悪魔「クックック、俺が憎かろう。お前の人生を最悪なもなにしたのは他でもない、俺だ」 「なにが最悪かわかるということは、君は全てを見通して、超越的に善悪の判断ができるということだね!素晴らしい」 悪魔「それは違う。お前にとって個人的な"悪"をもたらしただけだ」 「それはおかしい。僕にとって何が善で、何が悪かは、死ぬそのときまでわからないし、死ねば全ては無だろ」 悪魔「わかってないなぁ〜。悪魔は刹那的なんだよ。その時お前の感情がネガティヴになればいいのさ。俺は神の奴とは違
間違えてコンサータ夜飲んだ萎え 薬を間違えずに飲むの難すぎ
文明遍照、人間は自ら闇を滅したーー 「つまらない世の中だなぁ、そうだ自分でオカルトを生産すれば良いんだ!」 狂気はメタ的に認知されて、コンテンツの糧となる いつからだ、フェイクしかなくなったのは 本物かも⁈と楽しむ時代は終わった フェイクとわかりつつ、どれだけ没入できるかだ ところで、狂人だって1割は地に足がついてる だから恐ろしい 完全なる狂気に浴していれば、苦しまずに済むのに 閑話休題、売り物になるのは、8割水に薄めたカルピスだけ あんまり濃くて濁流と
自分が母親かと思ったら、娘がいるのは隣人の女性で、自分はそれを見ている独り身の地味な女でした
地震かと思ったけど気のせいか 目もチカチカする
うつ明けっぽいなぁ 自分の見た目とかファッションが気になり出したし、創作・発信が増えた ただ、いろいろ持って(患って)るし、病歴が長すぎるから、これが躁転なのか、寛解なのかわからん "普通"ってどんな感じだったけか?
コンサータ1日目 カラオケ行ったらトリップ 在米時に合成麻薬盛られた友達の語っていた体験と同じだった 曲の音が分解されながらも全ての音を聞きとれる状態 まあ、ワイ思い込み強いし1日目だしプラセボだしょ?
私はあなたのやり方をする人をよく知っています。なぜならかつて自分がそのような手法を用いていたからです 私は昔から催眠や誘導、対人心理を徹頭徹尾 仕込まれています あなたのやり方は手が混んでいますが、誘導のアプローチとしては2流以下です なぜなら、相手に疑念を抱かせる社会的なレッテルのあるワードを手続の序中盤から入れてしまっていることです 交渉やカウンセリング、営業、詐欺、勧誘全てに共通することですが、まずはラポール形成が最優先事項です 帰属への好意の提示、同情を誘う挿
詐欺や宗教の勧誘の人と話すのはとても面白い 彼らはどこまで本気なんだろう
>いや俺に責任があるんだよ 俺だって自分と会話したらウザいと思う 生まれつきの嫌われ者っていると思う 俺みたいに でも言い訳ばっかり 周りに合わせない だから救いがない あなたが悪いんじゃあない< 病気のせい >病気は誰のせい? 親のせい? おじいちゃんおばあちゃんのせい? 学校のせい? 国のせい? 責任は誰に? その罰は誰が受けるの? 誰のせいでもない< >でも業を背負うのは個人だよ それはおかしい< >おかしいよ おかしいけど変わらないんだ 誰も変えられないん
みんな自分で決めてるようで決めていない。時代、流れ、性格。決められるものなんてほとんどないのかもしれない。 成長の時代は良いかもしれない。流れに乗っていれば、お金も回ってくる。幸せになれる。自己決定感も得られる。 今は戦時中でこそなかれ、日本の成長は終わった。 だから自己変革"感"の時代(自己啓発、NLP、第二世代CBT…)から受容の時代(第三世代CBT、マインドフルネス、アクセプタンス、ヴィパッサナー瞑想…)になった。 みな既存のゲームから降り始めているーー とき
普段の対人は自然主義的に武装してるけど それは社会的な建前であり、恐れの裏返しで 本当は私はエモーションとフィーリングな人間 オカルティックな感覚もある 例えば、"憑き物"をオカルティックな目線で見て解決するか 自然科学的なアプローチをとるか CBTでも精神分析でもお祓いでも正直なんでもいい。 個々人の信仰でプラセボ・ドライブがかかるものがええんちゃうの? 俺には同じオブジェクトを別の角度から見てるようにしか見えない ただ立体的に見えることにはなんらかの意味がある
今までも躁鬱、不安、強迫観念はあったけど こんなにも希死念慮が出てきたのは初めて……
実はベートーヴェン誕生以前に、音楽をその作曲者の内面表現だと考える者はいなかったそうだ。 ノース・カロライナ大学チャペル・ヒル校音楽学教授のマーク・エヴァン・ボンズは、このように音楽の中に作曲家の内面を感じ取ろうとする人の傾向をベートーヴェン症候群と名付けた。
「経済学の父」といえばアダム・スミスであり、彼の思想を元に経済学は形成されたわけだ。ということは、彼以前に現代的な経済学というものはなかったわけで、当然彼ももともと経済学者ではなかったということだ。 ではアダム・スミスは何の専門家であったか? 道徳哲学である。倫理学といっても良い。 つまり必然、経済学を深く理解するには道徳哲学を知らなければならないということになる。