幸せの定義
「お幸せに!」「幸せになります!」
結婚式で飛び交う何気ない言葉。
以前は僕も友人の結婚式の度に言っていた。
でも。
ふと40歳を過ぎたあたりから、何か引っかかるものを感じ始めた。そもそも「幸せ」って何だろう。
相手から言われて幸せになれるものなのだろうか。いや、違う。幸せは自分が決めるものであるはずだ。自分の心が満たされたとき、初めて幸福感を感じるのでないか。
では、その幸福感っていつのことを指すのだろうか。未来のその先?それとも過去を振り返ったとき?いや、どちらも違う気がする。
「結婚=幸せ」という短絡的な計算式は成り立たない。結婚して月日を重ねていけば「幸せ」というゴールに辿り着けるかといったらそうとも限らない。未来に行けば幸せが“待っている”ものではない。
かといって、過去の楽しかった思い出を振り返って、「幸せだなあ」と感じるかといったら、それも違う気がする。楽しかった、懐かしい、とは感じるけれど、幸福感は満たされない。
幸せとは自分で“掴むもの”、自分で“感じるもの”なのだ。そして、その答えは“いま”しかないのだ。
そんな当たり前なことに気付いてからは、他人には気安く「幸せになれよ!」とは言わなくなった。というより言えなくなった。
「幸せだなあ」と感じられる心を持っていること自体が幸せな気がする。
何気ない日常。家族との他愛のない会話。ふとした瞬間の笑顔。
そうだ。いつもは忘れがちな目の前の日常にこそ幸せは転がっているのだ。
そんな簡単なことに40歳を過ぎてようやく気付いた。自分はいつも人より気付くのが遅い。でもそんな遠回りの人生も意外と嫌いではない。人よりたくさんのことを味わえているから。
幸せと感じる心をいつまでも持ち続けるために、いつまでも自分を好きでいよう。大切にしてあげよう。自分が自分の一番の応援団長として。
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