耳の痛みで目を覚ます。僕はイヤホンを外して途切れ途切れの意識をつなぎ合わせる。昨日寝ずに取り組んだフランス語の課題は、結局終わらなかった。飛行機は着陸態勢に入ろうとしている。揺れる。雲の中を抜けると外は雨が降っていた。極めて無駄のないコンクリートの地面が近づいてくる。 飛行機を降りた僕は友人と合流する。いつもとは違う場所での待ち合わせだが、いつもと同じように僕たちは挨拶を交わし、バスへと乗り換える。なぜか左の車窓から見えるイオンの看板が馴染み深く感じる。漁港で刺身と貝汁を
靴を履いていたら そしたら屋久島にはもう来ないの と彼が問う おいは屋久島には通うよと言う 通り過ぎるだけのことを出逢いとは言わない 恋焦がれ 追いかけて それでも追いつかない そんな出会いを出逢いという 彼が勧める煙草を断る 彼と煙草を吸いたかったから また明日と声をかける 振り返りはしない おいはおいで彼は彼 だから出逢えた
僕は忘却の旅に出る。人は忘却からは逃れられない。どんなに楽しかった記憶も色褪せ、やがてはほとんどが忘却の彼方へ消えてゆく。そういった意味では「書く」という行為は忘却へ対するささやかな反乱かもしれない。しかし、書くという行為は忘却を引き受けない限り成立しない。人は書くときにはもうそのことを十全に覚えてはいないからだ。だから「全て」を書こうとすればするほど忘却の彼方へ消えた断片の不可能性に直面することになる。 これからも僕は思い出を作り、忘れ、それを書き続けると思う。それは瞬
夏が終わる 季節が変わるのを僕は風から聞いた 季節が変わるのを僕は街ゆく人の格好に見た 季節が変わるのを僕はレストランの季節限定メニューで感じた 夏が終わる この夏はかき氷を食べなかった 海にも行かなかった 山も知らない そんな夏が終わる じっとり滲む汗 霞んだ星空 蝉の声 嗚呼 夏は終わったんだ 次の季節で僕は許されるだろうか 巡る季節に取り残されずに僕は笑えるだろうか 季節が変わったら僕も変われるだろうか
この前昼寝をしていたときに見ていた夢の話。 僕は超能力者だった。なんの超能力かはわからないがそれでもそれなりに楽しく暮らしていた。しかし、超能力者だとバレた自分は命を狙われることになった。 僕は〈理性〉と〈感情〉に分裂した。それは比喩としてではなく、実体として分裂した。そして〈感情〉のほうが敵と対峙する。近くで爆ぜると10秒間意識を失うカプセルを投げてくる敵に対してそれを避けながら仲間と〈理性〉のもとへと逃げる。彼は一度カプセルの爆発に巻き込まれたふりをして油断して近づ
深夜0時、友人たちが訪ねてくる。30分前に今から行っていいかと電話があった、ふたりで飲んでそのままうちに来たようだ。彼らは買ってきたスーパーの袋を示して飯を作ってくれという。友人の1人がシンクに溜まった洗い物を始め、1人は缶ビールを開けた。僕は干してあった布団カバーを布団につける。そして友人が勧めてきたビールを「気分じゃない」と断る。それらが終わった頃僕は料理に取り掛かる。友人が買ってきたのは、加熱用の牡蠣、海老、しめじとミニトマトだった。友人はアヒージョを作ってくれと言う
なにもない空に微かに光 光はどんどん力を帯びる 上へ上へと私たちを照らそうと昇る 今日も一日が始まる 広い地球に生まれ落ちた生命たちが 目を覚まし その裏側で眠る者たち ああなんと平等な光だろうか 分け隔てない力よ
風 僕は走った 血湧き肉躍る未来に向かって やがて僕は疲れて歩き そして芝生に寝転がった 風がそよいでいく 額を泳ぐ汗を風が撫でていく 彼らには過去も未来もない 高きから低きへ 世の理を再現する 僕は目を閉じて風になる 今だけはすべてを忘れて 風になる やがて僕は立ち上がる 太ももに乗った虫を弾こうとして殺した 僕は風にはなれない 彼のような無私の贈与を私はできない 秘密基地 久しぶりの秘密基地 誰もいない秘密基地 変わらない温度 誰にも
今日はaikoの42枚目のシングル『ねがう夜』のフラゲ日である。僕がaikoのCDをフラゲするようになったのは3年前からだ。旅先で買ったこともあったが、地元でフラゲするのは初めてだった。これは私が『ねがう夜』に出逢うまでの物語である。 ランニングがてら近所のTSUTAYAでaikoの新譜を買おうと思った。ランニングは今の僕の生活において不定期であれどその一部となっていた。だから、それは自然な思いつきだった。僕は走ってTSUTAYAまで行く。果たして新譜はなかった。『どう
酔っ払ってかつて通学路だった道を歩いてた 耳鼻科は建て替えをしたみたいだ 繁盛しているんだろう 新しい家が建っている ようこそこの街へ パチ屋がディスカウントストアになっている あっち行けよ 歩道橋を渡る 変わっていく街 変わらない俺 24のガキ 道に映る俺のシルエット カッコいいぜ 闇夜に浮かぶお前 美しいぜ 今夜はデュエット 夜が眠ったら始めよう 俺の愛するこの街で お前が微笑むこの街で
今夜も月夜は美しい 不釣り合いな僕はきっと 写真のフレームは収まらない 月の魔力は僕の惨めさを嗤うみたいに思えて そんな卑屈な自分が少し嫌になった 何が悲しくて息している 何が愚かしくて生きている きっと君が笑う美しい夜で 僕は少し泣きます 朝焼けはいつも綺麗だ それを見て思い出した 「朝焼けと夕焼けどっちが好き」 その時僕はうまく答えられなくて けれど今ならちゃんと言えるよ どこかへいく太陽の残り香を 追いかけている夕焼けの方が 僕みたいでちょっと好きだよ
私が桜の儚さを嘆いたら、あなたは「また来年咲くじゃん。」って笑っていたわね。桜を見るとあなたの能天気な笑顔が浮かんできます。あの時あなたが言っていた言葉の意味が最近わかった気がします。今年も相変わらず桜は咲き誇っています。変わったことと言えば、私の隣にあなたがいないことぐらいでしょうか。 あの時、私が言ったことの意味をあなたはもう知ってしまったかしら。できたら、どうか知らないままでいてください。桜のように変わらないあなたでいてください。
去年(2021年)の秋に帰省した時に書いたものです。 以下本文 ビールを傾けてふと物思いに耽る。ああ、僕はこの街が好きなんだと。 夜は妹とご飯を食べる約束をしていた。用事を済ませた僕は少し駅前でブラつくことにした。駅前の山交百貨店はヨドバシカメラに変わっていた。螺旋のエスカレーターはなくなっていた。僕はオーディオコーナーに足を向ける。据え置きの品揃えは「こんなもんか」という程度だったが、イヤホンはなかなかに揃っていた。もちろん新宿や秋葉原なんかの店舗と比較すると見劣り
「君は羊男みたいだね」 彼は言う。「羊男」と言うのは村上春樹の小説『羊をめぐる冒険』に登場する謎多き男で主人公を惑わす人物、だった気がする、読んだのももう5年ぐらい前でちゃんと覚えていない。こういう時忘却が憎らしくなる。 「君も夢で生きたり、現実で生きたり、フラフラして。君を見ると毎回羊男に重なるんだよね」 「そうやって高等遊民気取って、どうするんだい?」 今の僕にはその言葉を笑い飛ばす力が残っていない。 「どうするんだろうね?」 それはいつもの余裕シャアシャアで箸休めに出し
祖父が死んだ。深夜にメッセージが入る。人間は死ぬ、神を信じていようがいまいがそれは決まっていることだ。御年96歳、死因は老衰だそうだ。必然、そんな風にも言えるのかもしれない。どこかで僕も予期はしていた、それでも突然であった。 最後に祖父に会ったのはいつになるだろうか。僕が高校に入るか入らないかの頃だったから8年ほど前になるのだろうか。それから全く会うことができなかった。適切に言えば、僕が会いに行かなかったのだし、会いに行けなかったのだ。 僕と祖父の間に血の繋がりはない。
夜の砂浜を2人連れ立って歩く。あなたはどこか忙しなくて、言葉を探して遠回りしているみたい。 あなたがうわずった声を出す。「き、今日は月が綺麗だね」 あたしは空を見上げる。空には満天の星が瞬いている。月は、月はない。大きな光を失った空には、名前を知らない星が燃えている。 隣のあなたを見る。星々の光はあなたの横顔に影を作る。あなたは今どんな表情をしているのだろう。あたしは笑いを堪えて呟く、「死んでもいいわ」。 あなたは「えっ?」っとこちらに振り向く。今度はちゃんと表情見え