねても今日はお休みなのだそうだ。やがて店内に決して若いとは言えないカップルが入ってくる。男が予約名を言う。金曜日の夕方、まだほとんど人がいない店に予約をしているという生真面目さが僕には少しおかしく感じる。そういうところなのだろう、きっとそうすることが普通なのだ。ビールを平らげた僕は季節のサワーを尋ねる。梅とすももだそうだという返答に僕は迷わずすももを選び、それからしいたけのステーキをオーダーする。程よいアルコールが僕を思索へ誘う。

 風景は時間とともに変わっていくものだ。それが街であるならば、見られる客体としての街ももちろん変化していくものだし、見ている主体としての僕もずいぶん変わった。少なくとも、子どもの頃は居酒屋というのは居酒屋という括りだけで見ていた。今はどんなお酒を出しているのかとか、どんなお料理が出てくるのだろうとか、看板を見ただけで想像を掻き立てられる。もちろん、背だって随分伸びたのだから見晴らしだってよくなっているはずだ。
 僕は18まで甲府の街で生まれ育った。ほとんど正確には街にいたのは16歳までと言うべきだろうか。小学生の頃は街と呼べるものは小学校、学校の近くの小さな公園、八幡神社や徳行公園、それに親に連れられていくスーパーぐらいなものだった。小学六年生の時に中学受験をするということになって、週末にバスに乗って駅前の塾に通った。中学校に受かって、自転車で30分弱ほど通学するようになった。放課後友人とじまんやきを買って卓球専門店に入り浸ったり、大会の日に小瀬まで自転車漕いで途中で一人でコンビニで昼食を買ったり、街は広がっていった。そして、それは大抵自転車のサドルの上からの風景であり、車の助手席、或いは後部座席からの風景であった。
 僕が甲府の街と出逢い直したのは大学一年生の時だ。一年生の夏に僕は議員インターンシップというものに参加した。そこで僕は甲府の市議会議員さんの下でインターンをした。そこでいろんな人に出逢った、様々な表情を目の当たりにした。その経験は僕が、例えば人類学者のデヴィッド・グレーバーがブルシットだというものを完全に否定できない1つの大きな要因になっていると思う。しかし、インターンシップの感想として書いたものを読み返してみるとなんとなく今のスタイルと違う気がする。見えているものが違うだろうし、焦点が記憶と適合しない。つまり、記憶の中の風景もピントがずれていくのだ。その当時は背景でしかなかったものが、記憶の中で前景化し、逆に中心にあったものが背景になることもある。振り返ると重要なのは写真の中の風景ではなくて、フレームの外の風景だったということがあるのだ。
 議員インターンではその合間に昼食に連れて行ってもらったり、時にはお酒を飲んだりもした。そうしたものも、それまで僕が知っていた街とは違うものだった。僕がワインを本当に好むようになったのもこの時からだったかもしれない。
 二年生の夏にビジコンをやるといって、その市議会議員の人にお願いして企業の人に繋いでもらった。所々ではその市議会議員さんについてもらいながら、色々な人の話を聞いた。もちろん、それが現代社会の労働であるならば、ブルシットな側面だってあったと思う。しかし、僕に語るその人々の目は死んでいなかった。付言すれば、多分そこでどこの馬の骨ともわからない学生と話をしようという時点で、まだ可能性は残されているのだろう。しかし、それでいいと、これがいいと現状を全面的に肯定できるほど楽天家、もしくはそうした現実の中で「うまく」生きようとするまで狡猾でもないし、何かを成そうという覚悟も気概もない。別にそれが悪いとも思ってはいないが「困ったなぁ」と呟く。夢中でセルロイドの球を打ってた頃は生きるのがここまで難しいことだなんて想像もつかなかった。

 ふと店員さんに話しかけられる。今日はどうしたんですか?、とか〇〇さんと知り合いなんですか?とか。僕はありのままに話す、少し帰省してきていてこの後妹と合流後すること、市議会議員さんから知り合ったこと。しかし、それは果たして本当に「ありのまま」なのだろうか。語られていないことだってたくさんある。進路のことで親と話すために帰ってきていること、虫歯の治療で右側で噛めないこと。他者は、そしてコミュニケーションは、人の可能性であると同時に不可能性でもあるのだ。
 妹からラインが入る。僕は残ったものを平らげ、お会計をする。
「この後はどこに行くんですか?」
「少し歩いて決めようかなって思います。」
「それもいいですね、行ってらっしゃい!」
「ありがとうございます、ごちそうさまでした。」
僕は会釈と共に店を出る。「行ってらっしゃい」という言葉は衝撃的だった。いつ以来にかけられたのだろう、これも街なのかもしれない。だとしたら、なんて温かいんだろう。
 駅前で妹と合流して僕は焼き鳥屋へと向かう。僕は妹に梅酒のソーダ割りを勧める。僕はお任せで甲州と肴をいくつか、そして焼き鳥をお願いする。出てきたのは勝沼ワイナリーの甲州だった。さっぱりとした飲み口とドライな舌触りは塩の振られた焼き鳥を引き立てる。街角のマリアージュ。

 あくる日、僕は桜上水で降りる。甲州街道を新宿方面へと歩く。赤色の歩行者信号の前で男女が抱き合って、深い深いキスをしていた。嗚呼、街が戻ってきている。

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