『OMORI』について(ネタバレ「あり」)
タイトルを5回、声に出してから読んでください。
こんな時間に迷惑な人ですね。
この記事では、私が『OMORI』をプレイしストーリーについて思ったところをたった1点のテーマで、文も頭もあまり整理せずに書き下ろします。
そのため、是非、是非このゲームをプレイしてから読んでください。
というか読まなくて良いのでやってください。
↓ネタバレなしの紹介はこちら
「○○はやったほうがいい」などという言葉は、時間もお金も有限な世界で無責任に言い放っていい言葉ではないと思いますが、他のところで自分の感性と私の感性が近い所にあると感じた人は是非やってほしいです。
では、書きます。
↓↓↓もっと下
↓↓↓↓↓↓まだ下
↓↓↓↓↓↓↓↓↓がんばれ♡がんばれ♡
お疲れ様です。
「痛みの共有」について
どんなお話でも、そのストーリーの中で内面が変化する人物がいます。
プレイヤーはその人物に自分の感情を重ねて喜怒哀楽を汲み取り、時に笑顔になり時に涙します。
例えば、子供向けのお話では、主人公やその仲間達にフォーカスを当て、彼らの心情の変化を描くことで、話の受け手はその成長を見ることができます。
では、このゲームは一体誰のお話なのか?
もちろんこれはオモリの話であり、サニーの話であり、マリの話であり、ケルヒロオーブリーの話でもあるため、クリアに至るまでに色んな人物の色んな気持ちを痛いほど汲み取ることになったと思います。
しかし、プレイヤーが一番その心を重ねながらプレイすることになるのは、「バジルくん」ではないでしょうか。
このゲームにおけるストーリーの核は、ある1つの「出来事」(=○○の死)を原因とする「痛み」だと思います。「出来事」というのは、このゲームを遊んだあなたならきっと分かるはずです。
その出来事にたまたま居合わせたバジルは、計り知れないほど残酷な「痛み」を、「秘密」という形でサニーと共有するを選びます。
要は、「共犯」です。
「トラウマもの」というか、主人公が過去のトラウマと向き合って成長する話はありがちではありますが、そこに「トラウマの共有者がいる」というのは新しく思われます。
そして、ここがプレイヤーと重なる部分です。
プレイヤーはオモリの世界と現実世界を行き来する中で、少しずつサニーの持っていた闇に触れ、この「痛み」を共有することになります。
真実を写した”あの写真”を、1枚ずつ拾って並べていく行程は、正にそのエンパシー/シンパシーの時間であったと思います。
それから、その「痛み」はきっとサニーの中でも、バジルの中でも「罪悪感」という形で膨れ上がっていき、サニーの頭の中では自分を守るために「オモリ」が生まれ、バジルは「何か=something」に蝕まれていきます。
文字読むのにも疲れたと思うので、ここで一度日本語版のトレーラーを見てみましょう。
ゲームでも冒頭に流れるこのセリフは、バジルくんの言葉だったわけですね。
結果的にサニーはそれから引きkOMORI、ヒロ・ケル・オーブリーとも上手く関われなくなったバジルくんは、たった独りでその「痛み」を抱え、育てることになります。
そして、サニーが引っ越す前日、二人は相対することになります。
ずっと独りぼっちだったバジルくんからすれば、秘密を共有していたサニーくんが物理的にも離れてしまうといのは、最後の蜘蛛の糸が切れるような感覚ではなかったでしょうか。
(ここお話としてはめちゃくちゃ壮絶で重要な戦いだけど、傍から見たら暗闇でショタ二人がケンカしてるのかわいいね♡)
そして戦いの末、グッドエンドではサニーがオモリを倒し、現実と向き合ってバジルの病室で「秘密」を話すことを決断します。
このラストのシーンでは、あることを達成していると、罪の告白をした後のサニーとバジルの顔を見ることができます。
見てない人は見てきてください。
↓見た人は下へ
あぁ……
バジルは、サニーを守るために「痛み」を共有し、「秘密」を守り続けていた一方で、この瞬間をずっとずっとずっと待っていたようにも思います。
ここでお話は終わりを迎えますが、この延長では、ケル・ヒロ・オーブリーの3人もこの「痛み」を理解し、共有することになると思います。
しかし、それはもう「秘密」ではなくなり、きっとサニーもバジルも皆もこれ以上苦しむことはないと思います。
きっとマリもそれを望んでいないと、サニーも含めた全員が理解しているからです。
OWARIに
「ストーリーはメッセージのための容器でしかない。」
というのは、『星の王子さま』の翻訳でも有名な池澤夏樹さんが同本のあとがきで書かれていた言葉です。
特に星の王子さまなんかはその典型的な例でもあるのですが、やはり名作と謳われる作品には、作品を通して作者が伝えたいことが明確に在ると思います。
こと、OMORIにおいて私が受け取ったメッセージがこれです。
「痛みを共有する」ことは、時に極めて危険な行為であり、生半可な覚悟で出来ることではない。
だけど、それでしか救えない「痛み」が確実に在る。
取り留めない拙文で大変失礼いたしました。
また、藤田祥平氏のコラムでもっとOMORI全体に関する素晴らしい文章があるので、こちらもおすすめです。
https://jp.ign.com/omori/49627/opinion/rpgomori8
ここまで、付き合っていただきありがとうございました。
それでは、OYASUMI。
いつでも愛をこめて 高津