気がついたら府中にいた

 深夜0時、友人たちが訪ねてくる。30分前に今から行っていいかと電話があった、ふたりで飲んでそのままうちに来たようだ。彼らは買ってきたスーパーの袋を示して飯を作ってくれという。友人の1人がシンクに溜まった洗い物を始め、1人は缶ビールを開けた。僕は干してあった布団カバーを布団につける。そして友人が勧めてきたビールを「気分じゃない」と断る。それらが終わった頃僕は料理に取り掛かる。友人が買ってきたのは、加熱用の牡蠣、海老、しめじとミニトマトだった。友人はアヒージョを作ってくれと言うが、流石に材料が多いので僕は海老としめじでアヒージョを、そして牡蠣とミニトマトでパエリアを作ることにした。ついでに余ったしめじで明朝の味噌汁も作る。12時の来客に帰宅する意思はない。
 料理をしている時が1番余計なことを考えなくて済むようだ。僕は玉ねぎとニンニクをみじん切りにして炒めながら、しめじと海老とニンニクと唐辛子とオリーブオイルをアヒージョ用のパンにぶち込んでオーブンで温める。炒めた玉ねぎの色が変わる頃、生米を入れ、炒める。塩胡椒、オイスターソースで下味をつけ、牡蠣と四等分したミニトマトを散らす。適当に白ワインとお湯を入れ蒸していく。夜食があらかた片付いたので味噌汁を作る。
 出来上がったアヒージョを運んで、パエリアが出来上がるのを待っていた。パエリアができあがろうという時、友人がアヒージョをこぼした。テーブルにオリーブオイルが広がっている。別の友人がキッチンペーパーで拭き取っている。こぼした本人は特に悪びれる様子もなくビールを飲んでいる、多分結婚できないだろうなと僕は思った。
 パエリアを少し食べて僕はソファで微睡む。ベッドは友人たちに占拠されていた。それもどうでもいい。音楽も勝手に切り替えられている。それもどうでもいい。

 浅い眠りだった。目覚めた僕は静かにPCでゲームをする。そして昨日の味噌汁と白米と友人からもらっていたちりめんじゃこで朝食にする。そうしていると友人が起き出してくる。1人は味噌汁だけでいいと言い、もう1人は僕と同じメニューを平らげた。
 昼前に家を出る。笹塚まで歩く。1人はそこで帰って行った。残った友人と寿司を食べて僕らは列車に乗った。新線新宿駅で友人は降りていった。1人車内に残された僕は行く宛もなく電車に残った。イヤホンをつけて音楽を聴き始める。都営新宿線の車窓から見える景色は地下鉄のそれで代わり映えしない。駅の構造もほとんど同じで通過する駅名だけが違っている。車内に人はまばらだったが列車が進むに連れ、その人数は更に減っていった。ふと車窓から陽光が差し込んでくる、地上に出たようだ。しかし、それもつかの間、川を渡ると再び地下へ潜り、風景と呼ぶにはあまりに味気ない黒が続いた。やがて列車は終点の元八幡へ着いた。僕は電車を降りて駅を出る。京成線に乗り換えることもできたが、やめた。京成線が成田方面に行くのはなんとなくわかっていた。目的地がわかっていては面白くない。僕は駅前の古本屋でできるだけ聞いたことのない作者の聞いたことない小説を探した。適当に選んだ本をトートバックにぶち込んで僕はなんとなく北へ向かって歩き始めた。道路標識や交番や電柱にある地名からそこが千葉県であること知った。途中でバスとすれ違ったので、きっとその方向に駅があるのだろうと見当を付けた。道すがらに自分と同じ名前の歯科医院があり物珍しさからスマホのシャッターを向けた。途中にあった石段を登るとおっちゃん2人が一眼レフを構えていた。僕も釣られて彼らが被写体にしていると思われるものを写真に収めた。綺麗な夕焼けだった。そこに収まった、決して背丈の高くない家々のシルエットはそれが僕の知らない街であることを控えめではあるがはっきりと主張していた。
 相変わらず僕は北へ向かった。途中で大きいスーパーマーケットやショッピングセンターを見かける。僕はコンビニでトイレを済ませてガムを買った。どれぐらい歩いたか、これからどれだけ歩くのかは考えなかった。そんなことはどうでもよかった。
 日が傾き切る前にJRの駅に行き当たる。武蔵野線の駅だった。僕はその路線に乗ったこともなかったし、それがどこを走る路線なのかも知らなかった。昔、東京駅でその路線の表示を見たぐらいだった。東京方面ともう1つ逆方向の乗り口がある。僕は迷わず逆方向の電車を選んだ。行き先は確認しなかった。
 電車に乗って僕はどこに向かっているのかを考えた。形而的に考えれば、僕は付き纏う絶望感から解放されたかった。その内なる衝動が僕に「知らない場所」「どこか遠い場所」を求めさせているのだと思った。行けるところまで行ってみよう、そしてどこにも行けなくなったらそこで適当に死のうかなんて考えて、僕は買った小説を開いた。貪るように読んだ。久しぶりの感覚だった。最近は本を読むときは右手に蛍光ペンを握っていて、どこか分析的というか一歩引いた読み方をしていた。そうした手段としての読書ではなく目的化された読書だった。
 小説はある島で教師をする男の話だった。やる気と気力を無くした彼が困難にぶつかる中でそれらを取り戻していく話だった。目の浮くような表現も予測できない展開もなかったが、僕は没頭して読んだ。ふと次の駅の名前を見ると「浦和」とある。電車は千葉県からいつの間にか埼玉県に入ったらしい。北西の方向に向かっているのだろうか。この分だと群馬県のどこかで降ろされそうだ。車窓から見える建物はマンションが多くなっていた。ベッドタウンと呼ばれる場所の風景だった。
 車内の人もまばらになった。やがてアナウンスが終点への到着を知らせる。「府中本町」、果たしてどこの府中なのだろうと僕は電車を降りる。南北線の乗り口と分倍河原の表示に驚く、そして改札のところに京王線の表示があった。僕は確信した、ここはあの府中なのだと。千葉県を出た電車は埼玉を経由してどういうわけか東京の西側に来ていたらしい。諦めて僕は改札を降りる。「今日は気分じゃない」らしい。こぼれた笑みに名前をつけるなら何になるのだろうか。明日生きるとして何かが劇的に変わるわけでも、僕が前に進むわけでもない。だとしても今日ではなかった。麦酒を飲もう、久しぶりに。小説もまだ読みかけだ、これを読み終わってからでも遅くはないのかもしれない。
 僕は適当に入った焼鳥屋でビールと串を何本か頼む。ハイボールまで飲み終わり会計をする。店主が「競馬ですか?」と尋ねてくる。僕は負けたように見えたろうか、それとも勝っていたのだろうか。「たまたま府中に来て」僕は微笑みながら返す。店主は信じないだろうが、本当にたまたま府中にいたのだ。お釣りを財布に入れようとして小銭を落とす。2杯だけ飲んだだけなのに思ったより酔っているみたいだ。きっと僕は帰りの車内で寝るのだろう。何度電車が最寄り駅を通過するだろうか。それでもいいのだ、誰も僕の帰りを待つ人などいないのだから。

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