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五十周年記念誌に見る寮のシャワーと風呂の歴史

↑2012‎年‎12‎月‎6‎日、‏‎22:57の寮祭でのファイヤーストーム
 この記事は、Kumano dorm. Advent Calendar 2023の29日目の記事です。

 初めての記事以来、寮の風呂の歴史を漁ってきた。大学側との交渉と大学側の努力も追ってきた。今回は「寮据付風呂が沸かされたことはあったのか」という疑問に焦点を絞りたい。
・熊野寮五十周年記念誌を見る限り、やはり風呂は沸いたことがなかった
・寮務担当の職員さんが当時の尾池総長に飲み会でシャワー設置を相談した
・その結果、総長裁量経費でのシャワー設置が決まったという記事が記念誌にあった

 これまで、存在は知っていたが今まで入手できなった本「熊野寮五十周年記念誌」をご紹介したい。

世紀の大作「熊野寮五十周年記念誌」

 2014年11月に有志によって発刊された。寮開設の1965年から、ご卒業されたOP達に寄稿いただき、あらゆる時代の証言が詰っている。一昨日寮でやっと読めたので、これまで気になっていた「寮据え付けの風呂はお湯を出したことがあるのか」を探っていきたい。

お湯の出ない風呂

 記念誌のあらゆる時代から、風呂もしくはシャワーに関する内容を引用してみたい。

「美味いメシのために蒸し窯をガス窯に!」などの提言があり、大学と交渉したが、「ガス代を負担するのは負担区分反対に抵触するからこれは払えない。寮に風呂が無い理由が分かっているのか」ということで頓挫したり、

熊野寮五十周年記念誌(上)  K.T. (農学部)67年入寮 p. 96

 お風呂も設備としては熊野寮にあったのですが、水熱費の負担について大学当局と話がつかなかったため、寮生は利用することができませんでした。そこで、寮としては寮生の便宜を図り、熊野寮の前にあった銭湯の割引券を希望者に渡していました。

熊野寮五十周年記念誌(上) F.K.(文学部)68年入寮 p. 108

厨房の近くにはお風呂があったがシャワーを使うだけであった。各人のシャンプーの入れ物がいっぱい並べられていた。京都の水道は鉄分が多いせいか風呂場のタイルのお湯がかかるようなところは赤茶色に変色していた。

熊野寮五十周年記念誌(上) M.T.(理学部動物学教室研修員)74年入寮

私が入寮した当時は(中略)A棟一階にあった風呂は湯が出ず、寮中にビラが貼られており立派な寮というイメージからはかなり違っていました。

熊野寮五十周年記念誌(上) K.M.(経済学部)74年入寮

 風呂は寮にはなかったのですが、近所の風呂屋は寮生だというと割り引いてくれました。

熊野寮五十周年記念誌(上) A.K. (農学部)78年入寮

私が入寮したときには「浴室の温水シャワー」「居室のスチーム暖房」は設備はあるものの運転費用が切られて先輩方の過去話の種になっていたが、

熊野寮五十周年記念誌(上) T.F. (理学部)82年入寮 p. 333

しかし水シャワーは鉄錆が匂ったし

熊野寮五十周年記念誌(上) N.S. 84年入寮 p. 352

A棟1階の水シャワー。体育館の水シャワー。

熊野寮五十周年記念誌(上) T.S. 85年入寮 p. 363

 当時も夏は暑く、でも銭湯に行くお金は節約したいので、水しか出ないシャワーを夏の間は使っていました。当時は私も含めて何人かが使っていたと思います。シーズンの初めの頃は、オフシーズンの間にたまった赤錆が大量に出るので、誰かが使って錆が減るのを待つのですが、かといって暑さも大変で、もういいだろうと思ってシャワーを浴びて、部屋に戻ってタオルを見たら赤く染まっていた、ということが何度かありました。

熊野寮五十周年記念誌(下) Y.Y. (理学部)91年入寮 p. 36

 私の在寮当時、熊野寮にはお風呂がなかった。正確にいうと共同風呂というモノはあったが、ボイラーが故障して以来使われていなかった。したがって寮生の風呂と言えば銭湯、ということになるのだ。

熊野寮五十周年記念誌(下) T.K.(理学部)94年入寮 p. 69

 多くの人が言及するところだろうが、特に女子寮生にとっては当時シャワーが寮になかったのは大変だったはずである。銭湯代は高くもったいなかったので、私は体育館シャワーをよく使用した。シャワーセットを持参して、図書館で勉強につかれると、体育館シャワーに入り、髪も半乾きの状態で再び図書館で勉強することもあった。

熊野寮五十周年記念誌(下) T.N.(教育学部) 95年入寮 p.160

すでにシャワーが寮内に設置されて久しいとのことだが、当時は定期的に熊野湯の再興について話題になっていた。

熊野寮五十周年記念誌(下) S.M.(法学部)01年入寮 p.168

今は立派なコインシャワーがあると聞いておりますが、当時は冷水シャワーしかなく、お風呂はもっぱら銭湯でした。熊野寮の日々イコール銭湯に通った日々。

熊野寮五十周年記念誌(下) I.N.(旧姓 J)02年入寮 p. 189

そういえば、自分が入寮した当時はまだシャワーも無かったのですが、寮を去ったとき、すでにコインのシャワー室ができていました。熊野寮は見た目は変わらなくても、みんなの努力でどんどん住みやすくなったと思います。

熊野寮五十周年記念誌(下) C.W. (工学部)03年入寮 p. 209

以前は温水シャワーもありませんでしたし、建物正面の廊下の窓ガラスはビラや昔のビラの跡で外が見えないくらい、トイレも全て和式で一昔前の田舎の学校のトイレを連想させるような雰囲気でした。

熊野寮五十周年記念誌(下) Y.K.(総人)05年入寮 p. 241

 僕が入寮した2005年当時、寮にはお湯の出ない水シャワーがあるのみでした。

熊野寮五十周年記念誌(下) M.M. 05年入寮 p. 246

 予想通り、1965年の開寮から温水シャワーが設置される2007年までほぼすべての時代において風呂はお湯が出なかったようだ。「ボイラーが故障して以来使われていなかった」と98年入寮の方が書かれているが、これは私も陥っていた勘違いだ。たぶん、82年11月に故障した暖房ボイラーと、風呂焚き用ボイラーを混同している。後者は水熱費負担区分問題で大学ともめていた間、一度も使われていなかったはずだ。

 2023年現在でいう、A棟1F女子シャワー室隣のボイラー室と、B棟地下ボイラー室(設備は撤去済み)のいずれかが相当するのだが、同定には至っていない。現役寮生曰く、地下のほうが風呂焚き用かと思われる。

 また、水が赤いという記述もよく見る。これは、91年入寮の方もご記載されている通り、据付風呂の水シャワー利用頻度の夏季への集中のため、冬の間に錆びついた水道管が原因だろう。78年入寮の方が「京都の水道は鉄分が多いせいか風呂場のタイルのお湯がかかるようなところは赤茶色に変色していた。」と書かれているが、赤茶色なのは錆のせいだし、かかっていたのはお湯でなく水のはずだ。

年一だけの「熊野湯」

 以前まだこの記念誌を読んでいなかった際、「めっちゃ頑張って風呂を復活させて維持した学生がどこかの時代にいても変ではない。」と書いた。
 こんな記事と写真を発見した。

熊野寮祭1998
《熊野湯》
 1年に1度だけ、熊野寮に風呂が沸く日。当時、普段は熊シャワーの設置場所としてのみ存在意義を持っていた風呂場も、この日は綺麗に清掃されて、食堂のお姉さんたちのヘルプの下、見事に沸いた。

熊野寮五十周年記念誌(下) Y.S.(法学部)98年入寮 p. 99

でもひとつだけ行きそびれたところが・・・いまだに心残りなそのお湯は「復活!熊野湯」 年に一度、寮祭期間中の1日だけ復活する幻のお湯。いつも部活で入れなかった憧れのお湯。

熊野寮五十周年記念誌(下) I.N.(旧姓 J)02年入寮 p.189
熊野寮五十周年記念誌(下)口絵より

 まるでお風呂が沸いてるように見える!
 そうだ、聞いたことがある。荒廃した風呂を掃除し、炊事場から長いホースでお湯を持ってくることで、一時的に風呂を沸かした寮祭イベントだ。ほぼ手作りだが、見るからに楽しそうだ。負担区分問題の大学に対する皮肉めいたアンサーかもしれないし、単に「風呂を無理やり使おうぜ!」というノリで始まったものかもしれない。9割方後者だと思うが、当初の設計通りに据付の風呂が毎日使われていれば、こんな世界線もあったのだと思わせてくれる。

尾池元総長と寮務担当職員のご英断

 特に興味深いのは、05年入寮の方のお話だ。

僕が入寮した2005年当時、寮にはお湯の出ない水シャワーがあるのみでした。(中略)温水シャワーの設置をめぐっては、僕が入寮する前にも議論があったようですが、ガス代の負担割合を巡って大学当局との交渉が決裂したと聞きました。2006年秋ごろに、ある寮生からブロック会議に提案が出され、そこから具体的に大学に設置要求をしていこうというながれができました。ブロック会議で何度が議論したのち、2006年冬の寮生大会で「温水シャワーの設置要求」を決議して、後は予算が付くかどうかという段階になりました。大学の寮務担当者の話では、シャワー設置には1500万円程度の予算が必要でどうなるかわからんなぁ、がんばってみるけども、とのことでした。寮生が忘れかけていた2007年4月になって突如、予算がつくことになったと寮務担当者から連絡がありました。なんでも、大学職員の新年会飲み会で偶然総長と話す機会があり、総長裁量経費で設置できることになったと後から聞きました。その後、厚生部内にシャワー局を設置して、シャワーの数や運用ルールを検討し、5月着工、7月には浴室があった場所に8台のシャワー室が完成しました。

熊野寮五十周年記念誌(下) M.M. 05年入寮 p. 246

 飲み会で偶然総長に話したのがきっかけ!寮務担当の方が何も言わなかったら、2023年現在もシャワーは無かったのだろうか。京都の銭湯代は年々値上がりを続けており、現行は入浴料一回490円だ。毎日入ると月一万五千円に膨らみ、学生には負担だ。予算がおりたのは2007年のお話なので、やはりこの時の総長尾池さんが設置を決めてくれたのだ。このエピソードは元寮生でこの方だけが記載されおり、未確定ではあるがシャワー設置に関して当時の寮務担当の職員さんと尾池さんに改めて感謝したい。

総長裁量経費

 裏取りのため、大学側の記録も漁ってみよう。 京都大学の中期目標の達成状況報告書 (平成20年6月)に金額が記載されている。

京都大学の中期目標の達成状況報告書 (平成20年6月)p. 24

 2005~2007年度(平成17~19年度)はそれぞれ2.0億円、2.0億円、1.5億円の規模で調達されている。つぎに、各年度の総長裁量経費による採択事項が記載されている京大広報から、近そうなものを参照しよう。

 残念ながら、シャワー設備に関する直接の記述は見つからなかった。時期からみると、平成18年「学生部危機対応計画策定の作成」にぶら下がっていた可能性が高い。また、平成20年度は吉田寮関係資料の保全も総長裁量経費で決まっている。
 中期計画の最後はこう締めくくられている。

③優れた点及び改善を要する点等 (中略)   
(改善を要する点)
1.学生の経済的支援について、一層の努力が必要と考えられる。特に、学生寮を含め、学生の住居環境についての支援計画が明確でないことが問題である。(計画2-3)

京都大学の中期目標の達成状況報告書 (平成20年6月)p. 33

 学生寮の支援計画に関して、改善を要する点としてあげられている。もっと細かいお金の動きを知りたいところなのだが、あまりに明細の記録が規則化されると教職員さんの事務手続きが煩雑になるので、ガチガチに記録が残されていても大変そうだ。今後、何かの機会に詳細な証拠がぽろっと出てこないか期待したい。

記念誌にかけた思い

 熊野寮五十周年記念誌は寮開設50年を半年後に控えた2014年11月、有志によって発刊された。これがほんとに物凄い力作であり、上下合わせて800ページを超える。発刊時に同窓会へ届いたメールでは「執筆者は200人を超え、建寮年の1965年から現在の2014年までほぼ全ての年代の方から寄稿していただきました。」というから驚きである。初代シャワー局長の頑張りについて、本当はこの記念誌に記載したかったのだが、締め切りが気づいたら過ぎてしまった。しかし今、シャワーと風呂の歴史に関した側面をかいつまむことで、多面的に当時の状況を理解できている。2025年4月の寮開設60年の節目が近づくいま、この時期に読み直すことが出来てむしろ良かったと思える。先日寮に遊びに行った際にお貸しいただき、3日くらいずっと読み進められた。最高。その節は皆さま本当にありがとうございました。

まとめ

 熊野寮五十周年記念誌から、据付の風呂は開寮からずっと沸いてなかったし、年一のお祭りでしか沸かされてなかった。寮生大会で挙げられたシャワー設置要望からはじまり、新年会での寮務担当から尾池元総長への相談がきっかけの一つだったという記事を見つけることが出来た。素晴らしい記念誌、お大事になすってください。


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